日常を作り上げる男
☆日常を作り上げる男
俺の経験史上、最も食の進まない晩餐だ。
「とりあえず・・・ただいま?」
「おかえり」
「おかえり」
青い左目がウインクして、俺と深は気が抜けて、今にも落としそうになりながら缶ビールを掲げた。
「それと、ごめんなさい」
あの頃とあまり変わりなく、肩まで伸ばした色素の薄い髪の毛はきっちりと女の子のポニーテールのように縛られ、頭を下げると少しだけ揺れた。
「朝から何も食べてないからお腹空いた」
作る時間がない夕食は、宅配ピザ。
「しっかり食べて」
「1日しっかり食べられなかったのは誰のせいだと思ってるわけ?」
食欲のない俺に対して、怒っている深は次々に食べ始める。
「昼は俺で、朝は興輝?」
何食わぬ顔で答えた晴眞に、深はピザを一切れ投げつけた。シャツとベストにピザソースが飛び散らないようにうまくそれを受け止めて、嬉しそうに笑った。
「何笑ってんのよ?」
きりりと引かれたアイライン。人に好かれる自分を演じ続ける深の、ただ一つ、彼女の本物の強さを残したその鋭い瞳が晴眞を睨む。睨まれてなお一層楽しげに光った青い左目。
「とってくれた深ちゃんの優しさが嬉しくて?」
「馬鹿なんじゃない?」
俺以外の誰にも、その心は決して開かれないものだと思っていた。俺が10年かけて築き上げたものとほぼ同等のものを、晴眞は一瞬にして、時間にしてわずか1分で手に入れた。それを悔しいと思うよりも、ありのままの深を受け入れて愛してくれる相手が俺以外にいることが嬉しいと思った。ただそれだけだったのに、日常がいつしか非日常になり、取り残された俺と深はどうしていいのかわからなくなった。どうしていいのかわからないことさえがいつしか日常になり、今日、という非日常にたどり着いた。
目の前で怒りながらピザを口に運ぶ幼馴染と、投げつけられたピザに微笑む親友と、ビールしか口にできない自分と、俺たちの日常は、一体何なのだろう。
「興輝、俺のこと、怒っているね?」
怒りに任せて飲み続けた深が酔いつぶれ、その意識を手放した後、運ぶことのできない俺の代わりに彼女を愛しそうに抱き上げて2階へ運んだ晴眞と、向かい合って2度目の乾杯を交わした。
「わからない」
自分が感じているのが怒りなのか、悲しみなの、喜びなのか、判断することができないほど多くの感情が、一度に押し寄せてきている。ただ目の前で困ったように微笑む10年前と変わらないギリシャ彫刻のような顔に会えてよかったのか会うべきじゃなかったのか、それを考えていた。
「そっか」
冷めきったピザを口に運ぶ。
「・・・これから、どうするんだ?」
10年、何をしてきたんだ?
本当はそう訊くべきだったのかもしれない。でも、俺が知りたいのは過ぎた日常ではなくて、この先訪れる日常だった。
「日本に戻るよ。ふたりが、それを許してくれるのならね」
閉じられた瞼に隠された青い左目が次に俺を見たとき、俺はきっとお前を許す。




