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迷う男


☆迷う男

「深、起きろ!遅れるぞ」

 家に帰ると、門燈はつけられたままでリビングは真っ暗。2階へ上がれば、ベッドの端っこに、必要以上に小さく丸まって眠っている深がいた。日付が変わってから家に着いた俺が眠りについたのは午前1時を回っていたが、今日は金曜だったからいつも通り朝5時に起きて、その1時間後に深をたたき起こしている。

「んー・・・興輝・・・?」

「起きろ!」

「んー・・・いつ帰ってきたの?」

 長い睫毛を瞬かせて乱暴に両眼をこすり、ぱちりと目を開いた深は俺をまっすぐに見つめた。

「0時半頃」

「なんで遅かったの?」

「・・・・・・」

 俺にある選択肢はふたつ。何も言わずに黙り通すか、真実を明かすか。嘘を吐けない俺にできるのはそのふたつだけ。背を向けて部屋を出る前にひとつだけ言った。

「深、今日で終わりにしよう」


 俺を送り迎えするのは、今日で終わりにしよう。

 お前がこの家に住むのは、今日で終わりにしよう。

 曖昧に傍にいるのは、今日で終わりにしよう。


「・・・何を?って言うか、意味が分からない」

 帰ってきたのは怒ったような返事。振り返らなくても、深がどんな顔をしているのかわかる。実際、怒っているのだろう。

「もう3週間だ。おまえだって、そろそろ元の生活に戻ったほうが・・・」

 そこまで言った俺の声は喉でつまって、出なくなった。なぜなら、俺の腰に深の腕が回されたから。痛いほどに抱きしめられたその腕に、触ることすらできない。

「・・・迷惑?」

 顔を俺の背中に押し付けたまま深のくぐもった声が訴えるように俺に問う。

「・・・・・・」

「・・・私が傍にいるのは、迷惑?」

 どうしてそんなに泣きそうな声で訊くんだ?どうして俺を抱きしめた腕は震えているんだ?どうして、背中に押し付けられたおまえの身体から伝わる鼓動はこんなに早いんだ?どうして・・・どうして・・・?

 思っていても、何一つ訊けない。

 どれほどの時間だったのか、計ればきっと1分かそこら、でもそれが永遠に感じられるほどに、俺と深の周りの空気は永久に溶けることのない南極の氷のように凍り付いていた。

「・・・ごめん、着替える」

 震えの止まらない深の腕が俺の腰からゆっくりと外された。

「おう」

 降り慣れた階段から、足を踏み外して落ちるのではないかと思うくらい動揺している。朝食を口に運べる自信も、それを飲み込む自信もないくらい、息すらも上手くできない。

「・・・今日は、戻ってから食べるから」

「わかった」

 飲み込めそうにない自分の食事はラップをかけて冷蔵庫へしまう。

「ちょっと早いけど、いこっか」

「おう」

 何をどうするのが、1番いいのかの判断ができない。俺にとってではなくて、深にとって何をどうするべきなのだろう。俺の判断は間違っていたのかもしれない。世界で最も信頼する相手なのだから、何も隠さずにすべて、深に話してしまえばよかったのかもしれない。

 俺たちはどこへ向かうのだろう。

 別れすぎている目の前の枝道と、そのどこへ進んでいいのかわからずに立ち尽くす俺はいつまでここに、立っているのだろう。




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