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黒死病

勢いで書き始めたので専門知識は不備等あると思いますが、生暖かい目で見過ごして頂くかご指摘いただけると有難いです。初投稿になります。

  分厚い硝子の向こうの部屋で、その青年は穏やかな表情をしていた。

「色々と話が聞けて良かったと思う、本当に。」

話してくれてありがとう、という言葉もかすれたままついでのように自分の口から滑り出す。

 彼が何を感じて、どう思ったのかなどは俺には全く想像出来ない。

自分の残り時間や手元にある財産を、そういう風に消費していく患者は今までに出合ったことが無い。

 今も彼の命の期限を示すデータは順調に上昇曲線を描き、それはもうさほど後が残っていない事を示していた。

「いえ、僕も話せて多少気が紛れました。ちゃんと聞いてくれて有難うございます。」

 スピーカー越しのこちらを気遣うような彼の声は、多少ノイズ混じりの物でやはり不思議な感じがした。硝子一枚を隔てた向こう側は確実に隔離されている。強化硝子の窓に、扉の無い部屋。その窓も外は見えず、隣の部屋――面会部屋の方に向いていて、まるで病衣を着せられた囚人のようで。

 その姿を直視することが出来ず、つい俯いてしまう。

「2日後には完全に面会謝絶になる。物の支給が出来るのも明日で最後だが、必要な物があったら早めに伝えてくれ。」



  彼はただの病人だと、病人だった人だというのにこういった扱いにせざるを得ないというのがとても、悔しいし、やるせない。人に対して危険な感染症患者としての扱いをするのは、医者として働いている自分ですら見なくなって久しい。

  ナノマシン治療、マイクロマシンによる施術。関わる者誰もが治せない病気は無くなったと希望に満ち溢れていて、そして新たな病気が生まれた。

 黒死病、大昔の流行り病と同じ名前で世間からは認知されている。何処かの大衆紙が患者の最期の姿を写真で掲載し、その呼び名を使ったセンセーショナルな記事を書いた。俺も初めて罹患した患者の最期――真っ黒な体――を見たときは吐いてしまった。

 本物のペストの、敗血症患者の最期とは比べ物にならない、何よりも人の為した事のおぞましさが先に立つような最期なのだ。例えるならそう、黒い部分が増えたテレビの砂嵐のような、人のシルエット。

 残るのは人の形をした機械の塊でしかない、そしてそれはきっかり6時間その形を保った後散らばっていく。今彼の体の中には真っ黒な砂嵐が流れていて、それが彼の命、では無く意識を繋いでいる。瞳孔が開き心臓も動かず体温も無い彼の、意識を。医学的な死の条件は満たされている。

 カルテを見るまでも無く彼の元々、生きていた時に罹っていた病名が頭に浮かぶ。


  診断は小児白血病、急性リンパ性白血病。分子標的薬の進歩と、マイクロマシンによる血液のモニター及び適切な投薬。少ない回数の入院治療で100%の寛解、ほぼ確実な完治を達成した画期的な治療。

 当時、保険の効かないこの途轍もなく高額な治療を両親の、事故死の保険金で彼は受けた。順番が回って来てもすぐに受ける患者が少ない中、彼は順番が回って来たその日に病院に来て治療を受ける意思を示した。

話の中で彼も言っていたが、恐らくその事故は自殺だろうと俺も思う。白血病治療のため当初出会った頃はとても仲の良い、信頼関係を築いている夫婦で、そして家族だった。彼も当時は高校に入ったばかりで年に似合わず素直な、それでいて頑固でよく気が回る患者だった。

 

 発病した当時、治療は難航した。小児白血病は5年生存率が比較的高い、それも急性リンパ性なら特に。だが彼の年齢はギリギリ小児に当てはまる範疇で、当時よく使用されていた副作用の少ない薬は効果をさほど示さず、よくテレビドラマで見るガン患者そのものになってしまうような治療もいくつも試した。

 彼はよく頑張ったが、そのどれもが、おおよそ有効だと言えるような物ではなくただ症状の悪化を妨げるモノでしかなかったのだ。ただ彼は運が良く、そしてとても悪かった。

 その年、新たに開発された治療薬。そして簡単なウィルス治療に使われていたナノマシン技術の粋を尽くして作られた、常時稼動型治療用マイクロマシン。その効果は凄まじかった。

 藁にもすがるような思いで手を出したその新薬は劇的な効果を示し、投薬もマイクロマシンからのモニターフィードバックにより適切な量を適切なタイミングで行える。それ自体が治療能力を持ち、変異したリンパ球や白血球に投薬、さらにヒトでいう所の外科的な処置を血液中の細胞そのものに行える機能を備えた物だった。そして最終的に体内で有機的に処理されて体外へ排出され人体へは無害。それ自体が動くエネルギーはほんの僅かな血中成分をくすねて作り出す。夢のような話だ。

 それらを使うために学ぶべき事や投資金額は凄まじい、の一言だったがなんとか使用認可を取れる所まで来て、数人の患者にその新しい治療を施せた。初めてこの病院で働いていて良かったとも思った。

 この新薬は投薬量の調節がシビアで、マイクロマシンの使用を躊躇った患者は凄まじい副作用に襲われるのが常だった。そうした彼らは正解だったのだ、体の中に機械を入れる。それも見えないサイズの。

気持ち悪さを覚えるのは当然の話だった。


 俺の受け持った患者でマイクロマシンを最初から受け入れた患者は彼一人。

 新しい技術という物に対する恐れが俺には足りなかったのかもしれない。

 マイクロマシンによる治療を受けた患者にとってそれは。

 

  ペストを運ぶドブネズミのようなモノだったのだ。


 マイクロマシンと新薬を駆使した治療から3年後。定期健診の甲斐も無く、彼の体を巡る血液は完全にマイクロマシンと置き換わり、内臓が息絶え、代謝が止まった。しかし肉体はマイクロマシンの治療により朽ちることなく、健康その物で、呼吸以外のエネルギーを必要としなくなった。気付いた時にはもう何もかもが不可逆的な変化を起こしていた。

 彼は死んだが、生き返った。

 生きるために、死んだのだ。

 適応したといっても、間違いではない。事実、トレーニングをするわけでもなく頑健な肉体になり、いくら全力で走っても息が切れず、怪我をしてもすぐに治る。

 ただ、肉体を動かし修復するエネルギーを蓄えるために残り時間を消費するようになって、それはとてもはっきりとした数字で分かる時間で示されていた。体の質量とマシンの質量、必要なカロリー。その値からマイクロマシン増殖の臨界点がはっきりと算出できた。

 何度計算しても同じ数字が出た。どうしたって少なすぎた。

 時間を引き延ばすために出来ることは出来る限り動かない事、何もしない事だったが誰もそんな事は望まなかった。特に彼は。


  ノートパソコンを閉じる音がスピーカーから響く。

ハッとして顔を上げると彼は静かな顔で首を横に振りながら言った。

「もう親友にも会いましたし、先生にも話が出来ました。割と、思い残す事は無くなりましたよ。」

「君の担当になってから4年も経ったんだな。こういう話を聞くのは専門の、カウンセラーみたいな奴らの方がいいんだろうが……すまないな。」

「それだけ長く面識があれば、もう普通の知り合いと変わりませんよ。それに、なによりも先生には何も隠す必要も無いですから僕も気が楽です。」

 彼はいつも穏やかな笑みを浮かべているが、俺はいつも渋面だ。自分の残り時間を、それも確定で突きつけられた人間を相手に笑顔で接する事が出来るような人間じゃない。医者失格だ。

 この病院、慈預会針林総合には終末医療を担当する科が無いのだ。転院させようにもマイクロマシンの増殖が臨界を迎えつつある患者を、受け入れられるだけの設備がある病院は少ない。

 そしてセラピストやカウンセラーの派遣も彼は断り、この監獄のような病室でノートパソコンで何か作業をし続けているようだった。

 スーツのブレザーの胸ポケットに手を突っ込もうとすると、ここは禁煙ですよと彼に釘を刺され。

「最期にお願いしたい事があるんです。」

 息を呑んだ。

「まだ二日ある。」

 動揺して、俯いた。下ろした手でスラックスの膝を擦る。たったの、二日だ。もう、二日しかないのか。

「なんというか、先に済ませておきたくて……先生のメールアドレスを教えてもらってもいいですか?」

 ノートパソコンを開きながらなんでもないようにそうたずねて来る声に頷き、つっかえるような声音になってしまったが私用のアドレスを伝える事が出来た。

「今更俺のメールアドレスなんかどうするつもりだ。」

「送ったファイルを、僕が散らばってしまった後に高島のヤツに渡してくれませんか?」

「それは、君が自分でやるべきだと思うが。勘弁してくれないか……?」

 そうだ、彼はもう数日で散らばってしまう。俺は自分のしかめっ面が更に引きつるのを感じた。

「なんというか、僕が、自分がここにいるうちには、見せたくないなぁと思いまして。」

 正直に言って、断りたかった。彼がこんなになった理由は自分の選んだ治療のせいでもあり、その彼の、恐らく無二であろう友人に彼の死後に会うという事は。想像すらしたくない。

 ただ、彼は俺にとっても特別な患者であり、もはや家族みたいな物だった。

「……善処しよう。」

 なんとか絞りだせたその言葉に、彼は満足そうに一つ頷いた。

「有難うございます。そろそろ帰ってきちんと寝てください。明日も仕事でしょう?」

 そうだ、明日も、明後日も。明々後日も出勤して君のデータを取って、その次の日は君の通夜だ。そんな事が言える筈も無く、目頭を指で押さえる。本当に何故、こんな事になったのか。

立ち上がり、頭を下げる。何をどう考えても俺にはそれぐらいしか出来ることが無かった。

「本当に、申し訳ない……また明日も来る。食べたい物でも見たい物でもなんでもいい。そういった物があればメールで一緒に伝えてくれ。出来る限りは用意する。」

 彼は慌てた様子で謝罪などいい、頭を上げてくれと言って。

「それでは、また明日。さようなら。」

「ああ、また明日。」

 残り2日と6時間。後二回しかない"また明日"を消費して今日も彼は動いている。死んでいるから死ぬ事は無く、後はただ血色が悪いだけの体が一瞬で真っ黒になって、そのうちに散り散りになるだけだ。残される方からすれば死なれるよりも辛い、どうしようもない消失感だけを遺すのだ。そしてその残骸は感染拡大を防ぐため出口の無い部屋の中で破壊される。医学的工学的なデータを取れるだけのサンプルは既に採取してある。

 いつもと変わらない挨拶をして、面会室を出る直前に振り返り見た彼の姿は、髪の長さも背丈も4年前から一切変わることは無く、途轍もなく血色が悪くなり、眼球が薄暗くなった。どれだけ苦しくても辛くても彼の瞳から涙はもう流れる事は医学的に有り得ない。だから彼と出逢う者も泣けないのだ。そう、思う。許されたのは嘆く事だけ。

 とても静かな笑みを浮かべている彼にもう一度頭を下げ、静かに扉を閉じた。

ありがとうございました。

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