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およそ19,000キロメートル

  さくり、と足元の白い地面を踏みしめる。

 今朝方まで降り続いていた雪は止んで、今は足元にその残りが積もっているだけだ。

 日本という国の端っこ。一番北だ。

 稚内駅からバスに乗り多分1時間半ぐらい。思っていた以上にあっけなく到着した事に安堵しつつ、とても広い海を眺める。

 こうして海の匂いを感じるのも何年ぶりだろうか。子供の頃だってそんなに何度も海へ行ったわけじゃないし、特別に好きだったという記憶も無いけれど、その匂いにどこか懐かしさを覚えた。今はまだ3月の半ばで、”なまもの”を外に放り出してても腐ってしまわないような寒さだったけど、空は太陽も見えてきてとても青く、存外にこの場所に歓迎されているような感じがした。


  ここに来た目的の一つを果たすためにリュックを下ろす。先生が用意してくれた鞄で、ナントカとかいうドイツ製の物だそうですこぶる軽くとても良い。ジップを開ける。丁度今の空のような冴え冴えとした青色の鞄を開いて、真っ白な枝みたいになった骨を、取り出す。

 透明なビニル袋に入れたそれを抱えて、防波堤に立って、ようやく、ここまで来れたんだと感じた。

 両親の手。父親の左手と、母親の右手。僕の記憶に残っていた一番大きな彼らの存在といえば、間違いなくその二つで、いつもその両手に引かれながら歩いていたんだ。ここまでも。

 あの時の僕にとっての彼らはその両手が全てで、今この瞬間もきっとそうだった。だからここでやっと別れられる。ここから、最後まで歩くのだ。自分の足で。

 袋に手を入れて取れるだけの指の骨。握る手に力が入るとそれはあっけなく手の中で砕けて、それを海に向かってばら撒く。握って、ばら撒いて握って。袋が空になった。

 最後の一握りは空に向かって投げた。手が粉っぽいのではたいて落とす。

 これで両親の手は、海を伝って世界中に散らばっていく。海が見えれば何処にだって二人の手はあるんだと思うと、少しだけ感じていた心細さもなんとかやり過ごせる気がした。それに、なんだがとても清清しい気持ちだ。普段出来ない事をする、というのはとても良い事なのだろう。


  もうすぐ16歳だ、というタイミングで病気にかかってからこっち、こんなに自由に外を出歩いた事は無かった。両親からもらった地図を見て、写真で見て、本を読んで想像するだけ遠い場所が沢山できて。

 地図で見たこの国は綺麗な青色で縁取られていて、とても小さかった。行けない所なんてなかった。ただその他の物全てが遠かった。学校や友達、親友に両親の手。

 それらが急に目の前から消えて、自分の人生がこうなるよう定められていた物のように感じた。

 それから差し出されたもの全てを受け入れて生きてきたら、いつの間にかどうしようも無い所まで来てしまって、残ったのは割と沢山のお金と、燃料補給の出来ない自分の体だけだった。

 先生から示された事は3つ、僕の体が発する事が出来る熱の総量と出来るだけそれを長持ちさせる方法。そして、それは自身が勧めた治療のせいだと言う事で。その話を聞いた時に少しおかしな気分になって笑ってしまったのだ。

 もし僕がその治療を受けていなければ、多分時間切れの後も辛うじて生きていけてはいたのだろうと思う。ただそれは多分、生きているというだけで、死んだような生活を送る生者でしかないんじゃないだろうか?僕は今、死んではいるけどここにこうして立っているのだ。ただ在るがままに救われただけなのではないのだろうか?

 全部が終わって戻れたら、先生にはきちんとお礼を言おう。少なくとも僕はやりたかった事をやれているのだから。


  この日本最北端のモニュメントは僕らの墓標だ。3人分としてなら丁度いいサイズじゃないだろうか?

「よし。」

 此処に帰ってくる理由も出来た。周りには人が全く居なくて、今更ながらに世界に取り残されたような気分になった。

 首から提げたカメラで墓標と海と空を撮る。かなり昔の物らしく、父がずっと大事にしてた物だ。自慢げに、このカメラは昔物凄く高い山に登った人が持っていってたカメラと同じモデルなんだと嬉しそうに言っていた。兎に角頑丈で寒さにも強いらしい。もうこんなものはクラシックとすら呼ばれなくなった時代の物で、古過ぎるけど使えるっていうのは死んでるけど生きている自分には似合いの物なんじゃないかなと思えた。フィルムを巻いて、手を離す。

 目の前に方角が示されてるので確認するまでも無い事だけど、鞄に吊り下げたコンパスを見て。

 此処から、東へ。自分の頬を手でなぞって、それが散らばる前の冷たい塊である事を確かめて。骨が無くなって水ばかりが詰まったリュックを背負いなおす。

 少しだけ振り返って行って来ますと口に出すと、背中を押すように冷たい風が吹いた。リュックのチェストハーネスを繋いで、歩き出す。トレッキング用の黒い防水ブーツが頼もしい感触と共に足跡をつける。

 僕に許された熱量は約14万kcal。人が普通に生きていれば2年も持たないぐらいの熱は、時間が終わった僕の体を、それ故にもう少し長く動かしてくれる。ここから、歩いていって歩いてこれるのだ。

 かつて僕が指でなぞった、青に縁取られた日本という、世界の輪郭を。

 その距離はおよそ、19000キロメートル。

暫く続きが用意できなさそうなので、短めですが投稿しておきました。これからは他にも人が出てくる予定です。

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