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四月二十日




 家から駅まで20分。

 私はこれで世界一幸せ。



 四月十二日

☆骨折から始まる日常

「・・・人生3度目の骨折?」

 呆れたようにしかめられた左眉ときりりと引かれたアイライン。黙ってりゃあそこそこの美人な顔して口を開けば猛毒を吐く。初対面の相手ならば引くだろうが、かれこれ25年、この毒牙にかかり続けている俺はすでに免疫ができている。

「・・・4回目」

 1度目は小学校3年のとき(右腕)。

 2度目は中学2年のとき(左膝剥離)。

 3度目は高校3年のとき(左脚)。

 そして今、30歳を目前として4度目の骨折(右脚)。

「まあいいや。何回目でも・・・とりあえず、帰るよ」

 迎えに来てもらった立場だから文句は言わないが、すたすたと不自由なく前を歩くあいつとの距離があまりにも離れすぎて驚く。

(こう)()?」

 駐車場で振り返って呼ばれた名前。その距離はとても遠いが、小柄な見た目に反して大きく通るその声は俺の耳にはっきりと聞こえた。

「まだそこ?歩くのおっそ!」

 そりゃ松葉づえだからな・・・久しぶりの。

「ちょっと待て・・・」

 駐車場に停められたライムグリーンの軽自動車は思い切り座席を後ろに下げてもやや狭い。日本人として若干育ちすぎた185cmの長身と武道によって鍛え上げた体躯をしばしば呪いかける、ごくまれな瞬間だ。

「あはは・・・ごめんねー、ちょっと狭かったねー」

 “ごめんね”という言葉がこれほど軽くて意味のないものに聞こえることもそうそうない。悪いなんて、ひとかけらも思っていないだろ、おまえ。

「いや、ありがとう」

 俺は俺なりに心を込めた礼のつもりだが、それは大音量で流れ始めた早すぎる“君こそスターだ”にかき消された。


「じゃあ、明日何時?」

 家に着いて、家の前にある三段ばかりの段差にすら苦戦してやっとたどり着いた玄関の鍵を開ける。こんな時ですら俺にドアを開けさせて先に家に入り勝手知ったる様子で電気をつける。すたすたとリビングにあがり電気をつけて、俺はまだ、玄関のたたきでどうやって靴を脱ごうかと思案している最中だというのに。

「夕食はパスタでいーい?」

 答えていないのに勝手に鍋を出してお湯を沸かし始める。そのころになって、ようやく片方靴が脱げた。曲げられない脚はこれ以上ないほど邪魔だ。普段は大して気にならない玄関の床に置いてあるステンドグラスのランプすら邪魔に思えてくる。そして今となっては俺は、それを移動させることすらできない。

「明太子でいこー」

 晩飯のメニューについて答えなかった俺に対して、味付けさえも自己完結。

「悪いな」

 ようやくリビングにたどり着いて、曲がらない脚で松葉づえをつきながらキッチンをのぞく。

 幼いころからあまり変わっていない我が家。昔ながらの大きすぎる食器棚に、そろそろ寿命が来るのではないかと日夜疑いつつ使っている冷蔵庫。魚焼きの火加減がいまいちだと思いながら使っているガスレンジ。子供の頃は並んで座っていたベンチ式の椅子。

「そろそろかなー・・・ってあっつ!」

 がらんっ!という音とともに床に転がった鍋の蓋があいつの足にぶつかりそうになり慌てて松葉づえでよけてやれば、そんなことには気づかずにやけどした指を眺めている。

「おい、冷やせよ」

「へ?」

「火傷だろーが」

 なれない松葉づえを放り投げてシンクを伝って傍へ行きその手首を掴んで流水で冷やす。

「大丈夫だよ、こんなことまでしなくても」

「大丈夫じゃね・・・うわっ!」

 目を離したすきに吹きこぼれた鍋。

「あー、麺こぼれた!」

 小学生のときの調理実習よりも手際の悪い夕食に、作ってもらっている立場ながらに頭を抱えかけた。これだから、俺は人に何かを頼めない。見ているだけでイライラしてしまう。こんなことなら、何もかも、自分でやった方がいい。

(しん)、あとは俺がやる」

「なんで?」

 お前が火傷したらから。怪我をされるのが怖いから。危ないから。俺がやったほうが早そうだから。俺のほうが料理がうまいから。

「危ないから」

 理由はいろいろあるが、一番納得しやすいものを選ぶ。

「興輝のほうが危ないじゃん。っていうか、脚折れてんだからおとなしく座ってなよ」

 おとなしく座っていられるものならそうしたい。

「いや、おまえが座っててくれ」

「なんでー?」

 他人がいれば見た目通りの大人っぽさを発揮する幼馴染は二人きりになればまるでわがまま放題の小学生。物わかりの悪さは幼稚園児並ときている。

「おまえが座っていてくれたほうが俺の心が休まる」

「ふーん」

 指を流水に晒すのに飽きたあいつはダイニングの椅子に座ってテレビをつけてアニメを見始めた。

「明太子バターにしてね」

「おう」

 ゆであがった麺をざるにあげ、バターと明太子を混ぜて麺と絡めたところで気づく。

「・・・深、運んで」

「はーい」

 子供のように間延びした返事。二人分のパスタを食卓に運んで向かい合わせに座って食べ始める。

「いただきます」

「いただきます・・・あ、でさ、結局明日、何時?」

「ん?」

「いや、脚治るまで駅まで送るよ。どうせ私より早く出るんでしょ?」

 この家から駅まで大体20分・・・歩いて。

「バス乗るからいい」

「バス停まで5分だよ?」

 今の俺だとそれ以上かもしれない。

「大丈夫だ」

「じゃあ、6時に来るからね」

 人の話聞けよ。

「早ぇな」

「じゃあ6時半」

 結局うまい誘導尋問に引っ掛かり甘える羽目になってしまう。父より、母より、姉より、何よりも手ごわいのは、“直井深なおいしん)”かれこれ25年、最終的に、俺は勝てない。



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