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キミのカタチは不定形  作者: 珠川理緒
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第六章


「こんにちは、先生」

 少女は誰も警戒の抱きようのない、完璧な笑顔で挨拶をする。

 対して相手は、藤俐の目からは落ち込んで見えた。だがすぐに笑顔になって、

「あら、昨日の。伏見君と、えーっと」

 笑顔で挨拶を交わす。

「一年A組の雨宮紗緒です」

「そうだったわね。まだ授業は始まってないけど、A組は私の担当だから」

 アラサーの男性恐怖症気味の女性教師は、それでも表向きは藤俐にもきちんと接してくれる優しい先生で、評判もいい。ただ家庭科担当であまり藤俐とは接点がなく、更に一年の時は受持ちも違っていて、会話らしい会話は実は昨日が初めてだ。

 見た目は動きやすさを重視したジーパンにシャツ、春物のカーディガンといった、普通のどこにでもいる女性。

 この目の前の、優しく教え方も丁寧な評判のいい教師が、どんな《絶望》と《願い》を抱え、《ゲーム》に挑んでいるのだろうか。

「珈琲の染み、取ってくれてありがとうございました」

 ぺこ、と紗緒が頭を下げる。何処か嬉しそうに恐縮するように、女教師は手を振って「いいよいいよ」と返してくる。

「……伏見君に帰り道変な事されなかった?」

 おいババア俺をどう思ってんだと心中でツッコむが、今から起こる事を考えると、さすがに緊張するし、同時に同じプレイヤーとして共感と同情を覚える。

 紗緒は丁寧に否定すると、僅かに気配を変える。

 気配に敏感で、そして何度か見た藤俐だからわかる些細な変化で、教師がそれに気付いた様子はない。

「先生、先生の名前ってなんでしたっけ?」

「ん? 言ってなかったっけ。萱島(かやしま)響子(きょうこ)。授業はもうちょっと先になるけど、よろしくね、雨宮さん」

 萱島は生徒が慕ってくれるのが純粋に嬉しいのか、笑いを絶やさない。穏やかな、放課後の時間。

「その前に、先生にプレゼントがあるんです。昨日のお礼も兼ねて」

 ん?と僅かに怪訝そうになる。だが昨日の染み抜きのお礼だとそのまま受け取った萱島は、「なになに?」と乗ってくる。

「萱島先生が、喉から手が出るほど欲しいものですよ」

 少女の気配が無害でしかなかったものから、あのおぞましい血と死の気配を纏っていく。

 変化に気付いたのか、萱島の笑顔が消えた。藤俐は後ろに下がり、静観の姿勢を取りつつ、いざという時の逃亡ルートをシミュレーションする。


「わたし、プレイヤーなんです。《絶望》から生まれた《願い》を維持し、完全にするために《討伐案内者(マスコット)》を奪い合う、あの忌まわしい《ゲーム》の、ね」


 萱島の表情は、動かない。だが表情の変化に敏い藤俐はわかる。

 真偽を計りかねている――疑っているということはつまり、本当に萱島はプレイヤーということ。

「プレゼントって……何かな?」

 萱島が、立ち上がる。視線は紗緒に固定しつつも、藤俐やその他の人間の介入がないかを確認している。

「俺はただの付添いだよ」

 だから藤俐は、言ってやった。

「あんたと戦うのは、こいつだけ。あと人も来ないから、助けを呼んでも無駄だぞ」

 紗緒は微笑したまま、ちら、と藤俐の方を見た。

「ジュエルは喉から手が出るほど欲しいですよね。わたしに勝てたら、あげますよ」

 でも、と。

 紗緒はもう、敵意と殺意と、あのおぞましい気配を、隠そうとしない。

「わたし、今日は大好きな先輩の前だから、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃうかもしれません。だから、お願いします、先生」

 すぐに負けちゃ、ダメですからね?

 悪戯っぽい声と同時に、不意に、音が聞こえた。耳鳴りのような、ごう、という――まるで津波のような、洪水のような音。

 次に、川の流れる音になり、その音は徐々にせせらぎというべき穏やかなものに変わる。それらの音の変化は一瞬で終わった。

 終わると同時に、紗緒の背中から、一対二枚の羽根が顕現する。その羽根は天使と聞いて想像するような純白の色ではなく、

「……水の羽根……?」

 透明で、閉じた状態であっても両腕を広げた状態よりまだ大きな羽根が、更に広げられる。

 水で出来た、不定形の翼だった。

 透明ではあるが、光を反射して、透かして、輝きながら少女の背中を美しく守る。

 あまりに圧倒的な、荘厳ささえ感じるスキルに、萱島は勿論、藤俐も言葉が出ない。

「ダメですよ、見惚れていたら」

 少女の気配だけが、水の羽根の美しさとは相いれず、嗜虐的に愉悦を感じている。

「さあ、遊びましょう」

 瞬間、ががががが、と透明な光が、水の羽根から切り離されたいくつもの水滴が、萱島に撃ちこまれた。

「……っ!」

 辛うじて、萱島は避けた。水の弾丸は黒板と教壇に、無数の穴を開けている。

「何もしないまま、終わりますか?」

 少女は挑発する。それでは面白くないと言いたげに、退屈そうに。

「……それだけの力があるなら、あなた一人にさえ勝てば、私の《願い》は完全になるわ」

 萱島は、立ち上がった。生徒を犠牲にする覚悟を決めて。

 紗緒は嬉しそうに嗤う。

「そうこないと」

 また幾筋もの透明な光が、萱島に撃ちこまれる。水道が破裂し、ガラスが割れていく。

 避けられない位置にいたが、そもそも萱島は避けようとはしなかった。

「『反転する私の世界(Still you)』」

 小さなピンポン玉大の、マーブル状に色を変える球体が萱島の掌から現れた。球体を掲げ、それをゴム風船のように引き伸ばす。

 引き伸ばされたマーブル模様に当たった弾丸は、いずれも破裂して、萱島にダメージを与えない。

「へえ」

 紗緒は感心したように、面白そうに観察する。

「今、裏返りましたね。なるほど」

 藤俐も見ていた。当たった瞬間に、水滴は〝内と外がひっくり返った〟。

 どんな《願い》でできたのかは知らないが、『反転』がキーワードのスキルなのだろう。

「その通り……このスキルは、当たった範囲の全てを反転させる。たとえそれが、人間でも」

 萱島の声には、嘘は含まれていそうになかった。生徒を犠牲にする覚悟を決めた半面、それでもできるならば、犠牲にしたくないという想いの矛盾。

「これは大きさ自体はせいぜいピンポン玉が限界で、形はある程度融通が聞くけど、基本的に範囲は広くない。だけど」

 萱島の周りから、マーブル模様の球体が、――一目で数えられないほどに、現れる。

「数は多いわ。どれほど大量の水を操れても、全てを防ぐことは難しいでしょう。例えあなた自身を水で覆ったとしても、今見た通り、水ならば突き破って反転させられる。そして、身体に当たったら……無残なことになるわ」

 説得しているような脅迫しているような萱島の言葉だが、萱島自身がそれを信じていなかった。

 当たり前だ。この強大で荘厳な羽根が、ただ水を操って終わりの筈がない。

 少女は、「うーん」と、可愛らしく小首を傾げ、何かを悩み始める。

「まだ迷ってるんですか? 結構面白いスキル持ってるのに、先生がそれじゃ面白くないじゃないですか」

 紗緒は藤俐の方を向き、小さく手を振ってみせた。

「せっかく先輩に良いところを見せたいのに、先生がそれだと簡単に終わっちゃいますよ」

「――――っ!」

 言葉が終わる前に、羽根から糸のように細く鋭い水流が、何十本と萱島に向かう。

 萱島はスキルを駆使し、全ての水流を防いだ。防ぐ前に当たった机は、鋭く切断されている。

 萱島は避けるか防ぐばかりで、攻撃を仕掛けようとしてこない。

 違和感を覚え、そしてすぐに気付く。少女はとっくに気付いていたようで、

「逃げようとしてるんですね。……よくあります。最近は用心深くて中々遊んでくれるプレイヤーがいなくて、実はちょっと寂しいんです」

 はあ、と溜息を吐く。不利を悟ったなら逃げるのが当然の選択であって、そして少女のスキルは一目見ただけで格そのものが違うとわかってしまう。

「好きな人の目の前でそんなことになったら、恥ずかしいじゃないですか。だから、もう一つ、用意している物があるんです」

 ――用意?

 紗緒はポケットから可愛らしいハンカチを取り出す。紗緒は敵意と殺意の微笑の中に、嗜虐と嘲弄を混ぜていく。

「タネも仕掛けもないこのハンカチですが、振るとあら不思議」

 おちょくるような調子で、ハンカチを一振りする。

 すると、どさ、と、何かが、あり得ない質量のものが、床に落ちた。

(え?)

 藤俐はそれがなんだか、数瞬わからなかった、萱島に至っては驚愕を通り越して、呆然としている。

 〝落ちてきたのは子供だった〟。

「――葵?」

 萱島は呆然と、子供を見つめる。藤俐は、あああのハンカチ(サブ)スキルなんだ便利よさそうだなと、一瞬だが現実から目を逸らしてしまっていた。今見つめるべきはハンカチではなく、子供の方だとすぐに見つめ直す。

 栗色の髪に日本人離れした整った顔立ち。歳は二桁に達するかどうかで、ロリータファッションとでもいうのか、フリルの過剰についたファッションもあって、アンティークドールのようにも見える。

 子供は動かない。気絶しているのか――死体になっているのか。

 少女はとびっきりの手品を見せたように、恭しくお辞儀をした。

「これで、逃げませんよね? 〝自分の子供を人質に取られたら〟」


「あ、あ、あ、あ、あああああああああああああああ!!!!」


 萱島の絶叫が、部屋全体に反響する。

 再び現れた数十のピンポン玉全てが、紗緒に一斉に向かった。

 だが紗緒は、子供をロープ状に変化した水で無理矢理に立たせ、盾にする。

「あ、あああああああああああ!!!」

 一斉に停止。瞬間、全てが水の弾丸で破裂した。

「葵、葵!!」

 萱島の発狂寸前の絶叫とは裏腹に、紗緒は満足そうに笑っている。

「よかった、〝殺す方がよっぽど簡単〟だったけど、お母さんもプレイヤーって聞いて、面白そうだから取っておいたんです」

 これで逃げないですよね、と慈しみすら感じる微笑で敵を眺める。

 藤俐は胃の中に直接氷柱を入れられたように、あまりに非道なやり方に吐き気を覚えた。これまでの気配そのものに対する恐怖ではなく、少女の持つ世界や他者に対する悪意そのもののような手口に、心底吐き気がする。

 子供を人質に取って、母親を脅迫する。

 悪質で、無慈悲で、何よりこの行為全ての動機が、〝ただ好きな人に見せたいが為〟。

「あ、先生が全力で戦ってくれれば、この子は無事に返しますよ? でもそれには意味があるかなって思いますけど。先生の《願い》って、この子にまつわることですよね?」


 ――《討伐案内者(マスコット)》が破壊されれば、《願い》にまつわる全てを忘れてしまう。


 どうあっても、萱島は紗緒に負けるわけにはいかない。

 或いは、自分が忘れても、子供が生きてさえば、それでもいいのかもしれない。

 ジュエルを引き渡せば、もしかしたら――

 だが紗緒は、そんな僅かな逃げ道も、塞いでいく。

「この子もね、プレイヤーだったんですよ。お母さん、知ってました? 何にまつわる《願い》か、知っていますか?」

 時が止まったように、萱島は完全に硬直した。

「知らなかったら、教えてあげますね。『お母さんに自分を見てほしい』んですって。可愛くて、子供らしい、哀しい《願い》ですね」

 言葉とは裏腹に、紗緒の悪意は止まらず、親子を蝕んでいく。

「この前、わたしを襲ってきたんです。迷子を装って、後ろから不意打ちでした。子供なりに、《ゲーム》で勝とうと、一生懸命で、とっても可愛かったんですよ?」

 紗緒は子供の後ろから、姉のようにぎゅうっと抱きしめる。その仕草に嘘はなく、本当に可愛いと思っているのがわかって、藤俐はさらに気持ち悪くなっていく。

「こんな一生懸命な子を見ないなんて、酷いお母さんですね。……先生、このぐらいの年の子にとって、お母さんがどれだけ大切か、わかりますよね?」

 諭すようでいて、だけどそれは脅迫。


 ――《願い》に対する思いが強いほど、心のダメージも大きく、場合によっては廃人同然になる――


「この子のジュエルを奪ったら、この子はきっと壊れますよね」

 それもいいかなあと、背中から回した腕を上げ、子供の顎に指を這わせる。

 子供は何も、反応がない。……まさか?

「まだですよ。まだこの子は、一人のプレイヤーです」

 藤俐と萱島の思考を先読みした返事も、安堵する要因とはならなかった。

「さ、先生。仕切り直しましょうよ。わたしはただ、もっと面白い《ゲーム》をしたいだけなんですから」

 全てが少女の作る舞台になっていく。だが、少女が思い描く展開になっていたのかどうかは、正直わからない。

 紗緒は萱島に目を向けていた。

 萱島は恐慌寸前で、冷静な判断が出来ないでいる。

 だから、それを見たのは、藤俐だけだった。

 無表情で無反応で、まるで死人のような子供の手に、小さくだけど鋭い、この一連の戦いで出来た硝子の破片が握られていて。

 子供は振り返りすらせず、逆手に持って自らも傷つきながら、それでも紗緒に向かって勢いよく破片を突き立てた。



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