第五章
部室に行くと、少女は既に来ていた。開いた窓から外を見つめている。音には気付いているだろうが、すぐには振り返らず、窓をゆっくりと閉めた。
「こんにちは、先輩」
少女は穏やかで嫋やかな、完璧な微笑で持って藤俐を迎えた。所作も完璧で、ドラマか映画のワンシーンの中に入ったかのような錯覚を覚える。全てが計算し尽くされていて、少女は自分の魅せ方を心得ているのがよくわかる。
藤俐は間違っても引き込まれないように、少女の作ったシーンを壊すように、乱暴に椅子を引く。苦笑交じりに、紗緒も続いて座った。
「答えは出ましたか?」
――雨宮紗緒を、どう扱うか。
藤俐はすぐには答えたりはしなかった。
「その前に、お前の実力を知っておきたい」
紗緒はわずかに首を傾げる。殆どの人間は騙されるだろうが、藤俐から見ると何処か人形じみた、演技じみた、だけど可愛らしい仕草。
「実力ですか。ジュエルを渡したことで証明したつもりだったんですけど」
「単純に敵を倒せるだけじゃ、俺はパーティーを組むつもりはない」
藤俐は言い切る。
「要はどれだけ、俺の役に立つかどうかだ。簡単に暴発する爆弾を抱える位なら、ソロでやっていた方がマシだからな」
「……」
人差し指を唇に当て、少し考え込む。表情は自然体で、何を考えているかは読めない。
ただ、今はあのおぞましい気配も、敵意も殺意も感じない。
「わかりました。わたしも、自分のプレイスタイルを先輩に理解してもらいたいと思っています」
意外に素直に納得する。ただ、問題はここからだ。
「で、誰と戦う?」
この《ゲーム》は何より、プレイヤーを見つけるのが難しい。作業の七割がプレイヤー探しといってもいいだろう。
その点だけならば、藤俐は他のプレイヤーより抜き出ている。藤俐は他者の表情や嘘、不自然さを察知することに優れているし、それが何に所以しているのかを調べることにも、エルヴィンのクラッキング能力や他の手段も含めて長けている。
だから何人かは心当たりがあった。だが敢えて告げずに、少女がどの程度の情報収集力を持っているか確認することにする。
ただスキルが戦闘向きというだけで勝ち続けられるほど、この《ゲーム》は甘くはない。どういう判断をするにしても、少女の持つ力を少しでも知っておく必要がある。
「一人、おあつらえ向きの人がいます」
くす、と少女が笑った。背筋に怖気が走るが、努めて表情には出さない。
「そうですね。先輩がいいなら、今から行きましょうか?」
立場が逆転したかのように、少女の方が不敵に笑う。試す側から試される側になる。
思う。少女自身はおそらく悪人ではないのだろう。あの風花と友達になれるのだから、尚更そう思う。
だが、あの血と死そのもののような、おぞましい気配は――
何を見て、何に《絶望》して、どんな《願い》を抱いて、どれだけ《願い》を蹂躙すれば、そんな気配が出せるようになる?
藤俐はそれを、見極めないといけない。
場合によっては、風花から排除することも考えなければならない。
そうでなければ、自身の《願い》の破壊だけでは済まないという予感があった。
藤俐は、自分の予感や直感というものを、スキルより何より信じていた。
「一体、誰だ?」
少女は名前を言った。
一瞬、すぐにはわからなくて、だがすぐに脳内で情報がヒットする。
自分も目を着けてはいたが、確実性と自身との関係性が薄いので調査が難しく、後回しにしていた人物。
「行きますか?」
少女の挑発に、藤俐は無言で立ち上がった。
紗緒は嬉しそうに愉しそうに、一緒に立ち上がる。
少女が先に部室から出ていく。藤俐も続いて部室を出た。
ガラガラ、と、引き戸の閉まる音が、まるで《ゲーム》を開始する合図のようで――
「……先輩」
「なんだ?」
不意に、少女が立ち止った。
「……何処にいるんですっけ?」
「………………」
無言でスルーして、藤俐はすたすたと少女を置いていく勢いで歩いていく。
「すみません待ってくださいだってわたしまだこの学校来たばっかりでこの学校むやみに広くてわからなくて」
「……お前な……」
先ほどの不敵な表情はどこにいったのか、紗緒はおどおどと、一番初めに会った時の小動物的な庇護欲を掻き立てる表情に変わっていた。
本当に、コイツの気配の変化だけは読めない。この変化も本気なのか、わざとなのか。
わざとなら、多分こちらの過剰な緊張を察知したのだろうなと、半ば自嘲気味に呆れながら、藤俐と紗緒は敵の元に向かった。
†
対象がよくいるのは大体二か所で、とりあえず近い方から向かう。いきなり当たった。
室内を見ると、対象一人だけで何か作業をしていて、《ゲーム》としては都合のいい展開だ。今の時間帯でこの場所にいる生徒の方が少ないが、もう一方は確実に人目があるので、その意味でも幸運だ。
「先輩、人払いできますよね?」
「あー、まあ。お前、出来ないの?」
「副スキルを駆使すれば可能ですけど、まあ正直集中したいので」
副スキルは、《討伐案内者》を破壊せずにそのままの形で奪うことで、《討伐案内者》自身の能力をスキルとして顕現させるものだ。《願い》の媒介がない分、現世への干渉が弱いうえに、その《討伐案内者》と契約したプレイヤーは《ゲーム》としてはまだ生きている。記憶を保ったまま、スキルを奪われ戦えなくなりセミリタイヤしたプレイヤー達。そういったプレイヤーを《NPC》と呼んでいる。そういったプレイヤーを増やしてでも相手のスキルを拾って手数を増やすかは人それぞれだが、そのあたりを紗緒に訊ねてみると「面白そうなら拾いますよ」と返ってきた。ちなみに藤俐には副スキルは持っていない。というより、実質勝利した経験がない。戦闘に適したスキルを所持していないのが一番の理由で、二番目に慎重さが上げられる――実際は一番と二番の理由が逆だったが、本人は意図的に無視している。
そう言った理由で、紗緒の副スキルについても把握しておきたかったが、藤俐としても無関係の人間に見つかるのはごめんだった。『第一段階』の存在は知っているだろうし、この程度はいいだろうと判断する。
「分かった。だが、お前が負けそうになったら俺は逃げるぞ」
すると、少女はおかしそうにくすくすと笑う。
「わたしが負けるぐらいのプレイヤーがいるなら、会ってみたいですね」
言葉の節々に高揚が見て取れるようになっていく。緊張が二人の間を満たす。
「人払いだけはしてやる。後はお前の好きにやればいい」
藤俐は、というよりおそらく大多数のプレイヤーは、少女のこの愉しげな高揚を、敵意と殺意を、あのおぞましい気配を、まず対応できないだろう。だからこそ、見て観察して、分析して解体していく機会があるのは、藤俐にとっては僥倖なのだ。
「行くぞ」
スキル発動――『Fから始まる領域決定・〈第一段階〉』
不可視の膜が藤俐を中心に、球体状に広がっていく感覚。他者には知覚できないこの感覚は、スキル名の通り藤俐によって定められるフィルターだ。
藤俐が定めたモノしか通さない濾過装置。人でも意識でも光や音でも電波などの不可視のものであっても、藤俐が定めたモノ以外は全て通さない。今回は派手になりそうなので、範囲内に向かおうとする意識を、紗緒と対象以外に半径五十メートルに渡って通さないようにする。
これでガラスが割れようとガス爆発が起ころうと、一般人はおろか他のプレイヤーですら感知しなくなる。
藤俐のスキルは性質上、あと二つの側面がある。だが条件なしに使えるのは『第一段階』だけだった。闇討ちぐらいにしか使えないので、よほどバカな相手でもない限り通用しない。
横目で少女を確認すると、何処か優しい目で藤俐を見ていた。
「なんだ?」
「いいえ。じゃあ、行きますね」
紗緒は特別教室の扉を開ける。
扉の上部には、『家庭科教室』のプレートがかけられている。
珈琲の染み抜きで、紗緒と彼女が親しく話していた、あの場所だった。




