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キミのカタチは不定形  作者: 珠川理緒
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第三章

 翌日、昼休み。

 藤俐は第三学棟の屋上に来ていた。深明学園において、最も空に近い場所。

 普通は生徒は入れないが、藤俐は不正に入手した合鍵で屋上に入って、購買で買った総菜パンを食べながら今後の方針を練っていた。

『雨宮紗緒、十五歳。血液型はAB型、二〇〇二年九月三日生まれ』

 ずらずらとプロフィールが並べられる。昨日書かれた雨宮紗緒の名前と、ケータイの番号、メールアドレスからエルヴィンがハッキングとクラッキングを駆使して手に入れたものだ。

 エルヴィンは画像と音声情報に憑依した《討伐案内者(マスコット)》であり、いわば電子の海の世界の住人だ。藤俐自身、PCのスキルは同年代と比べても遥かに高いし、エルヴィンを電子の世界の住人になるように勧めたのも藤俐だが、予想以上にエルヴィンは馴染んだ。エルヴィンは場合によっては市や県、警察の情報や防犯カメラの映像などもハック出来る。スキルが弱い藤俐が今まで負けないでいられたのは、正直エルヴィンの働きが大きい。一応は感謝している。

『私立森明女学院中等部……この学校の姉妹校だね、女子中学校だ。そこの出身だよ』

「一応、他の学校よりは交流があるが」

 藤俐は中学から共学であるこの私立深明学園の中等部にいた。入学した頃はまだ髪も黒かった。

『フルートの大会で全国二位に輝いている。すごいね。成績も体育以外は非常に優秀で、品行方正な生徒だったようだ。補導歴等もなし』

「お嬢様学校のあそこでは珍しくない経歴の持ち主だな。とはいえ、それなりに目立つ生徒ではあるはずか」

『フルートは生徒会で会長を務めるようになってから辞めたようだけどね。学校の情報からはここまでかな』

 それだけ優秀な人間なら知っている人間も多そうだ。だが、とも思う。

 どうも、そのプロフィールと昨日の昼に会った時の小動物的な印象とは合わない。かと言って、常にプレイヤーの時のような圧倒的なおぞましい気配の持ち主なら、さすがに今まで見逃していたというのはどうかしている。スキルもそうだが、何よりも気配の切り替えが彼女の行動や心理を読みにくくさせている。分かってはいるが、難敵だ。

『家柄も調べてみたけど、主に医者の家系のようだ。病院経営者と言った方がいいかな、彼女の親は。非常に優秀らしいよ。金銭的な余裕は大きいだろうね』

「…………」

『一応言っておくよ。フーカの住んでいる病院は、雨宮の家の者が経営している』

「……やっぱりか」

 人質に取られていると見た方がよさそうだ。――焦るな、まだ何も始まってすらいない。

『家族構成は父、母、兄、本人だね。これ以上は、電子の海から拾うより、人の評判を聞くべきかな』

 一通り聞き終わって、はむ、と総菜パンを齧る。それなりに美味いのだが、今日は味気ない。

 エルヴィンが拾ってきた情報を暗記するほど見てみるが、記憶に引っかかる情報がない。本人も小さな出来事だと言っていたし、正直ここから突破口を見つけるのは難しいかもしれない。

 ゴトン、と扉の開く音がした。藤俐は振り返らず、スマートフォンをポケットにしまい、「よっ」と手だけを上げる。

「藤俐! 来てたんだね!」

 舞形(まいかた)風花(ふうか)が、満面の笑みで、お弁当を抱えてやってきた。

 病的に白い肌も、痩せすぎた矮躯も、病人そのもので痛々しい。だけどその笑顔だけは、健常者にすら出せるかわからないほどの輝きを見せていて、藤俐にはそれが眩しかった。殆ど風花にしか見せない穏やかな微笑で、柔らかく迎える。

「今日はおにぎりか」

「うん。おばさんが作ってくれたの」

 風花の言うおばさんは、病院の食堂のおばさんのことだ。風花は入院と言うよりは、もはや病院に住んでいると言った方が正しい。学校の登録上の住所は別にあるが、風花にとっての家は、あの病院で病室だった。

「最近ね、身体の調子いいんだよ。春だからかな? ねえ、お花見しようよ」

「なんでわざわざ人混みに行かなきゃいけねぇんだよ」

 面倒なので却下したが、

「春と言ったらお花見だよ? それに、桜のあるところが人混みとは限らないよ」

「知ってるの? 穴場スポット」

「先生が教えてくれたよ。だから、行こうよ」

 風花の話に出てくる人物に、家族の名前は殆ど出ない。特に、両親の名前は。

 年々弱っていき、タイムリミットの近づく娘を見るのが耐えられない――風花の親は、そういう弱さを持つ大人だった。

 風花は二十歳まで生きられないと宣告されている。事実、藤俐と同い年なのだか、風花の学年は一学年下になる。出席日数不足で留年してしまったのだ。

 彼女の心臓には爆弾がある。生まれつきの病魔と言う爆弾。人口で埋め込まれた補助心臓、毛髪が全て抜け落ちるほどの強い薬を使って、何度も手術を繰り返して、最近はようやく病態が落ち着いてきている。激しい運動やショックがなければ、あまり健常者と変わらない。髪だけはウイッグを着けざるを得ないが、日によって好きに髪型を変えることが出来ると、本人は本当に気にしていないようだ。今はショートボブのウイッグを付けている。一番見る頻度の多い髪型だ。

 少女自身はそんな(したた)かさを持っているのに、その両親が持つ弱さに苛立ちを覚える半面、共感を持っている自分もいて、正直藤俐も風花をどう思っているのかはよくわからない。

 ただ、風花が藤俐の《願い》の根源にいることだけは、確かだ。

「人がいないならいいんだけどな」

「でもお花見はいっぱい人がいた方が楽しいよ?」

「準備がめんどくせえな」

 とは言いつつも、多分行くことになるだろう。

「誰誘おうかな。ねえ、藤俐のお友達も誘ってよ」

「ぜってぇヤダし。花より団子ってレベルじゃねぇぞアイツら」

 何人か思い浮かぶが、即座に却下した。

 そんな他愛ない会話をしていたが、気の重い話題をしなければならない。

「なあ、いいニュースか悪いニュースかよくわからないニュースか、とにかくニュースがあるんだが」

「ええ? 藤俐がそんなこと言うなんて珍しいね」

「……同好会に希望者が出てな。雨宮紗緒って言うんだが」

 すると、風花は目を輝かせた。

「そっか! やっぱり紗緒、来たんだね!」

 ――喜びの声が、藤俐の裡で暗く変わる。

「知り合いか?」

「うん。親友だよ」

 おくびもなく言い切る風花は、屈託がない。

「ねえ、一緒にお弁当食べていいかな? 呼んだら来るよ、きっと」

 いい、とも、ダメだ、とも言えなかった。風花は戸惑いの無言をイエスと捉えたようで、ケータイから電話をかけ、今いるこの場所の名前を告げる。

 この場所は、空が好きな風花のために用意した、風花と藤俐のとっておきの場所の筈だった。

 その筈だったのに。


「風花さん! 先輩!」


 予想はしていた。

 それでもどこかで、人違いであってほしいという甘えた希望を抱いていたのも事実だ。

 そんな甘えは、《ゲーム》で通用するはずもなく。

 雨宮紗緒は、現れた。

「紗緒、久しぶりだね!」

 制服が似合うとか、風花と親しげに、楽しく会話する様子を見ていると、日常が浸食されていくような不快感が生まれていく。

「ちょっと来い」

 そして藤俐は、最悪の失敗をしてしまう。


   †


「……っ!」

 雨宮紗緒を屋上から引っ張り出し、非常階段に無理矢理押し込む。

 壁側に押し付け、壁に手を押し付け、逃げないように、逃げられないように。

「あ、これ噂の壁ドンですか!? わ、わわわ!?」

 シチュエーションに舞い上がっている。ように見える。

 だけど、それは偽物の反応だと、藤俐にはわかった。

「……何をしていた?」

 ダメだ、と理性が忠告する。それなのに視界が赤くなることが抑えられない。声が低くなるのが止められない。

 少女はそんな藤俐の反応をまるでわかっていないかのように、首を傾げた。

「えっと、お話ししていただけですけ、」

「いつからだ?」

 ポケットからツールナイフを取り出し、刃を〝敵〟の喉元に向けた。

 向けてしまった。

「…………」

 本当に、見た目は何もわかっていない、ただの女の子にしか見えない。どこか庇護欲を掻き立てる、無邪気さと無防備さを孕んだ(かお)

 だが、藤俐の敵意と焦燥に反応したかのように、少女は天使のような、どこまでも透明な微笑を浮かべた。

「後で風花さんに聞いたらいいと思いますよ? 《ゲーム》に関することは、何も話していませんから」

 それよりも、と少女は話を変える。

「このナイフは、どういう意味ですか? わたしと、敵対する、と?」

「お前が風花を巻き込むなら、」

 それでも、と言葉を続けようとして。

 藤俐は完全に硬直する。同時に直感で分かった。

 ――失敗した。

「風花さんが大事なんですね。そんなに冷静さを失ってしまうぐらい」

 声色はむしろ愛しさが宿る。熱のこもった甘さすら込められていた。

 だが気配は、凄まじい敵意と殺意に完全に塗り替えられている。

「判断を間違えてしまうってわかっているのに、我慢できなくなるぐらい、大事なんですね」

 藤俐は動けない。

 天使のような微笑を浮かべているのに、なのに瞳だけは、

「いいなあ……羨ましいなあ……」

 嫉妬が、羨望が、憧憬が、愛が、欲望が、

 敵意で掻き混ざり、混沌とした闇色となって、藤俐を貫いていく。

 同時に広がっていく、あのおぞましい、血の気配。

「もし風花さんがいなくなれば、わたしは風花さんに替われるのかな?」

 殺意に欲情しているかのような熱情に、血のような死のようなおぞましい気配に、藤俐は動けない。

 少女は唇を舐める。

 体勢では追い詰めているのはこちらなのに、少女の静かな激情に完全に追い詰められている。

 少女はナイフの刃の部分を握りしめた。反射的に引こうとして、でも少女の手を流れる赤いものを見てしまい、更に動けなくなる。

 少女は掌が、指が傷つくのを一切構わずに藤俐の腕ごとナイフを下に引く。躊躇いを無視して少女はもう一方の掌で藤俐の頭を包み込むように抱き寄せて。


 そのまま、唇が重ねられた。


「――――!?」

 少女は目を閉じて、激情を幕を下ろしたかのように遮断している。

 藤俐が恐怖からの硬直、それを塗り替える程の驚愕から我に返るのに、二秒強を必要とした。

「……っ!」

 藤俐は自分からナイフを手放し、壁を押し出す勢いでようやく少女からわずかではあるが距離をとれた。

「何、をっ」

 混乱する頭が情けない。

 だが言葉を発することができたことで、少女の激情が消えている――藤俐から見て、完璧に隠されたことに気付いた。

 少女は先ほどの天使の微笑とは程遠い、人間らしい苦笑を浮かべてくる。

「ダメですよ、簡単に女の子に刃を向けちゃ。だからちょっと脅かしちゃいました」

 大丈夫ですか? 

 そう訪ねる上目遣いの瞳は、最初に部室に来た時と変わらず、どこかおどおどとした、庇護欲を掻き立てるもの。

「実はわたし、今のがファーストキスなんです。……これぐらいはいいですよね?」

 だけど今のは間違いなく現実だったと、不安げに訊ねるその手にはナイフが、喉元には小さな傷が、赤を帯びて残っている。

「風花さんを巻き込むつもりは、ありませんよ。それだけは安心してください」

 穏やかな微笑は、何も知らなければ誰もがきっと安心を覚える類のもので、たった今みせた激情を知っている藤俐は、そんな微笑を平然とできる彼女に恐怖を覚える。

「戻りましょう。風花さんが心配しますから」

 紗緒はそのまま非常階段を上っていく。

 姿が見えなくなるまで、藤俐は何も出来なかった。

「~~~~~~っ!」

 自分への怒りで思わず拳を殴りつける。痛みは気付けにちょうどいい。

(もしあいつが本気だったら)

 負けていた。それ以外に想像できなかった。

 熱情も激情も敵意も殺意も、あれは本物だった。 

 ただでさえ、《ゲーム》は精神面がスキルの活用性に左右する。少女の実力は、おそらくあの激情が源となっている。

 その上で、激情を駆け引きに利用する狡猾さを併せ持っている。

(勝てる気がしない)

 もし、少女が今、本当に《ゲーム》をしていたら間違いなく、風花は利用され、藤俐は負けていた。少女が引いたのは、ただの気まぐれでしかなかった。それ以外に引く理由が考えられなかった。

 藤俐はただの気まぐれに、生かされた。

 もう一度、拳を壁に叩きつける。ここまで掌で転がされて、気まぐれに弄ばれて、何も出来ない自分に腹が立たないなら、プレイヤーの資格すらない。

 藤俐は完全に、敗北したのだ。



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