気づかれない女
☆気づかれない女
「おはようございます」
興輝に髪の毛を切られた翌日、私は何食わぬ顔で出社した。毎日あれほど私を餌食にしている“結婚できないトリオ”のことだ。しかも、3人もいるのだから、誰か1人くらいさすがに気づくだろう。
「おはよー」
「あー、直井ちゃん、これさー」
なんて、全然髪の毛のことには触れずに日常は始まった。“結婚できないトリオ”どころか、他の誰も何も言わない。まあ、あまり親しくない人たちは、私が髪の毛を切ったことに気づいても、何も言わないだけかもしれない。私だって、たいして親しくない人の髪型の変化に気づいたところで、わざわざ声をかけたりはしない。
「・・・私が焼肉おごるのかな・・・」
ひとりきりの屋上での昼休み。そろそろ日差しも強くなってきたから、お弁当を食べる場所を屋上から、給湯室横の休憩スペースに変えようかな、なんて、ぼんやりと考えていた。
「直井さん」
目の前がふとかげって、声をかけられて見上げれば、この暑いのに、この上なく爽やかな顔をして狭山さんが立っていた。
「あ、お疲れ様です」
とりあえず社交辞令的に挨拶をしてみれば、相手はふっと笑った。
「お疲れ。毎日ここで食べてるの?」
「あ、まあ、最近は」
拒否されたことがないのか、拒否されることはないと思っているのか知らないが、何の断りもなく、かなり近い隣に座られた。外での私は誰に対しても“楽しく明るい直井深”だから、拒否することはないが、正直言って、好きでもない異性・・・つまり、彼氏である相手か兄と興輝以外の男とこんな近い距離に座るなんて、迷惑以外の何物でもない。
「ご家族の怪我の具合、どう?」
「まあまあです」
「そっか・・・送り迎えがなくなったら、食事に付き合ってもらえる?」
「まあ、そのうちに」
言葉はそっけないように聞こえるかもしれないけど、飛び切りの笑顔と高い声で話せば、そんなものは十分ごまかせる。
「直井さん、付き合ってる相手とかいるの?」
狭山さんからの誘いを断り、なおかつ毎日のように会いに来られるのを終わらせるためには“いる”というのが正解だと思うが、この嘘がどこかから“結婚できないトリオ”に知れたらそれはそれでものすごくめんどくさい。だから私は仕方なく答える。
「いえ、特に」
「意外だな・・・そんな美人なのに」
“美人”であれば、付き合っている男がいるのが当たり前なのだろうか?そもそも私は、“美人”ではないし、この歳まで独身で、いまさらこんなことを言われて素直に喜べるほどかわいくもない。
「狭山さんこそいないんですか?」
イケメンだと噂の営業部のエースは私の質問に思いきり苦笑した。
「ははは・・・いたらとっくに結婚してるよ」
「結婚したいんですね」
私が言えば、相手は驚いたように顔をあげた。
「いや、まあ、この歳になると、結婚してる友達のほうが多くなるしね」
結婚してる友達・・・興輝を除けば、私なんて、全員そうだ。もともと女友達が多いほうではない。
学生時代から近づきがたいと評判のわりに陰で意外にもてていた興輝の幼馴染というだけで、女の子からは妬まれることのほうが多かった。そのがたいの良さといかつい容姿で一見とっつきがたい上に興輝は見るからに“話しかけんなオーラ”を出していて、告白なんかしてくる女の子も常にバッサリと切り捨てるような男だった。それなのに、そんな興輝が私にだけは常に他の子とは違う、気遣うような態度で接するものだから、私への妬みというのは、興輝に好意を寄せている女の子であれば、だれもが少なからず持っていたものだと思う。その中で唯一の例外が美希だった。だから美希とは仲良くできたし、私は初めて、興輝に女の子を紹介した。高校時代にしばらく二人は付き合っていたが、やがて別れてしまった。原因は私だったが、美希は何も言わず、その後もずっと、今も、一昨年の自身の結婚式でのブライズメイドを任せてくれるくらい、私を大切な友達にしていてくれている。
「そろそろ時間なんで、戻りますね」
カラのお弁当箱を片手に、私はゆっくりと立ち上がった。続いて狭山さんも立ち上がる。いつにない至近距離で立った私たちの身長差は、10㎝ほど。日常的に興輝と居る私には、やっぱり、なんだか物足りないような気がした。三井もそうだが、私が好きになる相手は、いつも興輝と同じくらい長身で、興輝と同じようにスポーツマンで、男っぽい性格で、元をたどれば、どこかで必ず興輝に行きあたるのだ。それがなぜかはわからない。
「直井さん、午後、ちょっとやってもらいたいことがあるんだけど・・・」
戻る間のエレベーターの中で言われた。
「すみません、今日ちょっと立て込んでて、他の人に頼んでもらってもいいですか?」
私は初めて、狭山さんの頼みを断った。
理由はわからない。ただ、彼も私が髪の毛を切ったことには気づかなかった。




