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キミのカタチは不定形  作者: 珠川理緒
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第十二章

 この期に及んで、覚悟が決まっていない自分がいる。

 藤俐はそれが腹立だしい。結局のところ今まで《ゲーム》で勝つことができなかったのは、他者の《願い》を潰すことに抵抗を感じていたから、その甘さだ。

 だが、藤俐が負けたら、《願い》はどうなる?

(風花がまた、誰にも見られなくなる)

 また偏見と憐憫の目を向けられ、日常生活を送れなくなるだろう。重病で――自ら屋上から飛び降りて留年して、本来なら浮いて当然の立場である風花が周りに溶け込めているのは、そういう偏見や憐憫の目がないからだ。周りは真っ直ぐに、風花の心だけを純粋に見て、そして風花は受け入れられた。

 今はそれしか叶えられていない。だけど《願い》が完成すれば、風花だけじゃなく、きっと誰もが。誰もが、きっと。

 藤俐は左腕を無意識に撫でる。確かに繋がっている、それはわかる。

 “だけど切断したのは、雨宮紗緒だ”。

 そして何より、藤俐の腕を切断したと分かった時の、紗緒の表情は――

(――笑っていた)

(そうだね)

 エルヴィンは無機質な声音の中に、しかし藤俐にはわかる程度には、嫌悪と侮蔑を混じらせる。

(ボクは反対だよ。これは譲る気はない)

 エルヴィンは自分たちの安全を優先するべきだと主張する。藤俐も頭ではそちらに賛成している。

 どうするべきか、理性と感情の間で堂々巡りになりつつあった。

 その時だった。

『うわ?』

 エルヴィンが電子合成された声で、無感情に驚きの声を上げる。スマートフォンから着信音とバイブレーションが同時に響く。

「誰だよ……」

 思わず毒づきながら相手を確認すると『風花』とあった。

「風花?」

 メールはともかく、風花は自宅が実質病院ということもあって、電話は滅多にしてこない。

 現在の事態と風花の思考を天秤にかける。

(雨宮は?)

(近くのコンビニにいる。GPSだけじゃなく、防犯カメラの映像もリアルタイムで確認しているから間違いない)

 なら、と通話をタップすることにしようとして、

「おい、お前出てけ」

 萱島葵がこちらを見ていることに気付いて、部屋を出て行くように言うと、案外素直に従った。

 言動の噛みあわない子供のことは、今は無視する。

「風花?」

『藤俐? 今大丈夫?』

 風花の声にいつもと違う様子はない。その違いのなさに、安堵を覚える自分がいた。

 よく考えたら、紗緒が風花を人質に取っても、あるいは恋愛感情的な意味であっても、手出しをしないと思う方がおかしい。何故だか「風花には手を出さない」の言葉を無意識に信用していて、信用させられていたことに気付いてぞっとした。

「まあ、長電話じゃなければな」

『そう』

 うーん、と風花が悩む感じで、沈黙が下りる。風花の会話の中ではよくあるが、今の怪我の状態で付き合うのは少々辛い。

「なあ」

『うん?』

「お前から見て、雨宮ってどんな奴だ?」

 少しでも情報を手に入れたいのと、間が辛いという理由で、藤俐から聞くことにした。

 そんな唐突な質問にも、風花は真剣に答える。

『やっぱり、お昼ご飯の時に何かあったんだね』

「……」

 気付かない振りをしていたんだなと、僅かに諦めも含めてそう思った。

 風花は藤俐とは、もしくはあの少女とは全く別のベクトルで、他者に鋭い面がある。

『藤俐はお世辞とかが大嫌いだから、風花も正直に答えるね』

「……意外だな」

 風花は人の評価に他者の主観が入ることを良しとしない。つまり、噂などで勝手に印象を、偏見や色眼鏡で持つことに繋がることに対して、忌避感を持っている。それが原因で、風花自身もいじめに遭い、何より病魔の理解を得られずに苦しんできた人を見てきているからだ。

『藤俐も紗緒も、風花は大好きだから。仲良くなってほしいんだ』

 藤俐の抱いている少女への恐れを見抜いているかのような、そんな風花の言葉に藤俐は何を言えばいいのかわからなかった。

 藤俐の戸惑いは伝わらずに、風花は言葉を紡いでいく。

『紗緒はね、嘘が上手いよ。演技も上手。だからね、お昼は思わず納得して、きっと紗緒だけじゃわからなかったと思うけど。藤俐は嘘がつけないもんね。藤俐を見たらすぐわかったよ』

 淡々と指摘するような、だけど当たり前のことを言うように。

 風花は〝何が〟あったのかは、訊こうとはしなかった。その気遣いがありがたくて、同時に申し訳なく思う。

『紗緒はね、怖いよ。とっても怖い子。でもね、風花や藤俐には怖くないよ』

「ん……?」

 風花の言葉選びは、長年付き合ってきた藤俐であっても難解に聞こえる時がある。上手く伝わってないのがわかったのか、風花はまた少しだけ悩んだ。

『あのね、普段はとっても優しくて、いい子。面白いし、気遣いも上手だよ。だからね、風花は紗緒といると楽しいし、安らぐの』

 その言葉は、どこか自慢げだった。

『でもね、時々すごく怖いと思う。それはね、風花には絶対向けないけど、でも、風花に酷いことをしようとする人達には、すごく怖いの。見た目は変わらなくて、風花も最初は全然わからなくて、気のせいかなって思ってたし、もしかしたら本当に気のせいかもしれないけど』

 言葉とは裏腹に、風花の中では何らかの確信があるように、揺らぎがない。

『でもね、怖くていいの。風花も、藤俐もきっと、友達を傷つけようとする人には、怖くなるよ』

 怖い風花というのは想像できなかったが、言いたいことは伝わってきた。

 それにね、と。怖いと何度も言う割には、ずっと風花は明るく楽しそうに話している。

『風花がね、怖いって思えるぐらい、紗緒は強いんだよ。だからね、怖くていいの。だって、紗緒は親友だから。……でも、そうだね』

 少しだけ、トーンが下がる。

『哀しくなったり、寂しいなって思うときは、あるんだ。……脆さや弱さも、紗緒はうまく隠しちゃって、風花じゃ見つけられないから』

 時々紗緒が何処にいるのか、わからなくなるの。

 寂しそうに、風花は呟いた。

『藤俐、これから紗緒に会うの?』

 これからというよりずっと一緒にいたのだが、藤俐に答えられるわけがない。嘘を吐けないから肯定も否定もしなかったが、風花には返事は必要なかった。

『あのね、もしよかったら。紗緒を見つけてあげてほしいなって、思う。本当なら、風花が見つけないといけないんだろうけど、風花じゃ……ダメなんだと思う。でも、藤俐ならきっと――』

「なんで、風花じゃダメなんだ?」

 雨宮紗緒のことを、藤俐はまだ殆ど知らない。だけど、風花は知っていて、その風花が珍しく電話してきた理由。

『風花は紗緒を置いて、空を飛んじゃったから』

「…………」

 あの時。

 風花は空を飛んだ。サイレンの音。僅かに甘い花弁の香り。冷たい雨。腕に抱いた風花の身体の軽さ。

 その頃から、この二人は付き合いがあったのか。

『その時からきっと、風花は紗緒を、置いてきぼりにしてるから、だから』

 風花じゃ無理なんだ、きっと。

 声にはひたすら諦念と悔恨が滲んでいた。

『だから、藤俐にしか、紗緒を見つけることはできないと思う』

「そっか」

 そう、言うしかなかった。

「答えは決まってる。けど、今は覚悟が足りない。その覚悟をあいつに見せるまでは、俺は何も答えられない」

 情けない言葉だった。だけど、藤俐は自分を偽らない。

「その結果がどうなるか、俺にもわからない。だけど、覚悟を見せる覚悟を、風花はくれたから……感謝してる」

『……そっか』

 声が少しだけ、柔らかくなる。

『風花も役に立てること、あるんだね』

 沢山ある。そう言いたかった。

 風花は自分で思っているより、遥かに人を見ていて、助けようと願っている。

 実際に何ができるかは問題じゃない。その気持ちが、《願い》が、いつだって藤俐の助けになっている。

 だけど、何も行動できていない以上、ただの慰めにしかならないから、藤俐は今は、何も言わない。

『じゃあね、藤俐。頑張って』

 通話は切れた。

 目を閉じて、二人の少女、親子の《願い》を、思う。


   †


 何とか身を起こせるようになった頃、雨宮紗緒が戻ってきた。だが奇妙なことに、

「……なんでずぶ濡れなんだ?」

「雨に濡れたい気分だったんですよ」

 さらりと返された。

「わたし、雨が好きなんです」

「ふーん」

 どうでもよかった。

(雨が、好きなんですか?)

「…………」

 既視感。いや、何かが記憶に引っかかっている。

「どうしました?」

「別に」

「……そうなんですか?」

 びしょびしょになった服の代わりに、クローゼットから着替えを持って、

「覗いちゃ」

「天丼は面白くない。さっさと行け」

「……乗ってくれてもいいじゃないですか」

 ぶつぶつと楽しそうに文句を言うという矛盾した言動は、正直藤俐から見ると理解不能な生き物にしか見えない。

(エルヴィン)

(なんだい?)

(文句言うなよ)

(仕方ないね。《討伐案内者(ボク)》らは主役じゃないんだから)

 その言葉を残して、エルヴィンは意識から消えた。

 今日、藤俐は初めて、自分の力で《ゲーム》に勝つ。

 そう決めた。他者の《願い》を潰すことに決めた。

「じゃーん! どうですか、先輩?」

 着替えが終わった少女は何か振り切ったのか、やたらとテンションが高い。

「お前のファッションなんかどうでもいい。大体、なんでそんなにテンションあがってんだ」

「だって」

 恋する少女は、華やかに笑う。

「先輩、覚悟を決めたプレイヤーの顔をしていますから。そんな先輩のカッコいい顔を見れたことが、とっても嬉しいんですよ」

 少女は本当に嬉しそうに、言い放つ。

「決めたんですよね? どうするか。わたし、正直逃げるかもとか思っていました。でも、さすがにそれは失礼だったみたいです」

 恋する少女の顔は、《ゲーム》の時とは全く違った別種の高揚で頬を赤く染めていて。

 藤俐も、認めざるを得なかった。

 この少女の恋心は、本物なのだと。

「どんな選択をするのか、楽しみなんです」

「勝手に楽しみにしとけ」

 うっかりすると、そのまま呑みこまれてもいいんじゃないかと思えてしまうぐらい、その恋心は純粋で、透明で、どこまでも飛べてしまいそうで。

 まるで、あの水の羽根のような、そんな恋を、少女はしている。

 藤俐は立ち上がる。まだ貧血が酷かったが、なんとか耐えた。時間を確認する。午後八時半過ぎ。あと一時間と少し。

 その頃にはきっと、藤俐は少女に刃を向けている。

「一体何を企んでいるんですかね?」

 少女は何もかも見透かしたように、それが楽しみで仕方ないと言いたげに、藤俐の腕と自らの腕を絡めてきた。

 はねのける気には、何故かなれなかった。


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