白球を追う君に
夏休みでもない平日。アスファルトを焦がす日差しと青空と入道雲、そして空気が震えて見えるほどのセミの声。大学一年生の紺は、下宿にこもり、テレビを見ている。
放送しているのは、高校野球Y県大会の様子だ。
まばらなスタンドでは、観客がタオルで汗を拭き団扇を使う。画面から暑さが染み出してくる。
『富士見ヶ丘、一番泉君が見逃し三振に倒れ、四回裏ツーアウトランナー一塁、バッターは、今日は三振ふたつと振るわない二番炉辺君となりました』
活舌の余り良くない地方局アナウンサーが実況を淡々と述べる。
高校野球と言えば、予定の無い平日昼間を所在無く過ごすときのお供と相場が決まっているものだ。今や全国の県大会が日本中どこでも受信できるのだから、暇つぶしには格好のコンテンツとなっている。が、紺の場合はそうではない。むしろかじりつくように見入っている。
それもそのはず、今、県大会決勝戦で甲子園出場をかけて戦っている富士見ヶ丘高校は、紺がこの春まで通っていた高校なのだから。
それにしても、ただ母校の決勝を生で見るだけのために大学の授業をサボるものだろうか。
テレビの画面の中で、バッターの炉辺が、初球を見送る。
審判が、ストライクをコール。
きわどいところでボールが変化してストライクゾーンを通過したのだ。
二球目は、大きく外れて、ボール。
炉辺は、構えたバットを振り下ろし、もう一度振りかぶってから、ヘルメットを持ち上げ、ピッチャーをキッとにらんだ。
ピッチャーは、一塁走者を一瞥すると、クイックモーションで得意のスライダーを投げる。
ここだ、と狙いを定め、炉辺は大きくスイング。バットはその芯から一センチメートルほど下の面でボールを捕らえ、大きく弾んだボールは、セカンド正面へ転がる。
『打ちました。ボールはセカンド、落ち着いて処理してスリーアウト。この回も富士見ヶ丘無得点、両校初回得点のみ、1対1の接戦が続いています』
母校の甲子園出場の土壇場、だが、紺は、緊張の面持ちと言うよりは、見守るようなやさしげな視線で、アウトとなってベンチに帰っていく炉辺の背中を見つめている。
* * *
それはちょうど一年前。甲子園出場経験を何度か持つY県立富士見ヶ丘高校野球部は、この夏も甲子園出場を果たしていた。
その中でも活躍を認められていたのが、一年生ながらレギュラー入りした、炉辺五郎だ。
正確な状況判断と類まれなるミート力を認められ、彼は不動の一番打者を勤めていた。彼が打席に立てば必ず走者が出る、とまで言われていた。
だが、そうやって勝ち進んだ甲子園第三回戦。
大会真っ只中に発売を迎えたある週刊誌が組んだ特集が、彼らの運命を狂わせた。
『第一期環境成長型ロボット”炉辺五郎”君、甲子園で大活躍!』
赤と黄の装飾文字で見出しが躍った。
ありていに言えば、炉辺五郎は、ロボットだったのだ。
それは、政府の社会実験だった。
ロボットとは、膨大なデータベースに基づく知識や、高性能の電算能力に基づく判断力、機械性能に基づく超人的能力をもって社会生活に資するものだ。
だが、そういった画一的なロボットがある程度普及すると、ロボットに期待するところが徐々に変遷し始めた。
ロボットに創造的な仕事を担わせようというのだ。
正確なデータベースや計算機能には、それは難しかった。彼らは間違えない。機能美以外の創造性を持たせるのは困難だった。
そこで考えられたのが、無垢なロボットに人間と同じような経験と教育を施そうというものだった。それも、ただ機械的にそれを行うのではなく、時間と時代に伴い推移する環境も含めてそれを与える。つまり、0歳に出生し、父母にはぐくまれ幼年教育を受け、小学校で友達を作り、中学校で受験を経験し――そうして大人になった彼らは、同年代と同じ経験をし、彼らと同じように間違い、彼らに共感し、彼らに受け入れられる何かを生み出せるはずだと考えられたのだ。
考えてみよう。
ある妙齢の女性に、『私、何歳に見える?』と尋ねられたら。
よく訓練されたAIならば、ディープラーニングに基づく相貌分析でプラスマイナス二ヶ月以内の年齢を完璧に推定し、なおかつお世辞オフセットとしてマイナス二歳を加えた年齢を答えるだろう。
女性はそのAIの回答を喜ぶだろうか。
必ずしもそうではない。
相手が同年代か、自分よりずっと年上か、ずっと年下か。そんな条件によっては、喜ぶ答えも、きっと変わってくる。
仮に経験の少なそうな坊やが、ちょっと間違って二つくらい上の歳を答えてしまったら――あら失礼ね、なんて大人びた口調できり返し、そこから弾む話題と真っ赤になって萎縮する少年の初々しさとを楽しむこともできよう。
同年代の友人たちとの経験で育まれる年齢相応のブレや誤りまで再現することで、最後には人間に近しい創造性を得る――そんな期待を持たれているのが、この環境成長型ロボット社会実験であり、炉辺五郎は、全部で十台社会に送り込まれたうちの五号機なのである。
そうした事実が週刊誌で報じられるや、三回戦開始前に、大会運営部に山のようなクレームが入った。
いわく、ロボットが参戦しているのは公平でない、と。
これは議論を巻き起こし、異例中の異例ながら、三回戦の開始が順延された。
確かに、大会参加規程には、選手は定められた条件を満たす高校に所属していること、としか書いておらず、人間であることとは定められていないから、炉辺の参加は、正確には規定違反ではない。
とはいえ、人間よりはるかに優れた能力を持つ(と一般的には信じられている)ロボットが参加することは、常識的に考えて明らかな不公平だとする世論は覆しようがなかった。
二日間の議論の末、富士見ヶ丘高校は『特例で失格』とされ、富士見ヶ丘高校に敗れた高校は希望により敗者復活戦が組まれることとなった。
* * *
「……泣いてるのか」
甲子園から失意の帰着。時刻は夕方四時を回り、監督の悔しげな訓辞が終わると、炉辺は部室に引きこもり隅に座り込んでいた。それを見つけた、中学校からの親友、堺が声をかけたのだ。
「……泣いてないよ。もちろん泣きたいけれど」
炉辺は答える。
「僕のせいで失格になって……悔しいよ」
「五郎のせいじゃない、お前をレギュラーにしたのはみんなの総意なんだから」
堺は反論するが、いかにも理屈が空転している。
「でも、僕がロボットだから」
「みんな知らないんだ!」
堺は声を荒らげる。
「お前はロボットと言っても、筋力はみんなと同じなんだろ。そんなこと、実験の資料を見れば誰にだって分かるってのに……運営のやつら、そんなの見もしないで、ロボットだから不正だ、って」
彼の言うとおり、炉辺は、同年代と同じ経験を積むため、身体能力も同年代と同じになるよう調整されている。年に一度調整を受け、同年齢の体力記録のちょうど真ん中に位置づけられるのだ。
「野球なんて知らなかったお前が、みんなと同じように練習して球捌きもバッティングもゼロから学んだ……何もおかしいところなんてない」
堺が力説しても、世間はそうは思わない。超人的体力と無謬の野球アルゴリズムが炉辺を動かしていると、誰もが考えているのだ。
部室のドアが、再び、開閉する。
ガチャリという音と吹き込んできた熱風に、堺が振り返ると、彼らの同級生であり、一年でレギュラーとなった長身の泉と、小柄のマネージャー、西の姿があった。
「悪ぃ、立ち聞きしちまった。なんか……ごめんな」
泉が、苦笑いしながら低い声で言う。
「ちがうよ、謝るのは僕のほうで……泉君は才能もあって練習もすごくしてて一番がんばってたのに……僕のせいで……」
炉辺の声は、震えていた。もし彼が人間なら、両目から涙をこぼしていただろう。
そのわずかな変化に気づいた西は、炉辺のそばに歩み寄ると、パイプ椅子に腰を下ろした。
「……五郎君がロボットだってことは、しょうがないよ。悪いのは、ロボットだからって差別するほうだもん」
「僕は機械だから、差別されても仕方がない」
「そうかもしれないけど……このままじゃいけないと思うの」
西はそう言うと、その涼やかな瞳を、泉と堺に向けた。
「来年、絶対出ようよ」
それを受けた堺は、ややたじろぎ、
「来年になっても同じさ。ニュースで言ってたろ? 大会規定に『ロボット禁止』を盛り込むことを検討中って――」
「まだ盛り込まれてないってことよ」
堺の言葉にかぶせるように、西が反論する。
「来年、五郎君と必ず甲子園に行くのよ。できないってんなら、五郎君をのけ者にして甲子園目指すなんて言うんなら、私、辞める」
「俺だって辞める」
泉もうなずく。
堺は、そんな二人を見て、目を伏せた。口の中で小さく、そうだな、とつぶやき、
「やるだけやろうか」
二人の目線を受け止めて、微笑んだ。
炉辺は三人のやり取りを見て、それでも首を横に振る。
「……僕は……僕がレギュラーじゃなきゃ良いんなら、僕が辞めるよ。甲子園……みんなで目指してほしい――」
「ばーか!」
堺が炉辺の頭を叩いた。
「お前の意見なんて聞いてねーよ! 僕らがそうと決めたんだ、な!」
* * *
すぐには、事態は好転しなかった。
西を中心として始めたオンラインの署名活動では瞬く間に数万件の署名が集まったが、その署名をつけた大会運営部への意見書に対する回答は、こうだった。
『体力、知識に関して同世代並みという主張は理解するが、一般常識に照らし、高度な計算機と高精度の動作機構を持つロボットが高校生と同等の運動能力であるとは判じがたい』
体力も知識も同じなのに運動能力が違う、というのは、あまりに受け入れがたい主張だった。
呼びかけ人の西を助けていた、副主将で三年生の紺も、この回答には怒りをあらわにした。
「この回答書、新聞社に持ち込もう。おおごとにしてやる。ネットでもさらしまくってやる」
回答書のコピーを握りしめくしゃくしゃにしながら顔を赤くしている彼を、しかし、炉辺は片手を上げてなだめるようなしぐさを見せる。
「いいんだよ、みんながここまでやってくれたってだけで、僕はうれしいんだ。甲子園に出ることよりも、もっともっとうれしい」
彼は、同型のロボット並みに――つまり同世代の少年並みに――屈託ない笑顔を浮かべた。
「だが理屈に合わん。俺は、こんな回答、受け入れない」
誰もが、もっともだ、とうなずく中、西がぽつりとつぶやいた。
「……ほんとかしら」
「何が?」
彼女の隣にいた泉が思わず聞き返す。
「体力と知能が同じなら運動能力が同じ、って本当かしら、って」
「そんなもん、そうに決まってるだろ」
泉が西の疑義を否定するが、しかし、堺はそうは思わなかったようだ。
「……いや、それって真面目に考えたほうがいいと思う。『当たり前だろ』って言ってるばかりじゃ誰も納得しない。確かにこうこうだから同じだって言わなきゃならない。西はいいところに気づいたと思う――紺先輩」
彼の言葉に、紺もうなずく。
「そうだな、説得するにもちゃんと理論を――」
「ううん、そうじゃなくて」
先輩の紺を、西はさえぎって、続ける。
「……さっき、ふと思ったの。ほら、球速が百三十キロを超えると見てから振っても遅いって言うじゃない。それって、人間の神経の反応速度が追いつかないからで……実際はたぶん百キロでも結構あてずっぽうで振ってることって多いんじゃない? でも、炉辺君は、どうしてるの?」
西が炉辺に視線を振ると、彼は、それまで誰にも尋ねられなかったそれを説明し始めた。
「うん、ピッチャーがボールをリリースするところを観察する、それが何メートルか進んだのを見れば、ボールの方向と変化が見えるでしょ、それで、どの辺にボールが来るのかを予想して――あ、この予想は、ちゃんとみんなと同じ様にしてる……と思う――それから、バットをこの辺に振ろうって決めて――」
「……本当に?」
いぶかしげに返したのは、出塁率では炉辺に劣らない泉だ。
炉辺はおずおずとうなずく。
「……だとしたら、確かにそれはずるい」
泉はむしろ憤然とした表情に変わっている。
「でも視力も処理能力も、腕の筋肉の反応も全部みんなの平均に合わせてる……はず……なんだけど」
自分は平均的十六歳だ、という炉辺の自信は、にわかに揺らぎ始めた。
「俺らだったら、そりゃ、瞬間の反射神経ってのもあるけどさ、まずは、球種の読み合いだよな、リリースの瞬間まで。で、これはストライクゾーンに投げてくる、って読んだらバットを振り始める、ボールを見ながらバットの軌道を調節して」
そう思って見れば、確かに、炉辺の空振り率は恐ろしく低い。実は、マネージャーの西は、そこに違和感を覚えていたのだ。中学校でも野球部マネージャーをしていた彼女の経験が、ものを言った。
「悪いが西、もう少し調べてくれないか」
紺の命令に、西はゆっくりとうなずいた。
* * *
とある事実が判明し、事態は急速に転がり始めた。
その事実と改善提案について、紺が何度も大会運営部へ足を運んで相談した結果、ついに公開説明会が開かれることになった。
それがいよいよ翌週に迫ったある日の放課後、富士見ヶ丘高校図書室。開け放たれた窓から、涼しい風が吹き込む。空が真っ赤に燃え始めている。
「……というように、この実験に参加したロボットは、四つの無線回線で各地域のデータセンターに分散収容されたAIシステムに接続され、その伝達遅延は一ミリ秒以内となるように高度に制御されており――」
薄暗い室内でオレンジの光に照らされた西が読み上げるのを、泉が聞いている。
「――一方、一般的な人間の神経は――って、泉君、聞いてる!?」
ぽけーっと空中を眺めていた泉は、突然西の声色が変わったことに驚いて背筋を伸ばす。
「うわっ、聞いてる、聞いてるよ」
「どう? ここまでの説明」
「ああ、いいんじゃねえの?」
「ちゃんと分かるかな」
「さあ」
「さ、さあ……? ……あんたねえ」
西が、説明のために作りあげた資料と原稿、それを野球部や顧問、支援団体の人々に見せる前に、最後に、泉一人を呼んで、確認をしているところだ。
「だって、難しくてわかんねーよ、俺」
「だったらわかんないところ、言う! あんたレベルで分かってもらえなきゃ意味ないんだから!」
西は頬を膨らませて泉のネクタイを掴み、詰め寄る。
さしもの泉も、思わずタジタジと後ずさるしかない。
「……ほら、ノート開いて。分かりにくいところあったら、メモして」
「……ったよ、もう」
彼は不平をつぶやきながらも、話の途中で閉じてしまったノートを開き、ペンを持ち直した。
「じゃ、続けるよ。――一方人間の神経は、最も太いもので秒速百メートル、細いものではその半分以下の伝達速度であり、視覚情報が脳に到達するにはもっとも太い神経と仮定しても五ミリ秒、実際には十から二十ミリ秒を要し、脳から筋肉への命令が届くには四十ミリ秒以上が必要です。彼、炉辺君が他人より優れた反応を示すのは、まさにこの差が理由ということが分かりました。ですから、以下を条件として人間とロボットが同等であるとみなすことを提案します。一つ、視覚情報をデータセンターに届ける前に十ミリ秒の遅延を挿入すること、一つ、その他の体性感覚や筋肉への命令信号については四十ミリ秒の遅延を挿入すること」
調べれば調べるほど、当初の大会運営部の指摘が正しいと確信することになった。
実のところ、炉辺の能力は、人間より優れていたのだ。
神経伝達の遅延が小さい、というその一点において。
脳から筋肉への信号が、一ミリ秒で届く、この条件一つをとっても、人間よりはるかに優れていたことが、分かった。
だから、彼らは逆に、炉辺にハンディキャップを加えることで出場を認めさせよう――そんな戦略に舵を切ったのだった。
「なあ」
泉が口を開く。
「本当にそれで大丈夫なのかよ」
「そんなこと分からないわよ。だけど、――私は、全力を尽くす、だけ」
「……そっか。お前、五郎のこと、好きなんだな」
「そりゃ。……えっ、ちょ、待ってよ、そんな意味の好きじゃないってば。私が好きなのは……いや、そうじゃなくて! ほら、続けるよ!」
頬をふくらませた西の顔は、心なしか、夕日に照らされているだけにしては赤みが増しているようだ。その意味を知ってか知らずか、泉はまた眉間にしわを寄せて彼女の説明に何とか耳を傾けた。
* * *
大会の運営部は、決断した。
彼らの提案通り、ロボットには人間と同等になるハンディキャップを加えること。
それを、正式に大会運営規則に盛り込むことも約束した。
ハンディキャップの要となる『遅延装置』も、大会側が責任を持って用意すると約束した。
実のところ、公開説明会の前から、彼らの活動に好意的だった多くの団体や企業が、その準備を進めていたのだ。
だから、遅延装置はすぐにとあるネットワーク機器メーカーから提供され、炉辺のネットワークに挿入されることになった。早く練習を始めて慣れた方がいいだろう、とのことだった。
そうした話を公開説明会の場で初めて聞かされた副主将の紺は、男泣きに泣いた。彼の高校生活の、最後にして最大の報いとなった。
* * *
「……うわわ」
授業が終わり、炉辺が教室の扉が開ききる前にくぐろうとしてぶつかりかける。堺がそれを見て笑う。
「ははっ、ずいぶんとおっちょこちょいになったな!」
「わ、笑わないでよ、あの装置を入れてからずっとふわふわしてるんだ」
「それが僕らと同じってことさ」
「……大変だね、人間って」
と言う彼の口調は、軽口のそれだ。
「お前がずっとズルしてたなんて知らなかったぞ。これから練習して絶対お前を追い抜いてやるからな」
同じ口調で、堺も返す。
「負けないよ。まだレギュラーは僕なんだ。突き放してやるよ」
* * *
最終回がめぐってきた。
相変わらず一対一のままの対戦は、富士見ヶ丘高校の最後の攻撃でチャンスを迎えていた。
フォアボールで出塁の九番を一番泉が犠打で送り二死二塁。
バッターは、炉辺五郎。
ここで一打を放てば、サヨナラ勝利で甲子園出場が決まる。
彼らを応援してくれていた紺も、必ず見に来る、と言っていた。
遠方の大学に進学したから簡単には行けないかもしれない、と言っていたが、ともかく、どこかで見てくれているはずだ。
ピッチャーが、グローブの中で握りを確かめるのが見える。
一球目は外角低めのボールだった。
次は。
また、外す。
きっと外す。
炉辺のAIが、振りかぶったピッチャーが放ったボールの軌道分析を無意識に始める。
視覚情報は十ミリ秒後にデータセンターに届き、三次元解析でボールの軌道を正確に推定する。
外角やや高めに入ってくる。
炉辺が一番得意なコースだ。
だが、スイングしようという考えをぎりぎりで止める。
なぜなら、これが分かった時にスイングを始めても、振り遅れるのが分かっているからだ。
予測通り、外角高めのストライク。
ワンボール、ワンストライク。
炉辺はもう一度バットを握りなおした。グリップが、ギュッ、と音を立てる。
――次は、ど真ん中。
四回の同じカウントのとき、僕はそれで打ち損ねている。
高めに来ると読んだスイングを外された。
だから、絶対、ど真ん中に入ってくるスライダーだ――。
ピッチャーのモーションが始まる。
振りかぶった腕がボールを放つ瞬間には、炉辺はスイングを始めていた。
バットがうなる。
陽炎がちぎれて舞う。
投じられた白球は内角高めからじわりと変化して――。