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夜道を送れない男

☆夜道を送れない男

「おかえり」

「おう、ただいま」

 “おかえり”と言って迎えられるのは久しぶりだ。

 結局駅に迎えに来るという深の押しの強さに負け、でも、表のエレベーターがある方の新しいロータリーは混んでいるから裏の昔のロータリーがいいというので、松葉づえで駅の割には急な階段をゆっくりと降りて、見慣れた愛車のなれない助手席に乗り込んだ。

「これって定時?」

「大体な」

 時刻は午後20時。電車で片道2時間弱のところまで松葉づえでの通勤は思った以上に疲れてしまい、初日だけは、と迎えに来てもらった。

「じゃあ、ちょうどいいね」

「なにが?」

 相変わらずリピートで流れている“君こそスターだ”の音量を会話ができる程度に下げつつ、尋ねれば、当たり前の顔をして返事が来る。

「ちょうど家帰って、1時間くらいで出ればいい時間だから、私がちょっと残業になっても問題ないね」

「・・・深、毎日来る気か?」

「うん。だってバス待つのも乗るのもほかの乗客にも迷惑だし、毎日タクシー乗ってたらお金ないでしょ」

 “興輝が大変”よりも“ほかの乗客に迷惑”ときたか。

「まあ、タクシー乗る気はないけど」

 それじゃなくても学生街であるこの駅で、タクシー待ちは常に長蛇の列だ。大学まで歩いて10分なのに、なぜ昼間から学生がタクシー待ちをしているのか、俺には全く分からない。

「朝は興輝送ってから家帰って出ればちょうどいいしね。ちょっと余裕ある」

「毎朝毎晩おまえがきついぞ」

「そう?まあ、取り敢えずしばらくこれでいいよ」

 教習所に通っていたころは、強気な彼女には珍しく“免許なんて一生取れない!”と嘆いていたが、結局マニュアル免許を取得した負けず嫌いの深は、かなりスペースギリギリの駐車場にほぼ完璧に一発で車を停めた。

「はい、お疲れ様」

「ありがとう」

 門を開けてもらい、家の鍵を取り出す。門燈を付ける人間がいない我が家の前で、暗闇で鍵穴を探すことにもだいぶ慣れた。

「じゃあ、また明日。6時半ね?」

 時間を確認して帰ろうとする深に俺が今できることはないかと一瞬考えて声をかけた。

「おまえ、晩飯は?」

「帰ってから」

「食ってく?」

 昔からなぜか、料理は俺のほうが得意だ。ケーキやクッキーなんか焼かせれば深の腕はプロ並みだが、料理の才能はあまりないらしい。

「なに作ってくれるの?」

 好きなものだったら食べて行くけど、そうでもなかったら食べない。言外に含まれた深の言葉を汲んで、思考を巡らせる。

「んー・・・オムライス」

 冷蔵庫にあるもので深が喜びそうなメニューはこれくらいだ。

「わぁい!」

 これだけのことで子供のように喜んで、俺より先に家に入っていく。165センチのすらりと細い身体に腰まである長い髪の毛の大人の女は、俺の前で小さな子供のようになる。

「20分でできるから」

 慣れているから深を適当に遊ばせておいて20分でオムライスを完成させる。

「深!できたぞ!」

 リビングから姿が見えなくなって階段に向かって呼べば、返事は風呂場から返ってきた。

「はぁい!」

「なにしてんだ?」

「あ、暇だからお風呂洗ってきた」

「そんなことまでしなくていい」

 そうはいってもこの身体だとありがたい。今朝気づいたことだが、松葉づえでは洗濯物を持って2階のベランダへ上がるのも、それを干すことすら一苦労だ。

「まあ、いいじゃん。いただきまーす」

 ケチャップで名前なんか書いて遊びながら深は楽しそうに食事をする。こういう顔をするこいつだからこそ、作ってやろうとも思うのだが。

「なんかこうやってゆっくり興輝と話すのって久しぶりだね」

「そう言われりゃあそうかもな」

 ここへ引っ越してくる前に、団地で向かいの部屋に住んでいた。そして俺たちが小学3年生の夏休み、深はここから歩いて5分の一戸建ての家に引っ越してしまい、その一月後に、新興住宅として売り出されたここへ俺は引っ越してきた。高校は別々だったが、同じ大学に通い、深と俺はものすごく長い時間を一緒に過ごしてきていることになる。

「最初はさ、なんか、興輝に会わない日が続くのがすごい不思議だったんだけど、慣れって怖いよね。今じゃ1カ月会わないとかも、結構ざらじゃん?」

「まあ、お互い働いてるから仕方ないな」

 深は比較的通勤時間が短い。定時5時半だというから、家に着くのは7時頃。一方の俺は8時ころようやく地元駅につく。最初の頃は駅前で待ち合わせて一緒に居酒屋で飲んで帰ったりもしていたが、それすら、深を1時間以上待たせることになってしまうと思うと、だんだん俺が誘うこともなくなった。

「大人になるってつまんないね」

「なんだよ、急に」

「興輝は大人になってよかったこと、ある?」

 大人になってよかったこと?

「なんだろうな・・・酒が飲める、とか?」

「夢ないね」

「深は?」

「ない!」

 即答だ。深は酒豪だが、別にそれほど酒を飲むのが好きではないのだと思う。強いて言えば、食べる方が好きだ。ほとんど常に何かを食べているような気さえする。

「会社って、どうしてあんなにつまんないんだろ」

 昔から文句が多い。気が強くて、言いたいことはストレートにはっきりと相手に伝えてしまう。その強さは、学生という集団生活の中で、徐々に彼女を孤立させていった。そしてある時から、俺を含めた家族以外と接する深は深ではなくなった。他人と接する彼女は常に”明るく楽しい直井深”と言う、まったく別の人間になった。

「まあ、遊びに行ってるわけじゃないからな。金もらってるんだから、そのうえ楽しかったらすごいだろ」

「まぁね・・・」

 何かあったのだろうか。はっきりくっきりしていたいはずの深の腑に落ちないようなあいまいな返事に、俺はふと、違和感を覚えた。いつだってまっすぐに自分の道を持っていた深が、いま、何かに迷っている。どこへ進んでいいのかわからない迷子のような、でも、道を聞ける相手はいない。

「うーん・・・大人ってつまんない」

 もう一度言って、深は“ご馳走様”という言葉とともに帰っていった。たった5分の距離といえど、街灯の少ない暗闇を歩いていくその後姿に思わず“送る”と喉まで出かかったが、“松葉づえの男に送られるほど弱くはない”と強気な返事を予想して、俺は口を閉じた。




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