選挙に行く男
☆選挙に行く男
「深、いい加減にしろ」
骨折生活の2週間目がやっと終わり、週末は実家に帰るのかと思っていた深は何食わぬ顔で昨日も今日も普通に俺の分の洗濯物も干して、俺の作った飯を食って、日曜の昼になろうとしている。
「行くぞ」
「行くならひとりで行って」
「おまえもいくんだ」
「めんどくさい」
政治にも、世の中にも興味のない深は、選挙に行く気が全くない。それを毎回どうにか説得して連れて行っているが、毎回毎回抵抗に遭う。
「大体にしてさ、骨折してる上に風邪引いてるんだよ?それなのにそうまでして選挙に行きたいわけ?」
「行きたいんじゃなくて、行くんだ」
「なんで?」
「権利だから」
「私は権利を放棄します」
小学生と話したほうがまだ理解が得られそうだ。
「とにかく、行くぞ」
「いってらっしゃい」
「おまえも行くんだ」
「・・・・・・」
化粧をしていなくてもくっきりとした深の瞳が恨めし気に俺を見上げる。
「帰りにアイス買ってやるから」
いまどき小学生でも騙されないようなことを言ってみる。小学生は無理でも、深なら騙せるかもしれない、と思う。”アイス”の誘惑に、深はしばし考えて口を開いた。
「・・・帰りに夢庵でお昼ご飯もおごってよ」
「わかったよ」
なぜか俺がアイスを買って昼飯をおごるということで話は決着し、直井家に寄って深の投票用紙を受け取り、歩いて15分(普段の俺なら)の公民館へ向かった。
「歩くのおっそいよ。だから車で行こうって言ったのに」
俺に歩調を合わせることもなく数メートル先をすたすたと歩きながら、数メートル後ろの俺に向かって難なく聞き取れる声で文句を言う。公民館の前の階段でやっと立ち止まり、早くしろとばかりに俺を待つ深の機嫌の悪さは最高潮だ。
「公民館の駐車場狭いし混んでるだろ。それに、駐車場があるのはお年寄りが歩いてくるのが大変だからだ」
歩く速度が男並みの深に追いつこうとしたおかげで、さすがに若干の息切れを感じながら言えば、間髪入れずに突っ込まれる。
「自分だって大変じゃん」
「俺は体力があるからいい」
中に入って投票を終え、外に出ようとしたところで悲鳴のような声が俺を呼び止めた。
「鬼藤せんぱ~い」
恐ろしく高く響き渡ったその声は、俺を一気に10年前に引き戻した。
「高橋・・・?」
あの頃とそう変わらない、背が高くてやせ形で、背中にかかるロングヘアーの、ハイテンションで恐ろしく高い声のままの後輩は俺めがけて駆けてきた。
「久しぶりだな・・・高橋、地元こっちじゃなかったろ?結婚でもしたのか?」
遠い記憶をたどって後輩の素性を思い出す。
「違いますよぉ~。親の都合で引っ越してきたんですぅ~」
相変わらず高い声のまま、語尾を伸ばす話し方も変わりない。
「鬼藤先輩結婚されたんですねぇ~」
懐かしさに浸っていたら、次いで繰り出された高橋の一言に、俺はしばし固まった。
「・・・は?」
「毎朝奥さんに駅まで送ってもらってるの、伊藤がみたって言ってたんですよぉ~」
俺は反射的に深を振り返った。
「いや、あいつは・・・」
「っていうか鬼藤先輩、また骨折されたんですね~」
俺が弁解しようとするのを見事に無視して、高橋は次の話題に移る。
「またって言うな、またって」
深のことを弁解する前に話題は俺の骨折に移り、そして深を巻き込んでさらなる展開を見せた。
「あ~、っていうか~、鬼藤先輩の奥さん、洲鎌先輩の彼女さんでしたよねぇ~」
俺が帰りそうにないと踏んで俺のそばに戻ってきた深の顔を見た瞬間、高橋はとんでもないことを思い出したうえに、空気を読まずにそれを口にした。
「あ、うん、そうだね。っていうか別に、興輝と結婚してないけど」
戸惑うことなくさらっと言い切った深が、内心どれほどの傷を受けたのか、俺はこの時測りかねた。
「そうなんですか~」
「うん、興輝が骨折してる間だけ興輝の送迎してるだけ」
「そうなんですか~」
それ以上何も思い出さないでくれ。深には何も言うな。
心の中で強く念じたところで、高橋にそれは通用しない。
「私の友達、洲鎌先輩のことがすっごい好きで~、もう、彼女さん発覚で大失恋でしたよぉ~」
深の反応が気になってみたが、深は高橋の話に屈託なく笑い、いつの間にか“明るく楽しい直井深”の演技が始まっていた。
「洲鎌先輩って超優しくないですか~、高校時代、鬼藤派と洲鎌派に分かれて派閥があったんですよぉ~」
「ほんと?ウケるね!」
普段よりもツートーンくらい高い声で話す深は、あっという間に俺の知らない女になる。笑い上戸で楽しそうに、屈託なく笑って高橋のくだらない思い出話に相槌を打つ。
「私は鬼藤先輩のファンクラブはいってましたから~」
高校時代の馬鹿な話をしている高橋と心底楽しそうに談笑している深が、俺には痛々しくて見ていられなかった。もう、これ以上深を傷つけないためには、一刻も早くこの場から連れ出すしか、俺に選択肢はなかった。
「深、帰るぞ」
「あー、はいはい」
「高橋、またな」
「今度飲み行きましょうね~、直井先輩もきてくださいねぇ~、洲鎌先輩も呼んで~」
飛び跳ねそうな勢いで手を振る高橋に背を向けて、俺は黙々と家路をたどることにした。
「楽しい子だったね」
「まぁな」
「なに繋がり?」
「部活の後輩」
「まじ?あの子あのノリで弓道部?」
「しかも俺の次の主将だった。ああ見えて、高橋意外とすごいんだぞ」
「人って見かけによらないね」
家に戻るまで戻らない深の声のトーンに俺はもっと、何かを感じるべきだったのだと思う。




