表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

最初に戻す男


☆最初に戻す男

 深の髪の毛を切ったのは、決して掃除するのが大変だからという理由だけではない。まあ、もちろん、それも大いにあったが、もう一つの理由のほうが大きくて。それはきっと、ただの信憑性のない、ジンクスのようなものなのだろうけど、俺は戻したかったのだ。深が髪の毛を今までで最も短く切ったあの日に。

「なんか変な感じ」

「いや、そうでもないぞ」

 化粧をした後、珍しく鏡を見ている深が言い、俺は返した。

「そうでもないって言うかさ、“似合ってるぞ”とか、言えば?」

「似合ってるぞ」

「心にもないこと言うのやめたら?」

 言えというから言えば、そんな言葉が返される。

 実際的に、ロングヘアーの深を見慣れてきているからなのか、肩にようやくつくというところまで短くなった髪型は、自分で切っておきながらなんだが、深に似合っているかどうかと真剣に問われれば、返事に困るものがあった。

「まあいいや。見てても伸びるわけじゃないし」

 切り替えが早く諦めがいいのは深の長所だ。本来ならば、髪の毛を無理に切ったのだから、俺はもっと彼女に咎められるべきなのだろうが、特にそう言うこともない。ただ、週末に焼肉食べ放題に連れていけというのが、深なりの俺への仕返しらしかった。

「こんなに切って何か言われたらめんどくさいな」

「なにかって?」

「んー、“失恋したの?”とか?」

「高校生じゃあるまいし。大体にして、おまえの髪が短くなったことなんか、誰も気づかないかもしれないぞ」

「まさか、こんなに切ったのに?」

 明らかに短くなった髪の毛先を指に巻き付けながら、深は訝しげに俺を見る。

「今日一日で誰が一人でも気づいたら、焼肉は俺がおごる」

「・・・誰も気づかなかったら?」

「おまえのおごりだな」

 にやりと笑って言えば、深は一瞬だけ不満そうな顔をするも、気づかれる自信があるのか、納得したらしい。

「わかった」

「じゃあ、そろそろいくぞ」

「はーい」

 

「鬼藤先輩」

 駅のホームで電車を待っていると、これまた思いがけない、懐かしい相手に声をかけられた。

「伊藤か」

「お久しぶりです」

 高校生の頃と変わらない華奢な体にスーツを着て、あの頃と同じショートヘアに控えめな化粧。先日再会した高橋と仲が良かった後輩だ。

「私、時々駅で鬼藤先輩みかけてたんですよ」

「声かけてくれればよかったじゃないか」

「なんか、外だと鬼藤先輩話しかけづらいです」

 話しかけづらい。は、俺の第一印象で最もよくあるものだ、と、いつか深が言っていた。確かに話し上手ではないことは自覚しているし、あまり知らない相手と打ち解けて話すことも得意ではない。それはきっと深も同じだが、深は“明るく楽しい直井深”を演じているので誰もそんなことには気づかない。ただ俺には、深のような演技の才能がないという、その違いなのだと思う。

「じゃあ、今日はどうして声をかけた?」

「骨折してたんで」

 伊藤の答えは意味不明だ。部活をしていたころから伊藤は割と意味不明だった。高橋もその話口調や行動から“不思議ちゃん”と言われていたが、俺としては、高橋と一緒にいる伊藤のほうが常に意味不明だった。言動も考え方もどこかほかの後輩たちとは違っていて、それはなぜか、素でいる間の深を思い出させ、俺は他の後輩と比べれば、ほんの少しだけ、伊藤を贔屓していたかもしれない。

「骨折してたら話しかけるのか?」

「先輩、毎朝奥さんに送ってもらってるんですね」

 伊藤も高橋と同じく、見事に人の話を無視して別の話題に進む。それは高校時代からあまり変わっておらず、当時はその礼儀のなさにたびたび怒りを感じて注意もしたが、いまとなっては微笑ましい。

「結婚してないって、高橋から聞いてないか?」

「最近高橋連絡とってないんで・・・そんなことより、洲鎌先輩って、いまどこにいるんですか?」

 更に話題は別のところへ容赦なく飛ぶ。

「さあ、高校卒業してから、ほとんど連絡とったことないからな・・・世界のどこかにいるだろってくらいしか」

「私、成田空港で働いてる高校のときの同級生がいるんですけど、その子が先週、洲鎌先輩にそっくりな人見たって言ってたんですよ。だから、もしかしたら、鬼藤先輩には連絡とか、いってるのかなって思って」

 伊藤が俺に話しかけたのは、俺が骨折しているからじゃない。あいつのことを訊きたかったからだ。これはただの勘だが、この前会った時に高橋が言っていた“洲鎌先輩のことを好きだった友達”というのはおそらく伊藤のことだったのだろう。

「特に何の連絡もないな」

「じゃあ、見間違いかな・・・洲鎌先輩が戻ってきてるとかなら、久しぶりに飲み会とか、どうかなって思ったんですけど」

 話している間に電車が来て、俺と伊藤は乗り込んだ。

「まあ、連絡が着たらな」

「はい!楽しみにしてます!」

 伊藤は今もあいつのことが好きなのだろうか。それともそれは、ただの憧れのような感情なのだろうか。最後に会ってから、もう何年も経っている。きっと伊藤があいつに会いたい理由は後者だろうが、深は違う。

 数年ぶりに耳にした親友の目撃情報を、ありがたいとも嬉しいとも思えない上に、疎ましく感じた自分の心の醜さに、俺は愕然とした。

 深を思うのなら、もう、来ないでほしい。来るのなら、もっと早く来てほしかった。この10年、一体何をしていたんだ?どうして約束通りにしなかった?どうして俺にさえ、いや、深にさえ、何の連絡もよこさなかった?

 どう考えても、責める言葉しか思い浮かばない。

 俺はきっと、おまえに会わないほうがいい。それが俺たちの友情という名の絆を保つ、きっと最後の方法だから。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ