鳥の魔王と盲目少女。
広く深い森の中。
少女と鳥型の魔物の王は一つの約束をする。
「私にお腹いっぱい食べさせてください」
その代わり──
「オマエガ フトッタラ、オレガ タベル」
「はい。約束です」
この約束に、お互い満足の表情を浮かべた。
***
【魔の森】……様々な種類の魔物が生息し、人が一度入れば生きては出られぬ魔物の楽園。東西南北に魔物の王の縄張りが存在する深き森。
そんな魔の森の奥にある大木の根元で、一人の少女がもたれ掛かっていた。
薄汚れた顔に閉じられた瞳。
ボロボロのワンピースを身に纏っているが、幸いにも怪我は無いようだった。
「……お腹すいた……」
ポツリと、
吐息のような声で少女から声が発せられる。
急いで移動しないと、魔物が寄ってくる可能性があった。
しかし少女はピクリとも動けなかった。
空腹で力が出なかったのだ。
(あぁ……このままここで死ぬのかなぁ)
少女は空腹を紛らわすために、今までのことを思い出していた。
こんなことになったのには理由があった。
少女は天涯孤独だった。
ある冬の日に村の入り口に捨てられていたのだ。
後に聞いた話だと、旅人の夫婦の仕業ではないか……とのことだった。
その村はそこそこ裕福だったので、少女のことは村長夫妻が引き取った。
そこからは必要最低限の食事で過酷な労働を強いられた。
春の日も夏の日も秋の日も冬の日も。
何年も少女は働いた。拾われた恩を返すために。そして生きるために。
しかし、過酷な労働は確実に少女を蝕んだ。
ある日のこと。
少女は目を覚ましたが、外は真っ暗だった。
まわりにあるはずの建物が何も見えない暗闇に少女は驚いた。
そう。少女は目が見えなくなっていたのだ。
少女は悩んだ末に、このことを村長夫妻に告げた。
すると……
「なんという役立たずな娘だ。
我が家で拾ってやった恩を返しもせずに」
「本当ね。こんな穀潰し我が家に置いておく余裕などありませんよ」
そういって、村長夫妻は少女を魔の森に捨てたのだった。
(あぁ……一回でいいからお腹いっぱいご飯を食べてみたかったなぁ)
少女は自分の短い人生を振り返り終わると、見えない目で空を見上げた。
大好きだった空を見ることはもう叶わない。
場所を移動しようと、立ち上がろうとしても身体に力が入らない。
このまま自分は魔物に喰われて死ぬのだろう。
そんな風に少女が思っていた、その時──
バサッ
大きな羽音がした。
普通の鳥ではあり得ない強烈な存在感が前方にあった。
少女は最後の力を振り絞り、顔をそちらに向ける。
(多分……この羽音からして、鳥型の魔物……)
鈍った感覚でもわかる巨大な魔物。
どうせ、死ぬのなら──その思いが少女の心の内をしめる。
その巨大な存在感に向けて。
「すみません。私に食べ物を分けてくれませんか?」
一世一代の告白をしてみた。
*****
この日、鳥型の魔物の王『ウーラノス』は、いつものように適当な魔物を狩り、いつものように仲の悪い狼型の魔物の王をおちょくり、いつものように縄張りへ帰ってきた。すると──
(ン? オレノ 巣 二 ゴミガアル?)
寝場所にしている大木の根元に何かあるのに気がついた。
少女はあまりにもボロボロだったので、ウーラノスにはゴミにしか見えなかったのだ。
バサリと強く羽ばたいて、近くにある倒木に止まった。
(ヨクミレバ……ニンゲン、カ?)
薄闇に包まれた夕方。
ただでさえ葉が生い茂っていて暗いので、鳥目なウーラノスは物がよく見えなかった。
多分人間だろうとアタリをつけたところで、ボロボロの少女が声をかけてきた。
「すみません。私に食べ物を分けてくれませんか?」
(ヘンナ ニンゲン ダ)
目の前にはウーラノスが集めた木の実や果物を貪る少女。
最初ウーラノスは生肉を与えてみたのだが……お腹を壊したので生肉はやめた。
「モット クエ」
「はい」
「フトッタラ オレガ オマエヲ タベル」
「はい」
少女とウーラノスはそういう約束をした。
少女はどうせ死ぬのならお腹いっぱい食べてみたかった。
ウーラノスは骨と皮だけの少女を食べても美味しくないので、暇潰しをかねて餌を自分で育ててみることにした。
こうして少女とウーラノスは一緒に暮らしてみることになったのだ。
その日の夜──
ウーラノスは少女がふるえていることに気がついた。
(ナンダ? イマサラ オレニ オビエテ イルノカ?)
人間の生態はよくわからない。
ウーラノスは少女に直接訊いてみた。
「オイ、ドウシタ」
「あ……起こしてしまってすみません!」
「コワイ ノカ?」
少女がウーラノスを起こしてしまったかと慌てて謝るのに対し、ウーラノスはそんなことを気にしてはいなかったので、自分の知りたいことを少女に訊いた。
少女は叱責されないことに驚いた。
村長夫妻の元にいた時は、こちらに非があろうとなかろうと関係なく「このグズ」「サボるんじゃないよ!」「役立たず」と散々罵られていたからだ。
このように、こちらを気にかける言葉をもらうことなんて初めてだった。
少女は、最終的に自分を食べるためとはいえ、人間の村長夫妻よりも魔物のウーラノスの方が優しいことに軽く混乱していた。
ウーラノスは、少女の返答がないことに首を傾げ、もう一度訊いてみた。
「……コワイ ノカ?」
「え、いえ違います。その、寒くて……」
当たり前といえば当たり前なのだが、少女が今いるのは外である。
夜になって気温が下がり、風が吹けばさらに寒い。人間の少女にはかなりキツいものがあった。
少女の返答を聞いたウーラノスは、考えた。
(サムイ? ナゼダ。……ハッ! ソウカ ワカッタゾ! ニンゲンニハ ウモウガ ナイカラダナ!)
理由がわかったウーラノスは満足した。しかし問題は解決していない。
少女はまだふるえている。ふるえながらウーラノスを見ていた。
(ヨシ! ナラバ──)
少女は激しく混乱していた。
この状況はなんだろう、と。
少女はウーラノスのふわふわな胸元の羽毛に埋もれていた。とても温かい。
「コレデ ドウダ」
「……え?」
「アタタカク ナッタダロ?」
「あ、はい。すごく温かいです」
「ヨシ」
ウーラノスは満足そうにうなずいた。
もふっとしたやわらかい羽毛に少女はうっとりした。いつまでも触っていたくなるような手触りだったのだ。
そして、なによりも……心が温かくなった。
「あの、ありがとうございます。……おやすみなさい」
返事はなかったが、少女は幸せな気持ちで眠りについた。
***
少女とウーラノスが一緒に暮らすようになって、早くも一ヶ月経った。
最近はお互いの存在にも慣れてきた。
「わっ」
「オイ コロブナ! ヘル!」
「ごめんなさい」
少女はしゅんとして謝った。
ウーラノスは少女にケガがないことを確認し、うなずいた。
木の実や果物を食べて寝る生活を数日すると、まったく身体に力が入らなかった少女も回復してきた。
少女は目が見えないがじっとしていると落ち着かないようだ。お腹いっぱい食べて動けるようになると、なにか働けないかと手探りで動き出した。
ウーラノスは、そんな少女を興味深く観察していたのだが、ちょこまか動いては木の根っこにつまずいて転んだり、石につまずいている少女を見て気がついた。
(血ガ デテイル。……ハッ! ツマリ……ナカミガヘッタ!?)
この事実に気がついたウーラノスに衝撃がはしった。“オレハ、ナンテ アタマガイイ ンダ!”と。
残念な鳥である。
「ウーラ、今日はなにをするの?」
「フム。オオカミ ノ トコロヘハ、キノウ イッタシ……。ナニヲ スルカ」
以前は毎日のように狼型の魔物の王の縄張りへちょっかいをかけに行っていたのだが、少女を拾ってからは二、三日に一回ちょっかいをかけるくらいになっていた。
ウーラノスは少女を見る。視線は合わないが、少女は会話するときは出来るだけウーラノスへ視線を向けていた。
「……ヨシ、キメタ。イクゾ」
「え?」
ウーラノスは嘴で少女をくわえてポイッと背中に乗せる。
「ツカマレ」
「ふぁっ! へ?」
「ツカマレ」
慌てて少女は寝そべるようにしてウーラノスの背につかまった。頬をくすぐる羽の感触に思わずうっとりする。
「ふわふわ」
「イクゾ」
少女がつかまったことを確認したウーラノスはふわりと飛び上がった。
「わぁっ」
景色は見えなくても風を感じることは出来る。少女は澄んだ風を顔一杯に受けた。
冷たい風と温かい背中。
少女はしばらく空の散歩を楽しんだ。
ウーラノスが降りたのは【魔の森】の中心部にぽっかりと開いた花畑だった。
「ドウダ?」
「わぁ、この匂い……お花?」
少女は周囲の匂いを嗅いだ。
瑞々しい花の香り。
知っている花の香りも知らない花の香りもした。
少女はうきうきとあたりを見回した。
「ウーラ、どうしてここに連れてきてくれたの?」
「ヒマツブシダ」
「そうなの。……ありがとうね!」
「ヒマツブシ、ダ!」
このあと少女はウーラノスに寄りかかってお昼寝をしたり、指先の感覚を頼りに周囲のお花を編んだりした。
なんだかんだ言いつつも、ウーラノスは少女のやることに付き合ってくれた。
「ウーラ、はい」
「ナンダコレハ」
「花の冠。ウーラ、受け取ってくれる?」
少女はにこにこと花の冠をウーラノスに差し出した。
かなりガタガタの花の冠だったがウーラノスは黙って頭に乗せた。
「……カエルゾ」
「うん」
少女はウーラノスの背中にぎゅっとつかまった。
***
「ねぇウーラ。いつ私のことを食べるの?」
「マダダ。マダマダ タベルトコロガ スクナイ」
一緒に暮らすようになって半年が過ぎた。
最初の頃の骨と皮だけに比べれば、少女は健康的にふっくらしていた。
なので食べるか訊いてみたのだが、ウーラノスはまだまだだと言う。確かにウーラノスは身体が大きい。今食べてもそこまでお腹はふくれないだろう。
少女は納得した。
ウーラノスには最近悩みがある。
基本的に悩むことのないウーラノス。悩んだってすぐに忘れる。そんなウーラノスだが、今回は少女のことについて悩み続けていた。
少女を食べさせて太らせる。
太った少女をウーラノスは食べる。
それが少女との約束なのだが……。
初めは段々太っていく少女に満足した。肉が増えると食べるところが増える、素晴らしい、と。
暇潰しもかねているのでウーラノスは急いでいなかった。
しかし半年が経った今、ウーラノスは少女のことがあまり美味しそうに見えなくなっていた。
少女の肉が増えても嬉しくない。
少女を美味しそうだと思えない。
そんな自分にウーラノスは悩んでいた。
『……それで何故俺のところへくる』
ウーラノスがやって来たのは狼型の魔物の王『リュコス』のところだった。
いつもは上空からちょっかいをかけてくるウーラノスがおとなしく木の枝に止まったことに警戒していたリュコスだが、「ナヤミガアルンダ」との言葉に固まった。
「ハラガ ヘッテモ、ナゼカ タベル キガ オキナイ……ナゼダ」
『知るか』
「ウマソウ ニ ミエナインダ」
『聞け!』
リュコスは会話をする気があるのかわからないウーラノスにイライラしながらも、なんだかんだで話を最後まで聞いた。
『……それは、お前がその人間を気に入ったってことだろう』
「キニイッタ、ダト?」
『初めは食べるつもりだったのに、今は食べたくないのだろう?』
「ウム……」
『一緒にいるのが楽しいと感じているのではないか?』
「タノシイ? ……オマエ、バカ カ?」
『バカはお前だ!』
「ナンダト!」
『いいか。その人間を喰ったらお前は後悔する。まぁお前が後悔したところで知ったことではないが』
「ウムゥ……」
ウーラノスはまだ納得していなかったが、リュコスが『邪魔だ帰れ』と言うので仕方なく自分の巣に戻ることにした。
***
「ウーラ、どうしたの? 最近変だよ?」
「ド、ドコガダ」
どこがと言いながらウロウロ歩き回っている。少女はおかしいと指摘していいのか、少し悩んだ。
「なんでウロウロしてるの?」
「ソンナコト シテイナイ」
明らかな嘘である。
少女は困惑した。数日前からウーラノスはおかしくなってしまった。
(私には話せないことなのかな……)
少女の顔が暗くなる。半年も一緒に過ごしているのに、結構仲良くなったと思ったのに、と。
そんな少女の暗い顔を見ていると、人間と同じ意味での良心など持ち合わせていない筈なのに、ウーラノスはモヤッとした。
(ナゼ ソンナ カオヲ スル……ハッ! エサガ マズクナル!?)
ウーラノスは少女の暗い顔を見て自身がモヤッとするのは、餌の少女が不味くなるのを懸念して、と解釈した。
このまま肉が不味くなるのはいけない、とウーラノスは少女が気にしている最近の自分のことを話してみることにした。
「サイキン ナヤミガ アルンダ」
「えっ! 悩み!?」
少女はあまりに予想外のことを言われてびっくりしてしまった。
しかしウーラノスが悩むなんて余程のことなのだろうと真剣な面持ちで話の続きを待った。
「ソウダ。……ジツハ オマエガ ウマソウニ ミエナクナッタ」
「……それって、私が不味そうってこと?」
少女は言われた言葉を理解できなかった。最初の頃より肉は増えた。そうすると、見た目が不味そうということだろうか。
少女の顔はより暗くなった。
それにウーラノスは慌てた。
「チガウ! ダガ、タベルキブンニ ナランノダ」
「……」
「ソレデ、オオカミ ニ キイタラ、オマエノ コトヲ キニイッタカラ タベタクナイ ノ ダロウ ト」
その言葉を聞いた少女は首を傾げた。
「そうなの?」
しかし、ウーラノス自身もよくわかっていない。
「ヨクワカラナイ。タダ、オオカミ ハ オマエヲ タベタラ コウカイスル ト イッタ。
オレ ニハ ヨクワカラナイ。ダケド、オマエヲ タベタクナイ」
「ウーラ……」
「ダカラ オマエハ タベナイ コトニシタ。イイナ?」
「……。…………わかった」
少女は嬉しかった。
人間など餌の一つに過ぎないと思っているウーラノスが食べたくないとまで思ってくれていることに。
「デハ、ヤクソク ダ」
「うん。約束ね」
こうして、少女とウーラノスは新しい約束をした。
今度は生きるための約束を。
ここまで読んでいただきありがとうございました!