弁当を食べる女
☆弁当を食べる女
「直井ちゃーん、今日は直井ちゃんの好きな“ゲント”でワッフルランチにしようって」
今日は出社していないのか、まだ1度も狭山さんにつかまってはいない。昼休みまであと10分。早くもフライングで始まりそうな地獄のランチタイムだけど、今日は、参加しない。
「あ、私今日、お弁当なんで」
そう言ってにこりと笑う。さあ、みんな、私のことなんか放って外でランチしておいで。
「ええっ!」
「マジで?どうしちゃったの?」
「さては花嫁修業?」
勝手に盛り上がる彼女たちをよそに、私は残り5分で仕上げられそうな入力に手を付ける。
「もしかして、狭山さんにお弁当作っちゃったとか?」
「きゃー!直井ちゃんってば積極的!」
「いつからそんな関係に―?」
私は参加しないけど、今日のランチタイムの話題もどうやら決定だ。今週に入ってからほとんど毎日話題の中心は私と狭山さん。毎日毎日、進展してもいない上にしようともしていない私たちをおかずに、よくもまあ、飽きないものだと感心する。
「じゃあ、私はお弁当なんで」
にっこり笑ってひとりオフィスを後にする。
「お天気いいから屋上でもいこっかな・・・」
高いところから外を見るのが好きだ。空を眺めるのも好きだ。でも、気づけばそんなことをしようと思ったのは、もはや何年ぶりなんだろうって感じ。昔は興輝と夜に走りに行って、ついでに河原で星なんか眺めて時間も忘れてぼんやりしてた。でも、大人になったらくだらないことの相手をしている間にくたくたで、そんな時間を持つことすら忘れてたなんて、大人って本当につまんない。でも、私はもう、大人以外の何かになることはない。
子供は大人になれるのに、大人は絶対に子供に戻れない。
そんな当たり前のことに、いまさら気づくなんて。
「・・・・・・」
人のまばらな屋上で、興輝が作ってくれたお弁当を広げる。昨日の残りのから揚げと、きれいに焼かれた卵焼き。可愛いプチトマトに一切れの焼き鮭。胡麻和えにしたほうれん草のお浸し。今朝のご飯が炊き込みごはんだったわけは、多分、このお弁当に入れるためだ。
冷凍食品なんて一つも入ってない・・・ただ単に急だったから、冷凍食品がなかっただけかもしれないけど。私よりずっとマメで、器用で料理上手で家事も何でもできて、よっぽどいいお嫁さんになりそうだ・・・女だったとしても、でかすぎるから嫁の貰い手がないかもしれないけど。
「まあ、そしたら私がきっと男だからもらってやれるな・・・」
なんて、馬鹿なことを考えて、雲がいい具合に流れる空をぼんやりと見上げて、何も考えずに安穏としていたら、昼休みの終わりを告げるアラームが鳴って、私はオフィスに戻った。
「ちょっと直井ちゃーん!」
フライングな上に化粧直しのせいでたっぷり5分はタイムオーバーなランチタイムから帰ってきた“結婚できないトリオ”は私を見つけるなり声をそろえて悲鳴を上げた。
「はい?」
「ちょっと今日なんで来なかったのよー」
―――弁当だったから―――
「ものすっごいことが起きたんだからー」
―――“ものすっごいこと”なんて、世の中そうそう起きるもんじゃない―――
「狭山さんと一緒になったの~」
―――よかったじゃん―――
それぞれの言葉に律儀に心の中でだけ返事を返して、表の私は『それは偶然ですね』っていつもの地声よりも2トーンは高い“明るく楽しい直井深”で答えた。
「それが、狭山さんってば、直井ちゃん探してたみたいなの」
「私ですか?」
「そうそう、私たちのテーブルに着た途端、『あれ、直井さんは?』だもんねー」
「なんでですかね?」
「決まってんじゃん!直井ちゃんとランチしたいからでしょ!」
―――絶対いや。絶対むり―――
心の中では即答したけど、そんなこと言ったらまたなに言われるかわかんないから声に出さずにとどめておく。
「明日は一緒にきてよ。狭山さんが美味しいイタリアンに連れてってくれるって約束したんだからー、きゃー」
―――いい年して“きゃー”って何?女子高生?見た目はババアなのに?―――
「あー、いやー、明日もお弁当のつもりなんで・・・」
「なんでー?」
「っていうかなんで急にお弁当?」
「今までお弁当なんて持ってきたこともなかったのに」
―――弁当作ってる時間があったら眠りたいから―――
「ちょっと、ここのところお金なくて・・・」
もっともありがちな言い訳だけど、これで間違いない!
「大丈夫だよ、明日は俺がみんなにご馳走するから」
間違ってた!
最悪のタイミングで最悪のセリフを聞かれた。どこからいつ現れたのかは知らないが、昨日一昨日、更には月曜日と同じように入力してほしい書類を片手に狭山さんがやってきた。
「ほんとですか?」
「素敵!」
「ラッキー」
“結婚できないトリオ”が感嘆の声をあげる中、私は何と答えたら地獄のランチタイムを逃れられるかに全思考を使っていた。
「だから、ね?」
首を傾げてにこりと微笑む表情はエースの最強の武器かもしれないけど、あいにく私には通用しない。その中性的な感じはむしろ、男として逆効果。
「え、あの、でも、ご馳走してもらうの申し訳ないんで」
「そんなことないよ。いつも直井さんに助けてもらってるしね」
―――仕事だからやってんだよ!―――
「でも、お弁当を作ってくれる相手に断わるのも悪いので」
昼休みの平穏欲しさに言ったこの言葉は今日最大のミス。
「お弁当って、自分で作ってるんじゃないんだ?」
「え、あ、そ・・・」
「誰に作ってもらってるの?」
―――この歳になって弁当作ってもらってるってなんだよ!―――
いや、事実作ってもらってるんだけど・・・。
思わず自分に突っ込んだけど、もう遅い。
「それは・・・兄・・・」
のような相手。
「へえ、直井さんのお兄さんってどんな人?」
本物の兄は興輝よりやや身長低めで若干天然パーマーの、のほほんとした覇気のない穏やかで優柔不断な男。そう、妹の私とは正反対の心優しい人なのだ。しかもとっくのとうに家を出ているから、かれこれ5年、一緒に住んだことなんかない。
対して興輝はがっしりとしたがたいのいい身体に意志の強そうな眉と勝気な釣り目がちの大きな瞳、何事にも即断即決で迷うということがそもそもないのではないかと思うような、真っ直ぐな人。
「・・・割と気が強いいかにも男っぽい感じの人です」
うん、お兄ちゃんごめん。
「はは、じゃあ、あんまり似てないんだ?」
「まあ、そうですね」
ううん、本物の兄と私は全く似ていないけど、興輝と私は性格的に強い部分が酷似してる。ただ、興輝は毒を吐かない。正論をはっきりと言い切るだけで。
「じゃあ、お兄さんがお弁当を作れない日にでも、また誘うよ」
この相手に合わせる柔らかい雰囲気といつでも準備されてここぞとばかりに最大限に発揮されるフェミニスト精神が、私は何よりも嫌いだった。
なぜって、あいつを思い出すから。




