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キミのカタチは不定形  作者: 珠川理緒
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第七章


 血が、ぽた、ぽた、と垂れていく。

「あ……」

 子供が初めて発した声は、空虚な絶望だった。

 紗緒に傷は、何一つ付かなかった。

 硝子片は紗緒の身体に届く前に、水に包まれて紗緒に届かなかった。

 子供から滴る血は、ただ無意味に子供が自分を傷つけただけに終わっただけの、傷痕でしかなくなった。

「ごめんね」

 本当に申し訳なさそうな、少女の声だった。

 だけどそれは、どうしようもなく強者の、上からの言葉でもある。

「この程度じゃね、わたしは傷つけられない。この羽根は自動的に、わたしの意思にすら関係なく、わたしを守る」

 水に包まれた硝子片は、握り潰されるように水圧で粉々に砕かれる。

「ごめんね、あなたを子供扱いして」

 紗緒は面白い玩具を離さないように、子供を抱きしめる腕の力を強める。

「止めて」

 萱島が力なく呟くが、紗緒は無視した。

「すごいね。なかなか出来ないよ。スキルがどうってことじゃなく……あなたはプレイヤーとして、とても強い」

 紗緒は言っていた。迷子の振りをして、背後から襲ってきたと。

 だとしたら、子供は自分の容姿を利用する強かさを持っていて、それは何処か少女と似ている。

「わたしに負けてから、捕まってから、あなたは一言も喋らなかった。ずっと黙ってて、表情も変わらなくて、だからわたしはあなたが壊れたのだと判断した」

 少女の微笑の性質が、変わっていく。

 おぞましい血の気配ではなく、敵意と殺意もなく、羽根と同じようにひたすら透明な、それ故に何もわからせない、圧倒的な天使の笑顔へ。

「でも、違ったんだね。……わたしを油断させ、とびっきりのチャンスを狙っていたんだね。壊れきってると勘違いしているわたしが油断していて、なおかつ自分の唯一の味方である母親がいる場所で、わたしを殺そうとしたんだね」

 少女の言葉に、子供も母親も、傍観者でしかない藤俐も、聞き入っていた。

「《願い》は《絶望》からしか生まれない。スキルは《討伐案内者(マスコット)》が外れで、大したものじゃなくなってしまったのは、運が悪かったけど。でもそれを覆すぐらいに、あなたは強い」

 おそらく、少女なりの、最大の賛辞なのだろう。

「あなたの《絶望》は、あなたを強くしたね」

 《絶望》の大きさは、そのままプレイヤーの強さと比例する。

 少女はそう言い切った。

「それに引き換え、先生」

 一転して、苛立ちの声音。

 萱島は事態の推移についていけず、ただ茫然と見ているだけだった。

「あなたはなんですか? そんなに面白いスキルを持っているのに、あなたは何もしなかった。スキルを奪われた子供ですら、わたしを殺そうとベストのタイミングを見つけようとしていたのに、ただ喚いて嘆いただけで、《絶望》に抗おうとすらしない」

 冷酷に、紗緒は言い切った。

「……当てが外れたかな。この子のお母さんならきっともっと面白いプレイを見せてくれると思ったのに」

 玩具に飽きたような、失望。

 嫌な予感が、増していく。嘘だろ、そう思う半面、少女が何を言ったか、子供が先ほど何をやろうとしていたのかを思い出す。

 《討伐案内者(マスコット)》を壊せないなら、プレイヤーを殺してしまう方が、〝よっぽど簡単〟。

「……止めて」

 子供の方が、先ほどの母親と同じように呟くが、紗緒はやはり、その言葉にも答えない。

 水の羽根が、ばさ、と完全に広がった。

 羽根の中で、渦が巻いていく。

(子供の目の前で、母親を?)

 それは刹那に、そして同時に起きた。

 竜巻のように、水の渦が萱島を襲う。

 子供の叫び声。母親から涙が零れる。

 そして、渦はプレイヤーを襲おうとして、〝ほんの僅かに軌道がずれた〟。

 だけどそれはあくまで僅かでしかなくて、動けない一人の人間を助けるには力が足りない。

 暴虐が向かう萱島の身体を突き飛ばし、代わりに割って入った形になった藤俐は、せめて身体の大事なところだけは守ろうとして――

 身体を庇おうと差し出した藤俐の左腕が渦にかすり、千切れて飛んだ。

「~~~~~~!!」

 下唇を噛んで悲鳴だけは押し殺す。無様な悲鳴を上げたら、目の前の天使の姿をしたプレイヤーが、どんな暴発をするかわからない。

 人生で経験したことのない凄まじい痛みと喪失感を経験し、さらに心臓の鼓動に合わせて熱量が流れ出る。それでも藤俐の二つ目のスキルが発動していなかったら、おそらく身体全てが千切れ飛んでいただろうと思うと、本当に紙一重だった。

「先輩……?」

 少女が目を見開き、口元を掌で覆う。隠された表情を見て、何を言えばいいかわからない。それでも藤俐は言葉を紡いで、この場を何とかしないといけない。

(『第一段階(Filter)』……!)

 左腕の切断面に、痛覚と血液を通さないフィルターをかける。出血は止まるが応急処置にしかならず、圧倒的な喪失感と血液と共に流れ出た熱量も戻らず、体温が下がっていく。

「……面白くないからって殺すなよ。真正の馬鹿かお前は」

 虚勢を張るが、脂汗に唸っている表情では、どう聞こえるか。

 親子は反応できずにいる。できればそのまま何もしないでいてほしいが、藤俐の立場はむしろ親子からすると敵側の筈だ。今、藤俐たちは他者から見ると、仲間割れしているように見えるだろう。少女を見限って、親子とともに三人がかりで闘いながら隙を見て逃げるべきだろうか? 自分は腕が千切れていて、更に親子と即席で組んで少女とやり合ったとして、この圧倒的な天使の羽根に何処まで対応できる?

 少女は一瞬だけ口元を隠したが、すぐに外し、隠れていた表情が微笑に戻る。

「そうですね。今この場で殺してしまうのは……確かに勿体ないですね」

 萱島はいきなりの流血沙汰に、少女が本当に自分を殺そうとしたことにショックを隠せず、子供は母親のショックに感応して更に動けない。そして藤俐は一瞬で多量の出血をしたことで、脳に十分な血液が送られていなかった。

 少女は考え込むように、だけどあくまで愉しそうに、ゆっくりと、何故か三人とは別の方向に歩いていく。すぐに何故か分かった。だが理解を心が拒絶する。

 少女は愛おしそうに、藤俐の千切れた左腕を拾い、宝物のように大事に抱えた。その手の甲に、軽くキスすらして。

 その行動に、異常な光景に、それを造り出す狂気に、三人ともが囚われていく。

「いいことを思いつきました」

 三人ともが、その言葉にびくっと反応する。しかし誰も、対応できずに、

 藤俐と子供が、〝水の中に囚われた〟。

「!?」

 一瞬パニックになるが、球体状の水の中は何故か息ができる。だが、外に出られない。

「萱島先生。時間を上げます。そうですね、今晩十時でどうでしょう?」

 水の中に潜った時のように、違う、おそらくはそのままの意味で水に音は吸い込まれて、声はくぐもって聞こえる。

 羽根が煌き、更に大きくなった。ばさ、と、羽根の本来の意図を思い出したかのように羽ばたくと、少女の身体が飛翔する。

 そしてそのまま、少女は割れた窓の桟に足をかける。藤俐と子供を閉じ込めた水球も、少女の衛星のように共に浮く。

「先生からしたら、準備もなしだと面白いプレイなんてなかなか難しいですよね。だから、とびっきりの罠を仕掛け、ありったけの策を考えてください。そしてわたしを満足させるだけの《ゲーム》をしてください。その期限が、今晩十時です」

 少女はそのまま、窓の外に、羽根をはばたかせ、浮いた。そして高く、高く上がっていく。

「今度はわたしを失望させないだけのプレイをしてくださいね? わたしを愉しませてくださいね? それができたら、この子は返してあげます」

 少女は、その衛星は、桜の木よりも高く上がっていた。

 私の子供を返して、という悲痛な絶叫が、水の隔たりで遠く、遠く、遠かった。

「何処にいてもいいですよ。わたしは先生の場所がわかりますから、わたしから行きますから……ふ、ふふ、あは、愉しみ……! あはははは……!」

 とびっきりのイベントが待ち遠しい子供のような哄笑が高らかに、それだけが鮮明に聞こえる。

 そしてそのまま天使の羽を持った少女は、高く、高く、藤俐と子供の衛星と共に、空を高く速く飛んでいく。

 一部が破壊された校舎が、一年通った学校が、見る見るうちに小さくなり、やがて視界から消えた。



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