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キミのカタチは不定形  作者: 珠川理緒
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第九章

 高速で空を飛ぶ。風は水に遮られて何も感じないが、轟々と音だけは凄い。水中にいる感覚はあるのに、息はできる。ちぐはぐな感覚ばかりで気分が悪い。

 だが一番気分が悪い理由は、多量の出血と無理矢理に止血しているために千切れた左腕の先がうっ血してきて、重度の貧血と痺れが起きている、この状態だ。正直、気絶したい。

(脱出は、……無理か)

 自分のスキルでは、とてもこの水球を壊せそうにない。せめて目を開いて情報収集しようとするが、水中で目を開けた、あのぼやけたような視界が広がるばかりで、何も見えない。

(エルヴィン、どうなってる?)

 脳内で問いかける。脳の中に直接声が届く感覚が気持ち悪くて普段はスマホやパソコンなどのチャット機能や音声で会話しているが、本来はこちらがメインの会話方法だ。

(移動中だね、高速道路の車並みのスピードだ。GPS機能を使っているけど、速すぎて捉えられない)

(チッ)

 舌打ちしてしまう。捕えられたこの状況は最悪に近い。

(いや、待った。スピードが落ちてきている……どこかのビルに降りるみたいだよ)

 水球に閉じ込められている状態では外界の刺激は非常に緩やかだが、そう言われると轟々とうるさいぐらいだった音が、少し減ってきている気がする。今は自分の五感はあてにはできないが、エルヴィンのGPS機能へのハッキング能力は確かだ。

 ぱあん、と風船が割れるような、弾ける音。視界が急にクリアになり、感覚が連続してついてきてくれない。目をしばしばさせ、状況を把握する。

 どこかの屋上だった。そこで雨宮紗緒は、広げていた水の羽根をしまい、自分を解放した。

 だけど少女の表情だけはわかる。声だけでもわかる。

 家庭科室に入る前の、高揚に興奮する、あの微笑。

「これから先輩の腕を治療しないといけませんから、私の家に来てほしいんです」

「誰のせいで腕が千切れたんだろうな?」

 反射で毒づくが、今千切れた腕は少女が持っている。治療のすべも自分は持っていない。

 千切れた腕、その手を少女はにぎにぎして感触を確かめている。生理的嫌悪感で鳥肌が立った。

「先輩が素直に来てくれるとは思いませんが、治療はすぐに開始した方がいいので」

 花が咲くような、可憐な微笑をもって、少女は言い放つ。

「すみません、先輩の意見は無視させてもらいますね」

 少女はハンカチを取り出した。既視感。あのハンカチから何が出てきたか。

 思考より身体が動くより、先にハンカチが振られる方が先だった。

 視界が真っ暗になり、水球に閉じ込められた時とは比べ物にならないほどの圧倒的閉塞感。

 藤俐はその閉塞に耐え切れず、とうとう気絶した。


   †


 ここは夢のように曖昧ではなく、確固たる意識の中だった。

 だから今見ているのは、夢ではなく、記憶なのだ。

「風花……! 風花!!」

 まだ髪が黒い藤俐は、ただ無力に叫ぶしかできない。

 風花は校舎から自ら飛び降りた。度重なる薬や手術の作用に身体が悲鳴を上げ、頭髪が全て白くなったのがきっかけで、いじめに遭っていた。両親も心が折れかけていた、そんな時期だった。

 風花は両親にもそんな奴らにも、笑って過ごしていた。風花は言った。


 ――相手が風花を嫌いだからと言って、風花も嫌いになる必要なんてないよ。


 その言葉は眩しく、だけど助けを求めない風花に苛々して、それは結局自分に助ける力がないからだとわかったのは、横たわり頭から血を流している風花の姿を見た時だ。

 どうして、と藤俐は呟く。どうして、あいつらは、世界は、風花を理解しない?

 風花の身体に爆弾があるとわかって風花の心を見つめられなかった風花の両親も、爆弾を抱えているというだけで憐憫の情しか向けない世間の目も、風花の髪が白くなっただけで嫌悪し拒絶しひたすらに風花を痛めつけてきたアイツらも、どうして、そんな表面の事象に囚われて、風花の心を見ようとしない?


『それがキミの《願い》かい?』


 まだエルヴィンと名付けていなかった頃の、《討伐案内者(マスコット)》としての本当の声で、直接心に語りかけられた。

 藤俐は異常なはずのその現象にも、何故か驚きなどを感じなかった。

『ボクと契約したら、とりあえずは《願い》を叶えるよ。その代り、《ゲーム》という、辛い戦いが待っている』

 高い男性のような、低い女性のような、性別不明の声だった。

 だけどその声は、絶望していた藤俐の心に優しく染み渡る。現在の無機質さはなく、大人が泣いている子供に笑いかけるような優しい声は、この《討伐案内者(マスコット)》の本来の性質なのだろう。

 そして説明を受ける。《討伐案内者(マスコット)》の奪い合い。《願い》の潰し合い。そして、その後に待っている、《願い》の完成か、或いは無か。

「……あ、りが、と……と……り」

 少女は血を流し、傷つきながら、意識も失って。

「しあわせ、……だったよ……」

 それでも他者を恨まず、幸せだったと言える彼女を見て、藤俐の心は決まった。

「俺の《願い》は――」


 ――誰もが、人のカタチを、正しく捉える世界に。


『優しく哀しく、美しく残酷な《願い》だね』

 《討伐案内者(マスコット)》は憐れむように悼むように、優しい声で、契約を完了させる。

 横たわる少女を抱きしめる。


 それがどんなに困難な《願い》だろうと、必ず叶えてみせる。

 だから、風花。

 目を開けてくれないか?


 少女は答えない。

 だからサイレンの音が背中に近づいても、少年は少女を抱きしめ続けた。

 そうすれば目を開いてくれると、絶望の中、それでもそれを信じて。



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