鋼鉄の淑女
鋼鉄の淑女
「永に手を出したのか?」
報告を聞くなり本部からの使者は不機嫌に言い放った。担当者の到着まで監視するように命を受けていた支部の役人は頭を下げる。
「申し訳ありません。見つけても、まずは報告するように通達しておりましたが、以前つけられた報奨金の高さに目が眩んで、自分たちの手柄にしようとしたようです」
あるいは無理のないことかもしれない、と役員は思った。問題の男につけられた金額たるや、襲撃に参加したもの全てが遊んで暮らせるような額だったのだ。
だが、少しでも頭のある人間ならば、裏とはいえ、それだけの賞金をかけられ、なおかつ二年もの間逃げおおせている事実の意味に気づくだろう。役員も報告されるまで迂闊にもその事実に思い至らなかった。
累々たる屍を目の前にして、改めて通達の意味を思い知ったのである。
「……迂闊なことだ。何人だ」
「死亡したのは十人です。こちらで手を回してもみ消しました」
調べられれば立場が悪くなるのは魔道師ギルドのほうだ。強盗を返り討ちにしても罪には問われない。その強盗がギルドの子飼いともなれば、いかに政治的に手を回そうと、評判が落ちるのは否めない。
死人には気の毒だが、何もなかったことにしなければならない。幸いにして討ち取られたのは身元も不確かなゴロツキどもだ。ある日いきなりいなくなっても、誰も騒がない。
「待て、死亡したのは、だと? 生き残りがいるのか?」
「はい。そのものの手配で、死体は人目に触れずに処分いたしましたので、何も起きなかった事にしてあります」
使者は考える様な素振りを見せた。ややあって役員に尋ねる。
「……無傷なのか? その生き残りは」
「はい。報告書は出させましたが、直にお聞きになるほうがよろしいかと、別室に控えさせてあります」
「……会おう。永相手に生き残るとは、貴重な存在だからな」
部屋での待機に飽きてきた蹄は、机の上に足を乗せるというだらしない格好をしていた。
蹄はあの後ギルドへの連絡を済ませ、せっせと後始末、証拠隠滅に働いた。体を使う仕事の方が、報告書の提出やら弁明よりはましだった。自分がしたことでもないのに、弁解しなければならないのは馬鹿らしい。しかし何よりも、次の方針が決まるまでの待ち時間が嫌だった。
手持ち無沙汰は嫌いだ。休みなら遊びにもいけるが待機中では、そうもいかない。
時間だけが無為に流れる。
さっさと次の仕事の話にならないかと、あくびをしたときだった。
顔見知りの役員が部屋に入ってきて、嫌そうに顔をしかめた。だらしない格好がお気に召さなかったようだが、それでも役柄無視するわけにもいかないようで、蹄に声をかけた。
「ああ? 本部のお偉いさんが俺に会う? なんで? ああ、そいつの下に付けばいいんだね」
よくある展開だ。前に聞いていた担当者が到着したのだろう。これからその担当者に手足として使われるのだ。時として尻尾として切り捨てられるのも契約のうち。
どうせこれからあの永とかいう、とんでもない相手を付回すことになるのだろう。
死体の寒気がするほど見事な切り口を思い出し、蹄は内心肩をすくめた。
真正面からぶつかって勝てる相手かといえば、難しい。事情が許されるのなら、さっさと尻尾を巻いて逃げ出している。
使う方はそんなことはお構いなしに、ふんぞり返ってどうにかしろと注文するに違いない。せめて頭の切れる、仕え概のある相手なら嬉しいのだが。
端にも引っかからない相手に振り回されて使い捨てられるのは嬉しくない。
どうせいつか野垂れ死にする身でも。
「妙齢の美女ならいいんだけど、ギルドで認められてるってゆーと、歳食ってるだろーし、ふつー男だよなあ」
今までの雇い主などを思い起こし、ああ、つまらん、と蹄は心の中で呟いた。
「お前が蹄か?」
灰色の瞳に強い光を宿し、その人は蹄をねめつけた。
ばっさりと、肩の辺りで切られた灰色の髪が瑕といえば瑕だが、似合わなくもない。やや知性が先にたった硬質の美貌。色気のない武具に包むにはあまりにも勿体無い、けちのつけようのない見事な肢体。魔道師ギルドで地位のあるものとしては異例なほどの若さ。
妙齢の男装の美女の出現に、蹄は目を見張り、頭の先からつま先までを値踏みして──にやけた。
(居るとこには、いるじゃーん)
内心で快哉を叫び、蹄は上機嫌で答えた。
「はいはい。お尋ねのわたくしが蹄でございます」
あらか様に美女の顔が引きつった。役員の方に向き直る。
「本当に、この男は永と対峙して生き残ったのか」
小柄で痩身。ふわふわの金の巻き毛に、いっそ愛らしいといってしまいたくなるほどの顔立ち。童顔なのも相俟って、蹄を手練だと見破るのは玄人でも難しい。
「懸念ももっともなことだと思いますが、蹄は我々の使っている者の中では一番の手練でして。実は」
役員が美女になにやら耳打ちをした。
「本当か?」
美女はなにやら考えているようだった。
「……蹄、お前は生き残りだそうだが、あの永を襲撃して、どうやって生き残った」
蹄は芝居がかった大げさな身振りを加え、語りだした。
「おお、淑女よ。良くぞ聞いてくださった。我々は手配の永の姿を大通りで発見いたしました。彼奴は追われていることなど知らぬかのように、裏道に入りましたので、他の者が囲んで品物を取り上げようと言い出しました。ワタクシめはなにやら嫌な予感がしましたので、ここはギルドに連絡し、指示を仰ごうと発言しましたが、まったく無視され、仲間が凶行に及びました。ワタクシは見張りでして。やがて永が一人で出てまいりました。ワタクシが確認すると、辺りは血の海。皆死んでいました。配布されていた呪符を使いまして道を封鎖し、ギルドに一報したわけでございます。その後は死体や血痕を魔法薬で処理いたしました。それで──あいつは何者だい?」
そこで蹄は表情と口調を変えた。
「切り口を見たが、ただモンじゃねえ。全員を一太刀で殺ってやがる。頭っから唐竹割りにされた奴もいるぜ。あそこまで見事な切り口はなかなかお目にかかれねえ。素人じゃねぇのは一目瞭然だが、それだけじゃねぇだろ。出し惜しみは無しだぜ。情報ひとつで命無くすこともあるからな」
軽薄な笑みは消え、剣呑な光を目に宿した蹄の表情に、女は頷いた。
「……なるほど。貴様も素人ではないか」
女は嬉しそうに笑った。
「よかろう。だが、今この瞬間から貴様に拒否権はない。わたしの命令には従ってもらう。これはギルドの最重要機密だからな」
「もともとその気だろう」
「そのとおりだ。これも礼儀のひとつと思ってもらおう」
「まず訊いておくけどよ、永は何を持ち出した? それはヤバイってだけでなく、ギルドにとっても大事なものか? 代わりの効かないものか? いったい何なんだ」
本来なら訊いてはいけないことだ。二年以上追い回しているとなると、かなり貴重なものであることは察しがつく。
ことによっては取り戻したあと、蹄自身が消されかねない。しかし、予想に反して美女はあっさりと教えてくれた。
美女は両の掌で包むこめる程度の円を作った。
「これくらいの培養球の中で作られている最中の魔法生物だ。この世でたった一つの……特別な研究により作られたものだ」
培養球とは、事情により培養槽が使えないとき代用として使われるものだ。本来の大きさは標準の培養槽並みの大きさのあるものだが、縮小軽量魔法がかかっており、持ち運びできる大きさになっている。
開発途中、もしくは新機能でも備えたものなのかと蹄は思った。内容は……聞いてもわからないだろうから、訊かなかった。魔道技術には詳しくない。
取り戻すべきものが培養途中の魔法生物と分かれば上等なのである。よほど価値のあるものなのだろう。
女はこぶしを握り締めた。
「なんとしても取り戻さねばならないものだ。そのためならば、ギルドは人材、資材、財力を惜しみなくつぎ込む」
女の目が険しくなっていくのを蹄は感じた。
「さて、永のことだが、奴は〝裁〟の一人だ。いや、元〝裁〟だといったほうが正しいかな」
「〝裁〟だって?」
さすがに蹄は〝裁〟の名を知っていた。
「元ってことは抜けたのか。よく〝裁〟が許したな」
「許したくはなかったろうな。異例のことだが、わざわざ書面で通達してきた。永からは手を引くと」
「〝裁〟が手を引くだけの手練ねえ……どの程度の商品だったんだい」
〝裁〟の扱う人材も値段によって様々なランクがある。一概には言えないが、それで相手の程度が予測できる。永がかなりの上物だったことは明白だ。
「永は最上級の一人だった。もともと久遠の護衛として〝裁〟から派遣されていたものだ」
蹄は目を見張った。
「久遠って、魔道師ギルドの天才と言われてた女じゃなかったっけ? 確か二、三年前に死んだって聞いた」
「……そうだ」
久遠。この天才魔道師の名を知らぬものは大陸には居ないだろう。
たった一人で魔道技術を数百年分、推し進めたとも言われる、奇跡の天才だ。人前に姿を現すこともなく、一説では魔道師ギルドが作った偽名で、個人の名ではなく優秀な魔道師を集めた集団ではないかという風聞が流れたほどだ。
魔道師ギルドが他の魔道技術を売り物にするところに大きく差を開けているのは、久遠による、魔法動力発生機器の小型軽量化。もっとも得意な分野と言われた、魔法生物作成。魔法生体への魔法付加。誰もが考えもしなかった魔法生体を使用した魔法義肢などの研究成果である。
この久遠は数年前死んだとされている。
本当に久遠が実在した人物だとしたら、その命を狙うものは多かっただろう。
その筆頭は、魔法生物嫌いのオードゥグ教。差をつけられ続けた魔法技術を売り物にする組織。そして才能をねたんだギルド内部の人間。人よりぬきんでているということは、それだけで憎まれるネタになる。
「永に賞金がかけられたのは、その後だったよな。つまり、久遠が死んだのは永が出し抜かれたってわけかい」
「いや、あの子は産まれつき体が弱く、長くは生きられない子だった。永とは久遠の命が尽きるまでという契約だったから、奴は久遠を守りきった。無傷ではなかったがな」
暗殺の手段を知っているということは、守り方もおのずとわかる。〝裁〟の護衛が優秀なのは暗殺の手法を知り尽くしているからだともいえる。
「ああ、忘れるところだった。奴の体は任務中の負傷により、大部分を魔法義肢に交換している」
魔道師ギルドの専売特許ともいえる魔法義肢は、それまでせいぜい単純な動作を代用するに過ぎなかった義肢を、完全に元通りの四肢と同じように使えるほか、感覚まで伝えてくる完全なる代用品に変えた。
唯一、体質により適用できる者とそうでないものがいるため使用者が限定されるという欠陥があるが、四肢どころか眼球、聴覚、嗅覚、一部の内臓まで代用が効き、さらに魔法付与による仕掛けが仕込めるという利点さえある。
この魔法義肢の登場により、多くの命が救われ、体の不自由になった人が、復帰できるようになった。
軍隊や傭兵部隊、さらには〝裁〟のような秘密組織が魔道師ギルドと誼を通じようとするのは肉体を損なう恐れが多いためだ。
魔法義肢は肉体強化も可能であり、魔法付与による戦闘力の向上も望める。
「仕掛けとか……は……あるよな。やっぱり」
「久遠が永のために作った特別製で、仕掛けてんこ盛りだ」
「……〝裁〟最高峰の技術に、天才久遠渾身の戦闘用魔法義肢? ……逃げていい?」
「だめ」
簡潔な答えに蹄は肩をすくめた。
「言ってみただけさ」
「ついでに言っておこう。永を追う上で一番忘れてはいけないことがある。それは、永が死なないということだ」
蹄が眉をひそめた。
「死なない? 首をはねてもかい? あいつはアンデッドなのか」
「永は封じの秘術によって〝命〟を何かに移し変えている。それが失われない限り永は死ぬことはない」
「封じの秘術って、あの幻のかい? 本当にあったとはね」
封じの秘術とは、密かに囁かれる不死術のひとつだ。
何かに命を封じることにより、肉体自体をいくら傷つけられても死ななくなる。そのかわり、その何かが壊されたり、失われた場合、即座に命を落とす。そして何か期限条件をつけなければならない。このようにある意味限定された不死術だ。
限定されていては不死術の意味がないと、一部では軽視する向きもある。
話だけは大陸中に伝わっているが、少なくとも蹄は、その術が本当に使える魔道師にお目にかかったことはない。
「誰がかけた?」
「久遠だ。あの術は使える魔道師がほとんどいない。久遠は数少ない術者の一人だったが、あの術はそう簡単に使えるものではなく、体調も考慮して禁じられていたはずだった。永が魔道師ギルドからいなくなる少し前にかけたらしい」
「……久遠と永はどういう間柄だったんだ? ただの護衛と護衛対象ってわけでも無さそうだな」
「……久遠は永を愛していた……」
女の声は怨嗟に満ちていた。無表情を装い、抑えようとしていても滲み出る憎しみ。女と久遠も無関係ではないようだと蹄は考えた。
女は久遠をあの子と言った。親しくなければ出てこない言葉だ。
「……殺せない……止めだな。どうしろとゆーのかな?」
お手上げと蹄は両手を広げて見せた。
「捕らえろ」
蹄は顔を引きつらせた。
「お嬢さんっっっ! 問答無用で殺すのと、生きたまま捕まえるのと、どっちが手間だか知ってるかい?」
女は眉ひとつ動かさずに答えた。
「殺しても死なないと言ってあるだろう。それに、貴様の特技を使えば、出来ないことではないだろうが」
「そりゃあ、やってやれないことはないけどさ。難しいと思うぜ」
蹄は不敵な笑みを浮かべた。難しいが、不可能ではないらしい。
「間ができりゃあな。不意を突けるようなら一発なんだが、あいつも玄人だしな」
「間とは?」
「隙ってゆうか、集中力、意識をちょっとの間だけでも乱してくれりゃあ、出来なくもない」
すうっと女が目を細めた。
「他のものへ意識を集中させるのは、どうだ」
「他への意識がお留守んなるなら、なんでも。できるのかい?」
「造作もない。わたしがその間を作ってみせよう」
女は自信をもって答えた。
「それに、永の魔法義肢には致命的な欠陥がある。そこを突けば、捕らえることは可能だ」
「致命的欠陥ね。拝聴しましょうかね」
蹄は改めて話を聞く体制を整えた。
「天才久遠、最後の作品ですと?」
「さようです」
本社から派遣されてきたという男は笑顔で答えた。中背中肉、ほどほどに整った顔。その細すぎる目をのぞけば、特徴といえるものがない。若くも見えるが、老成したようにも見える不思議な空気を纏っていた。
どちらにしろ、カトラス商会の中枢を担う一族のものであるには違いない。
「それだけでも価値のある作品ですが、今までにはない画期的な手法によって作られているものなのです。もし、我々の掴んだ情報が確かなら、どのような手段を使っても手に入れたい品物です。我々は何度も持ち主と交渉いたしました。金額だけでなく、様々な条件も申し入れましたが、どうあっても手放さないと、こうおっしゃるのですよ。我々としても誠意は見せましたが、お気に召さなかった次第で」
男は芝居がかった素振りで首を振る。
「しかし、どうあっても、我々はそれを手に入れたいのです──お分かりですね? 香昌さん。もし、誰かがそれを手に入れてくだされば──」
男はそこでいったん言葉を切った。先は言わなくても分かるだろうといわんばかりの視線を香昌に向ける。
むろん、読み間違える香昌ではない。どのような手段であれ、それを手に入れればカトラス商会の中での出世は間違いない。いつまででも地方の支部長のままではなく、本社への栄転もありえるだろう。
「それ以上は言われなくても、けっこうでございますとも。お話はよく分かりました。カトラス商会のためになることでしたら、尽力いたしましょうとも」
願ってもないチャンスだった。天才久遠の作品。それも最後のものともなれば、値段は天井知らずだろう。それも、商会が欲しがるほどの画期的な手法ともなれば、どれほどの手柄となるか。
「期待しておりますよ、香昌さん」
神は鳥に飛ぶことを許し、魚に泳ぐことを許した。
そして人は神より魔法の力を使うことを許された。
人の子よ。この力はそのままでは何も出来ない。研究し、研鑽しなさい。この力はやがて全ての生き物に許したものと同じことができる。
しかし人の子よ。忘れてはならない。命を生み出すことは、神にだけ許された業である。
オードゥグ教の教会。そこに集まるものは、敬虔な信者もいるが、ただ魔法技術を使用したいという者も多い。
しかし、今そこにいるのは、紛れもなく信仰心に厚いものであろう。
がっしりとした軍服が似合いそうな逞しい長身に纏っているのは、教団の人間だけが着用を許される教団服である。
その整った細面の顔には真摯な情熱が込められている。彼が手にしているのは──雑巾であった。
手練の技で磨き上げられた床には塵ひとつ落ちていない。
「宣教師ランバトル様、もう、おやめくださいませ」
赤毛をお下げにした少女が真摯な表情で宣教師を止めた。
さして特筆するような美しさをもった少女ではないが、年相応の愛らしい素朴な少女である。その小柄な体を包むのは、オードゥグ教の女性用の教団服である。
「教女アンジュラではないか。なぜ某をとめる」
少女は憧れと、尊敬と、緊張の入り混じった複雑な顔で宣教師に訴えた。
偉い人に意見するなど、アンジュラには恐れ多いことだったが、これだけは言わなくてはならない。
「ランバトル様はお偉い方ですわ。教団のため、その身を捧げていらっしゃる。そのような方に、水汲みや、はたきがけ、さらには掃き掃除や雑巾がけなどをさせるなど、あってはならないことですわ。そのようなことは、わたくしのような、見習いの仕事でございます。わたくしにやらせてくださいませ」
「教女アンジュラよ。思い違いをしてはいけない。これは某が自らに課したことなのだ」
宣教師は厳かに言った。
「某は神威代理執行局に属しておるが、その信仰はそなたたちとなんら変わりはない。我が勤めのため一所で神への奉仕が叶わぬゆえ、初心を忘れぬため、世話になる支部の清掃は我が手ですると決めておるのだ」
その様子は、まさに信仰に生きる聖職者にふさわしい敬虔なものだった。その右手に握られている雑巾さえなければ。
それでもアンジュラは食い下がった。アンジュラからしてみれば、ランバトルは神威代理執行局という、選ばれた人間なのだ。その偉い人に自分たちと同じ仕事などさせられない。偉い人にはそれに相応しい尊い仕事があるはずなのだ。
「宣教師ランバトル様、尊いお志ですわ。でも、でもせめて乾拭きだけは、わたくしに任せてくださいませ」
「うむ。教女アンジュラよ。そなたの信仰、とくと見せてもらった。よかろう。乾拭きはそなたに譲ろう」
「ありがとうございます。宣教師ランバトル様」
──大真面目に、涙さえ浮かべた会話であった──廊下をかける音とともに、扉が乱暴に開けられた。
「ランバトル様、発見しました。永です」
「なに! 場所は!」
「先行しているものが後をつけております。しかし、他にも永を付狙っている者がいるとか。早くしなければ、見失います」
「分かった。すぐ行く」
アンジュラは緊張した。いよいよ、これからランバトルは本当にやらなければならない尊い仕事が待っているのだ。それはときに死を覚悟しなければならないほど危険なものだという。
「宣教師様、乾拭きと後片付けはわたくしが。どうぞご武運を。ランバトル様に神のご加護がありますように」
少女はランバトルのために祈った。
「うむ。そなたにも、神の祝福があるように」
永は人に紛れるのには適した姿をしていない。その容姿は一度見たら忘れられない、見つけようと思えば、すぐに見つかる。
それを自覚しているのか、永は姿を隠そうとはしていなかった。堂々と街中を歩き回る。
その姿を探し求めていた者達は、そろそろと永を付回しながら期をうかがっていた。
それを知ってか、知らずか、永は人気のない裏通りに足を踏み入れた。土地勘のある追跡者たちは先回りをして永を待ち伏せた──永は警戒する素振りも見せてはいなかった。
十人ほどの男達が永の前に立ちはだかった。
「永だな」
「そうだ。遅かったな」
当然のように永に言われ、男達は怪訝そうな顔をした。
「面倒は早く終わらせたい」
つけられているのを知っていて、わざと永は仕掛けやすい裏通りに向かった。
「……ものを渡す気はないって訳か。油断するな、一人とはいえ、〝栽〟だ」
男達は永を取り囲んだ。
永が腰にさしているのは長剣。永はそれに手をかけようともしていなかったが、男達はいつ永が剣に手をかけるかと警戒し、油断なく間合いを取っていた──それが命取りになった。
永の手元に、いつの間にか掌の長さほどの刃物が現われた──と同時に永はそれを投げ打っていた。
剣ばかり警戒していた男達にそれをかわせるはずもなく、先頭の男の喉笛に突き刺さった。永は刃物を投げ打つと同時に猛然と間合いを詰めていた。その手元に手妻のように同じ形の刃物が現われた。掌ほどの長さの先端が尖った刃に握りのついた形のそれは、手裏剣として使うこともできれば、刃として切りつけることもできるものだった。
永は一瞬にして一人の喉を掻き切った。
刃物は両手に一本ずつ握られており、気勢を制して相手の懐に飛び込んだ永は、もう一本の刃を別の男の眼窩に突きこんだ。
反す刀で、他の二人の男の喉を切り裂く。相手に悲鳴さえ上げさせない一瞬の出来事だった。
瞬く間に半数を葬られ、男たちに動揺が走った。男達は十分注意しているつもりだったのだろうが、〝裁〟を相手にするにはまだ足りなかった。自分たちが相手にしているのが死神も同然の男だと、永の容姿を目にした男達は気づかなかったのだ。
囲みを抜けて走り去ろうとした永の前に、白いフードつきのマントを纏った一団が立ちはだかった。
永は距離をとった位置で足を止める。
その一団の風体には覚えがあった。
先頭の女が声をかけた。
「永ですね。神の御心に添わぬものをよこしなさい」
永は自分の失策に舌打ちしたくなった。
永を追いかけている組織は、一つや二つではない。分かってはいたが、こんな形で鉢合わせるとは。
後ろのゴロツキが永に追いついた。自分達の獲物が別の集団と対峙していることに気づき、思わず威嚇する。
「そいつは、俺達の獲物だ。手を出すな!」
「獲物にされるのはどちらです? あなた方に永は倒せない。退きなさい。邪魔です」
気品さえ感じさせる物言いは、明らかに男たちとは別物だった。
その会話の一瞬、永は刃物を投げ打っていた。女は危うい所でそれをかわし、刃物はマントを切り裂いただけだった。
それは牽制にすぎなかった。永はより薄い所、ゴロツキの方へ向かっていた。
白いマントの一団──十二人ほど──はマントを脱ぎ捨てた。その下には、白く輝く鎧のような物を纏っていた。
見るものが見れば、それがオードゥグ教の、神威代理執行局のものだと分かっただろう。
神威代理執行局は、宗教弾圧よりオードゥグ教の信者と教団員を守るために結成されたとされるオードゥグ教の僧兵集団である。その武力は、一国の軍隊をも軽く超える。
その特徴は、オードゥグ教で神が人に与えたとされる魔法を最大限に使う。彼らが纏うプロテクターも魔法で強化されている聖衣と呼ばれるものだ。鈍らな剣では傷ひとつつけられない、優れものだ。
むろん、永もそれを知っていたが、それを目にした永の感想といえば
(ぐずぐずしていると、奴が来る)
というものだった。
永の腕をもってすれば、スタンダードの聖衣くらいは斬ることもできるが、それでは長剣の強度を越えるかもしれない。武器の破損は命取りになりかねないし、何よりもオードゥグ教といえば、奴が出てくる。
少なからず苦手とする相手と対面するのは、避けたい所だった──永の決断は、強行突破、逃走あるのみ。追跡していたはずの永が真正面から向かってくるのだ、男達は慌てて永に切りかかるが、それはあまりにも稚拙だった。
永はその攻撃をかわし、鮮やかに喉を掻き切った。いつの間にか両手に握っていた刃物を投げ打ち、さらに二人を仕留める。
しかし、その間に後方のオードゥグ教の神威代理執行官が追いついていた──あまりにも速い──オードゥグ教自慢の魔法薬で強化されていたのだろう。
腹を狙って繰り出された刃を──永は腹をかばって沈み込み、胸で受けた──刃は背中まで貫けている。鮮血を吐きながらも後ろに下がり、刃を引き抜く──その傷口が淡い魔法光を放ちながら塞がっていく。
永が封じの秘術によって不死であることを知っていながら、手応えに、一瞬しとめたと錯覚した男は、首を落とされた。
永が新たな刃を手にしたのではない。永の右腕の一部が刃に変形したのである。
魔法薬によりスピードを強化されていたのはその男だけのようだった。
とっさに逃げようとしたゴロツキを片手で掴み、後方の執行官のほうへ投げ飛ばした。見かけよりも永は力がある。それは魔法義肢の賜物か。
生きた障害物に執行官が怯んだ隙に、永は逃走に移った。
「おのれ、永! 神の敵の手先めが!」
生きた障害物を押しのけて、永を追いかけようとした執行官の前に、ひとつの影が降って来た。
「はい、それまで。あんたたちの出番は終わりだよ。引き取ってもらおうか?」
天使のような愛らしい顔に、無邪気な笑みを浮かべて、丸腰の若い男──蹄が言った。
「何者です! お退きなさい。我々の邪魔をすれば、ただではすみませんよ」
「そーゆー訳には、いかないんだな~これが。俺達にとっては、あんたらが邪魔なんだよね。退いてくれる?」
「どこの組織のものかは存じませんが、あのようなけがわらしいものを手にしようとする者達ですね。ならば容赦はいたしません」
「あっそ、なら、死んで♡」
蹄は満面の笑みで答えた。
裏通りを逃走していた永は前方の人影に足を止めた。
永の足を止めたのは、たった一人だ。略式の革鎧を身に着けた若い女。硬質の美貌のなかから灰色の瞳が永を睨みつける。
「麗春……」
「久方ぶりだな、永。おまえが持ち去ったものを……久遠の体を使った魔道生物を渡してもらおうか」
轟然とした要求に、永は頭を振った。
「だめだ。久遠は渡せない」
それでもそれは、他の追手とは雲泥の差のある対応だった。
「言うな! そんなものが、あの子のはずがない! 久遠は死んだんだ! それはただの、魔法生物にすぎない!」
「それを決めるのは、麗春ではない。久遠は生きている。眠りながら、目覚めるときを待っている。退いてくれ、麗春。久遠が悲しむ。麗春は久遠の──」
「──言うな! 永! 久遠のことを愛してもいなかったくせに! わたしが依頼したから、愛してるふりをしただけのくせに!」
麗春は永の不実を糾弾した。
そもそも、久遠と永がつきあっていたのは、麗春のたのみだった。久遠が永に対して恋心を抱いていたことを知っていたから、慰めになればと。愛しているふりをして欲しいと──そのはずなのに、いつの間にか久遠は麗春よりも永を慕い信じた。麗春にはそれが許せない。
「わたしはあの子の亡骸を葬ってやることもできなかった! 永、おまえのせいだ!」
キン! という甲高い音とともに、永の体がずれた。左足膝下、右足脛半ば、右腕肘、左腕二の腕の半ばからを、一瞬にして切断され、なす術もなく地に落ちた。
血は出ない。それは全て作り物だ。
「悪いねえ、旦那。見逃してもらって悪いけどさ、雇い主の注文なんで。本当に、悪い」
にこにこと罪のない笑顔で現われたのは、以前襲ってきた追手の一人だ。一人だけ襲撃に加わらず──おそらくは仲間をだしに永の腕前を測った男──名前は聞いていない。
永は苦しげに呻いた。
「貴様……〝紡〟か……」
「あ、知ってた? まあ、〝裁〟なら当然か。そうだよ、俺ってば糸使い♡」
糸と名称しているが、特殊な鋼糸で、扱い方によっては人くらいは切り刻める。
〝紡〟はその暗殺術に特出した暗殺組織であった。
最大の特徴は、獲物の隠密性だ。
そうと知っていなければ、丸腰に見える。また、知っていたとしても、その細さゆえ、目で捉えるのは不可能に近い。
それだけに扱いの難しい武器ではあるが、男──蹄の腕前は奇跡に近い。
「よくやった、蹄。さすがだな」
「お褒めにあずかり、光栄でございます。これもご協力の賜物かと、存じます」
芝居がかった仕草で蹄は頭を下げた。
「他の追手はどうした?」
「片付けといたぜ。邪魔されるとやだから」
蹄はあっさり言ったが、十数人の人間を一人で倒したということだ。
さすがに麗春も驚いた。
「この短時間にか?……さすがだな。特別ボーナスを出すように言っておこう」
「そりゃどーも♡ で、どうします? こいつ」
「支部に連れて行く」
「はいはい。いいけどさ、大人しくしてると思うかい?」
「心配ない。そろそろくるころだ」
永は青ざめ、小刻みに震えていた。顔が苦痛に歪む。殺しきれない苦痛の声が漏れ出す。
「こいつが、魔法義肢の欠陥ってやつかい」
「そうだ。これだけの損傷ならば、修復までかなり時間が稼げる。その間、永は苦痛に耐えねばならん。いくら永でも、身動きもできぬ痛みだ」
久遠が永のために作った特別製の魔法義肢には欠陥があった。
普通に使う分には何事もないが、変形させたり、極端に破損させると、通常の状態へ修復させるための信号が送られる。神経がその信号を苦痛と錯覚してしまうのである。
永はほとんど特別な機能を使わなかったし、使ったときに起きる痛みも幻肢痛だと思い込んでいた。
永の我慢強さが裏目に出て、発覚が遅れた。その欠陥が明らかになったとき、それを解決できる人間はすでに病床にあった。
「永を連れて来い。切断した魔法義肢も忘れるな。魔道師ギルドの極秘技術だからな」
「はいはい。人使いの荒い、お嬢さんだぜ」
「急げ。奴が来る」
「? 奴って、誰だい?」
「オードゥグ教の最狂兵器だ。オードゥグ教が絡んでるとあれば、あれが出てくる」
麗春の苦りきった表情に、蹄はさすがにただならぬものを感じた。
切断した魔法義肢を拾い集めて収縮符を張りつけて小さくすると、懐におさめ、永を担ぎ上げた。
細身に見えても蹄には力があるようだ。
担ぎ上げられても、永は抵抗しなかった。それどころではない苦痛に苦しんでいるのだ。
「急ぐぞ」
「はいはい、仰せのままに」