第7話 「いきがると、後でイタイよ?」
「―クロノスである―」
存じておりますとも……!
そのご尊顔を拝謁致しましたのは初めての事でございますが、一目で理解いたしました……!
きっと貴方様の事は、私が生まれる以前から遺伝子に刻まれていたのでありましょう……!
「―長きに渡る苦境、よくぞ耐えた―
―大儀である―」
……なんと勿体無いお言葉!
私はティタン族ではありませんが、その労いに深い感銘を受けましてございます……!
「―今宵、そなたらの労は報われる―
―これより、予は、故郷へ還る―」
なんと……なんと素晴らしい事か!
こ……!
「ちょいタンマ!」
誰だ!?
クロノス様の有難いお言葉に水を差す奴は!?
……ハッ!
……私は今まで……いったい何を考えて、いた……?
「いきがると、後でイタイよ? オトーサン!」
ハデスだ。
いつの間にあんな所に?
そしてこちらに降りてきた。
ハデスが折角の……。
…………違う!
……ハデスが止めてくれた?
クロノス様を見た時に感じた……敬いの心を?
ん? 様?
私は、あのお方にお仕えした事が無いのに?
あれ? 何であのお方の事を連想すると、バカ丁寧な言い回しになってしまうんだ?
実際に喋っている訳でもないのに?
ということは、あのハデスが本物か!
なら私のそばにいるのは偽物か?
ウインクしてきた!?
……絶対偽物だ!
ハデスのノリじゃない……。
「―ハーデース―」
ああ、何ていい声なんだ……!
その特有の発音は、それこそが本来の正しい呼び方だと思わせる程しっくりとくる。
では何故、皆そう呼ばないのか。
畏れ多いからだ。
かの王の許しも無く倣うことが。
……あれ?
やはりおかしい……。
私は、いったい、どうした?
「―世は、再び予を求めておる―。
―さむなくば、かような事態が起ころうか?―」
「それは、親父の体質でしょ?」
「―それが全て決定付ける―」
「それが全てじゃないと思うけど?
そんな事で、脱獄は見逃せない」
「―ならば是非も無し―
―カローン―」
「うをっ!!?
おお! こりゃあ! 御大将!!」
クロノス様が声をかけるとカロンが目覚めた。
同時に頭を下げて城郭を破壊……。
……コントだ。
「な? ハデス?
はっはーん?
そーいう事か!
なら仕方ねえ! 仕方ねえよなぁ!?」
何が仕方ないのかわからないが、カロンはクックと笑いを堪えながら肩に乗っていた双子を下した。
実に楽しそうに。
そしてスゥーっと息を吸い込み、こちらに向き直った。
「ハアアアアアアアデエエエエエエエスウウウウウウウウ!!!
退職金貰うぜェエエエエエエエ!!?」
カロンの声に大地が震える!
二本の巨大な手が、大地を串刺しめり込む!
「失業手当はァアアアアアア!!」
浮いた!?
地面が浮いた!?
「これで勘弁してやらアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
私たちが立っていた地面が宙に投げ出され、そのまま投げ飛ばされた!!
地面に必死にしがみつく私は、ハデスに引き剥がされ助けられた!
死ぬかと思った!
「―いざ参ろうぞ! 地球に!―」
そうこうしている間にクロノス様は号を発され、行ってしまわれた……!
……ついて行きたかった、私も……。
じゃない!
「裁判長! 追わないと!!」
「そうなんだけどねぇ……」
「何をもたついているんです!? このままでは……!」
「うふふ、やあっぱり~」
いやらしい声が耳に絡みつく。
……古の魔女、ミス・モイラ。
「冥王はあ~。
未遂事件を取り締まれない。
民衆の意思を無碍にできない。
そして、決して罪の無い者を傷つけられない」
「何ですか? それ……?」
「冥府設立時の誓いだよ。
まあ、俺が言い出した事だしねぇ」
「だからクロノス様を追えないとでも!?
おかしいでしょ!!」
「おかしくはないわぁ!
だってぇ~!
無理して追うとぉ~!
まだ何の罪も犯していないティタン族を押しのけなければならないからぁ~!」
くっ! やられた!
そうか! そういうことか!
ようやく私にも状況がわかってきた!
だが遅すぎた!
……何てことだ!
「クロノス様の復活に合わせティタン族を集結……まさか人形を利用して!?」
「うふふ。
主だったティタンのお歴々は、既にクロノス様と一緒に行ったわよぉ?
ここに見える軍勢の大半は人形だけどぉ。
本物かも知れないのに攻撃できるかしらぁ?」
「ひ、卑怯な!!」
……我ながら、月並みで情けない小物っぷりだ。
しかし、そう言う他はなかった……。
こんな状況で、私にいったい何ができるというのか……。
『これまでの様ですね』
また女の声が聞こえる。
モイラとは別の声だ。
あのミス・バカ女とは格の違う、気品あるマダムな口調だった。
『ごきげんよう、冥府の皆さま。
わたくしは、ヘカテ。
冥土の土産に参りましたわ』
暗闇から、大きな淑女が現れた。
全身黒一色の喪服姿で、顔すらも黒いベールで覆われており、よく見えない。
更に扇で口元を隠し、よりミステリアスさを醸し出している。
5メートルを超えるということは、ティタン族の中でもかなりの年長者であろう。
それ以前に、彼女の纏うオーラには、身体の大きさ以上の底知れなさを感じさせられる。
『全ては終わりました。
あの人が再び君臨すれば、世界は再びティタンのもの。
あなた方の役目は終わったのです』
「いやいや。
まだ終わってないでしょ?」
既に敗北感に打ちひしがれていた私だったが、ハデスが反論していた。
期待!
「確かに現状のままじゃ動けないけど、親父が冥府を出たら話は別だよ。
そういう決まりだからね」
『フフフ。
そういうと思いました。
なら、やってご覧なさい――』
そういうヘカテは、ただ目を閉じただけだった。
ハデスは構わず、城壁の外に向かって駆けだした。
流石、電車並みの速さだった。
にも関わらず、何故か城を抜けた反対方向から戻ってきた。
「あり?」
『ウフフ。
どうしまして?
遠慮なさらずに、向かわれてはどうです?』
「ええ、まぁ……」
再度ハデスは城外を目指すも、また戻ってきてしまった。
どうなっているんだ?
「……あのぉ、すんません。
この変な術を解いてくれません?」
『変な術とはいやですわ。
わたくしはただ、道と道とを繋いだだけ。
そして、あの人の邪魔をされたくないだけなのです――』
道と道を繋ぐ……空間を操る能力か?
なんて厄介そうな力だ。
不敵にほほ笑むヘカテだが、「あの人の邪魔をされたくない」の部分には、かなり強い圧が込められていた。
『あなたがどう動くかは予測できていてよ? ハデス。
あなたの実力ならば、例え敵に指一本触れずとも、あの人を追えましょう。
だからこそ、参りましたの。
あなたを、この城に閉じ込める為に、わたくし自ら、ね』
「あ~あ、困ったなぁ~。
打つ手が無いや~」
「ちょっ! 裁判長!!」
嘘だろ!?
諦めちゃったよ! この人!!
そりゃあもう、どうすればいいかなんてわからないけど!
だからと言って諦めていい理由にはならない。
『ウフフ、賢明だ事。
これで我らの勝利は確定しました。
あなたさえ……あなたさえ封じてしまえば世界は戻る!
輝かしい! 黄金時代に――!!』
「うっわ! 眩し!!」
目も眩む七色の発光!
ヘカテが今、黒に包まれたベールを脱ぎ棄て輝きだした!
すごく……けばい!
そして……すっごい胸!
黒くて気が付かなかったが、物凄い巨……いや、爆乳だった……!
「ヘカテさまぁ!!」
モイラも感激してヘカテに飛びついた。
ヘカテは我が子をあやす様に、頭を撫でる。
……モイラもデカイな。
『よくぞ務めを果たしてくれました。
我が愛弟子よ。
地球に戻った暁には――おっと、わたくしとした事がはしたない。
気が逸ってしまいましたわ。
さて、あの人は今いずこに――』
ヘカテが扇で仰ぐと空中に別の場所が映し出された。
それは、宇宙だった。
既にクロノス様達は、“渡し舟2号”で冥府を脱していた。
『あら、冥府を立つ所の様ですね。
ご覧なさい。
使命を果たせぬのはどんな心持ですか?
無力なる冥王よ――?』
ハデスはじっと宇宙船が飛び立つのを見ていた。
大地から離れ、大気圏を突破し、そして――。
「ならまずは夜を返そう」
ぎょっとした……!
唐突にハデスが言った言葉に……!
意味はわからない。
だが、あまりにも無感情だった。
その声音に、一切の感情が無かった。
「空に」
瞬間、世界は闇に包まれた。
夜だ。
だが今は黄昏時。
日が暮れてもおかしくはないが、陽の光が急に途絶えたのは明らかにおかしい……。
……空には4つの太陽が見える。
この星の宙域を温める為だけに存在する4つの人工太陽。
だが、冥府を巡る太陽は全部で5つ。
ひとつ足りない。
昼を生み出す、最も小さく近い太陽が。
『――――!!?』
ヘカテは言葉を失った。
そこには、それまでの優雅なる淑女の余裕は無い。
だが、絶句したのはヘカテだけではない。
魔女モイラも、偽ハデスも、そして私も。
ペルセポネだけが、忌々しげに睨みつけていた。
『……まさか……そんな……有り得ない……!』
空間をも操る高位の魔女が、理解できないといった表情を露にした。
その理解できない存在を見つめながら。
私は……直視できないでいた。
……それは……あまりに恐ろしい姿をしていた。
恐る恐る足元から少しすつ視線を上げていく。
怖い……!
恐ろしい……!
悍ましい……!
だが、一瞬目に入ったアレは、紛れもなく……。
…………ハデスだった――。