最終話 「見エザル存在<もの>」
『――偽る事は無い――』
『――正しき者よ――』
神々から世界の“王”となる事を決定された“ハデス”だったが、「面倒くさい」と一蹴した。
しかし、“原初の巨人”は彼のうそを見破った。
『――ヒトへの気遣いから――』
『――己が相応しく無いと思っている――』
『――だとすればそれは怠慢だ――』
「―……だから、面倒くさいと言ったんですが?―」
いや、“ハデス”は嘘など付いていなかった。
“原初の巨人”の言を先読みして、最も効率的な言葉を選んだだけだった。
『――それは汝本来の意志に反する筈――』
『――そう――』
『――汝には己が真に成すべき事がわかっている――』
だが、それは“ハデス”の本意では無いという。
「―いえ―
―その本意に反した事が本意なんです―」
……ん?
よくわからない……。
“ハデス”はいったい何を言いたのだろうか?
『――理屈に合わぬ――』
『――やはり気遣いか?――』
「―違います―」
“原初の巨人”の読みを、“ハデス”は否定した。
全知の存在である筈の神が、彼の思惑を読み違えた。
『――友への気遣いか?――』
『――汝の齎す未来への危惧――』
「―違います―」
神々は問うた。
かつて予言者プロメテウスが導き出した命題。
正し過ぎる者による人類への強制と危惧、その脅威について。
しかし、それも違うという。
『――ならば何故なのか――』
『――理由を述べよ――』
遂に神々は“ハデス”の答えがわからなかった。
「―負い目、ですかねぇ―」
『――負い目?――』
“ハデス”はペルセポネの顔を見て頷いた。
彼女も頷き返す。
そして、決心した様に口を開く。
「―俺には、ヒトの気持ちがわからない―」
『――そんな事に負い目があるのか?――』
『――ただそれだけの事で?――』
『――それの何が不都合なのだ?――』
“原初の巨人たち”は、まるで六柱が一つの意志を持つかのように言葉を繋げた。
だが、私が気になったのはそんな事では無かった。
「ヒトの気持ちがわからない」ことを「そんな事」と返した事だ。
「―不都合とは思わない―
―俺がヒトの心に共感出来ようと出来なかろうと―
―ヒトを守護するのに不都合な事は無い―
―何故なら俺は、彼女たちを通じてヒトの心理を解明できたのだから―」
“ハデス”はペルセポネを見た。
その表情は、何かを確信している様だった。
ペルセポネも、怯えながらも真っ直ぐと見据えている。
「―やるべき事はわかる―
―どうすれば世界を救えるのかもわかる―
―人々を、自由意志を制限する事無く全員を生かす方法も―
―ざっと十二通りは思いついてる―」
『――ならば何故――』
『――それをしない?――』
“ハデス”は邪悪な笑みを浮かべた。
……いや、違う。
あれは単に挑発しているだけだ。
彼の友、プロメテウスの様に。
「―いや、わかれよ?―
―全知全能の神さまなんだろ?―」
その不遜な言葉は、神々への冒涜だった。
だが、“原初の巨人たち”は首を傾げていた。
『――我らは神では無い――』
『――種の保存の為に子らを導くのみの存在――』
『――原初の時より――』
『――そう決まっている――』
「―……やっぱりそうか―」
“ハデス”は全てを悟った様に呟いた。
「―じゃあ、今度は俺が聞こう―
―“原初の巨人”さん―
―あなたたちは、なぜ俺を王にしたがる?―」
『――間違わぬからだ――』
“ハデス”はつまらなさそうに、「ふうん」とだけ言った。
その態度に、神々は説得するように補足する。
『――クロノスには我らの“血”を――』
『――ゼウスには我らの“知恵”を授けた――』
『――だが何れも失敗だった――』
『――失敗は破滅を招く――』
『――そうならぬよう――』
『――世界は最も強く正しい者が導くべきなのだ――』
『――さあ黒キ王よ――』
『――世界の支配者と成れ――』
“原初の巨人”は再度命じた。
王として君臨せよと。
しかし――。
「―あなたたちは俺と同じだ―」
『――同じ?――』
「―いや、だった、かな?―
―プーちゃん的に言うと“獣”だっけ―
―自身の存在意義に従いただ生きているだけのね―」
『――それの何が悪いのだ?――』
「―別に悪かない―
―悪かないけど、そんなのに導かれたくないでしょ?―
―人々はさ――」
“ハデス”は振り向いて弟たちを見た。
「そうだろ?」と。
ゼウスとポセイドンに向かって。
『――何故だ?――』
『――何故ヒトが我らを拒む?――』
「―気持ち悪いから―」
“ハデス”は面と向かって言った。
それは自分自身にも言っている様だった。
『――気持ち悪い?――』
「―正直俺にもよくはわからない―
―でもヒトは、そんな風に思うんだよ―
―知識として、俺はその事を学んだ―」
ここまで言えばわかるだろうと、“ハデス”は目を閉じた。
私にもわかる。
それが人間の感情というものだから。
『――わからぬ――』
が、“ハデス”の期待は裏切られた。
『――知識としてなら我らにも理解できる――』
『――ヒトの未熟な心理と思考パターンは――』
『――だが汝はそうではない――』
『――我らは“叡智”により見通している――』
“原初の巨人”は全知の力により答えを述べた。
「―だからそこが重要なんだよ―
―あなたたちにとって、ヒトの心なんてどうでもいいのかもしれない―
―種の保存を行動原理にしているのだから―
―個々人の価値観なんて重要じゃあない―
―違うか?―」
『――その通りだ――』
『――だからこそ我らは汝を推挙した――』
『――汝は“進化の特異点”だ――』
『――現存するあらゆる生物をより強靭に――』
『――確固たる個体として進化を促す――』
『――これ以上の適役があろうか?――』
「―悪いけど、俺にとってはそれこそがどうでもいい事なんだよ―」
“巨人たち”は困惑した。
正しい者が、間違った事を言っていると。
「―まあ、どうでもいいは言い過ぎかな―
―俺だって、種の保存とやらは大事だとは思うよ?―
―でも、俺は全宇宙の生命体全般よりも人類に重きを置いた―
―だから、あなた方とは方向性が違う―
―あなたたちにとって人類は一種族に過ぎないだろうけど―
―俺にとってその人類が一番大事なんだよ―
―だって俺は、人類にとって役に立つ存在でありたいからだ―
―だから俺は王にはならない―
―困った時に手助けする、正義の味方になるよ―」
それが、“ハデス”の願いだった。
しかし――。
『――それでは困る――』
『――たかが人類の為に――』
『――“その力”を振るってはならぬ――』
『――“それ”は世界を揺るがす“力”――』
『――世界を守る為に在らねばならぬ――』
“原初の巨人たち”は“ハデス”の願いを拒絶した。
『――君臨せよ!!――』
『――黒キ王よ!!――』
『――世界の守護者として!!――』
“巨人たち”の態度が一変した。
巨大な椅子から立ち上がり、語気を荒げて“命令”する。
「―だから、無理なんだって―」
『――ならば従わせるのみ!――』
『――汝は従わずとも――』
『――人類はそうではない!――』
『――ヒトは我らに従属する――』
『――ならば汝は受け入れざるを得ない――』
『――全人類の総意を――』
“原初の巨人”は強硬手段に打って出た。
多数決の暴力。
人類はあくまで自由意志により“原初の巨人”に隷属する。
ならば、“ハデス”は従う他は無い。
「――“わかりました”――」
“ハデス”は黒キ王と成って前に出た。
これで全ては“原初の巨人たち”の思惑通り。
神々の意のままに。
“ハデス”は、人類史上最も強く正しい“王”として君臨するだろう。
「――“俺の、成すべき事が”――」
その“言葉”に“巨人たち”は満足げに頷いた。
だが――。
『――何をしておる?――』
『――何をしておる!?――』
『――何をしておる!!――』
『――止めよ!!!――』
“巨人”が叫んだ。
終始超然としていた神と呼ばれる存在が取り乱している。
「――“いや、止めない”――
――“折角チャンスが来たのだから”――」
チャンス?
何の事だ?
「――“俺はずっと考えていた”――
――“何故俺という存在が生まれてきたのかと”――
――“おそらくただの必然だった”――
――“でも生まれかからには理由が欲しかった”――」
『――汝の下らぬ願望か!?――』
『――正義の味方に鞍替えしたのではないのか!?――』
鞍替え?
正義の味方以外の、“ハデス”の願望?
『――だからくれてやったというに!――』
『――汝は否定した!!――』
『――隠れ兜を!!――』
『――自己の抹消を!!――』
自己の抹消!?
まさか!? そんな!?
そんなものが“ハデス”の願望!?
『……それがあの人の、唯一の望みだったのです。
しかし、それさえも理性によって否定した。
彼の“正しさ”が、そうあるべきでないと――』
「――“消えると言うなら生まれた瞬間から消えるべきだった”――
――“だが、消えるなら”――
――“人類を脅かす存在と共に心中しよう”――
――“俺と共に、滅び去るべき神々よ!!”――」
黒キ王の姿が消えた。
ヘカテさん!!
『……うそ、そんな……ありえない……!』
ヘカテさん!?
『高次領域に……!?
自らの肉体を変換……!?
そんな事……!』
何が起こっているのか全くわからない。
最強の魔女であるヘカテでさえ理解できていない。
『――おおおお……!――』
『――これぞ我らが追い求めた進化の果て……!――』
『――“見エザル存在”!!!――』
“巨人”たちは一同に手を伸ばした。
そこに“なにか”がある様に。
だが、私には何も見えない。
ヒトの認識能力を超えた、何かに魅せられている。
『――ガアアア!!?―――』
『――オオオオオオオ!!?――』
『――ウウウウウウウウ!!?――』
“巨人”たちが朽ちてゆく。
神造の鎧が剥がれ、美しい肉体が死滅していく。
瞬時に再生されてはいるが、それを上回る速度で崩壊する。
それに抗うかの様に肉体は醜悪に歪み、異様な形態へと進化していった。
「ああ……! アアアア……!!」
『ペルセポネ!!』
な!? ポネ様!!?
『人体発火!?
トラウマの影響で!?
“ハデス”!!
やめなさい!!
このままでは!!
彼女も死んでしまう!!』
聞こえていないのか!?
くそ! どこにいるんだ!?
裁判長!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
ペルセポネ!!
『……まさか、貴女……!
意識が無い……?
これは……!?
うそ……カオス理論!?
そ、そんな馬鹿な……!』
ヘカテさん!!
いったいどうなって!?
『………………。
ふぅ…………。
……見なさい』
見なさいって……。
……あ?
……全裸だ!
全裸の“ハデス”とペルセポネがいる!
何故ここで全裸!?
『…………』
ヘカテは固まっていた。
それは私も同じだった。
そして、“原初の巨人”たちも――。
「――すいませんした!――」
“ハデス”が全裸土下座した!
ペルセポネも一緒に! 夫婦揃って全裸土下座!!
何だコレ!? 意味がわからん!!
“巨人たち”も引きつっとる!
「――もう俺は!――
――これ以上この女性を傷付けられません!――
――どうか見逃して下さい!!――」
……どうなって?
どゆこと?
『……ペルセポネです。
彼女が“見エザル存在”となった“ハデス”を引き戻したのです。
それも、無意識の内に――』
見エザル存在?
無意識?
全然わからんのですが……?
『ちょっと待って下さい……。
わたくしにも全てがわかる訳ではありません……。
ですが、おそらく……。
……“ハデス”は“原初の巨人”を道連れに、自爆しようとしたのだと思います。
わたくしでさえ知り得ない領域の魔術行使によって……。
そしてそれは、一度実行すれば元には戻れないものだったのでしょう……』
え!? でも今全裸で……!
『……全裸はさておき。
ペルセポネが二度とヒトに戻せぬ“ハデス”を復元した。
彼女の性質アースドレインによる吸収と、再生能力の応用。
“ハデス”因子を取り込み、再構成してしまった。
おそらくは全くの無意識に……。
あれは、遥か未来でも解明されていない未知の領域でした……!』
……話が難しくてよくわからんのですが。
『……つまり、愛です!』
ええええええ!!?
それはちょっと強引過ぎませんか?
『そうでしょうか?
あれ程の奇跡を、他にどう説明すれば良いのか。
わたくしにはわかりません。
あなたには理解できて?』
ヘカテさんでも理解出来ない事が、私にわかる訳ないじゃないですか!
『でしょう?
……それに。
愛には様々な形があります。
あの二人の場合、愛憎による共依存といった所でしょうか』
共依存?
『あの子は“ハデス”を憎んでいますが、だからこそ自らが人であると実感できる。
そして“ハデス”もまた、彼女と共に生きる事で自ら矛盾を内包する事になる。
正しい筈の“ハデス”が理性を超えた感情を獲得したと言えましょう』
だから、愛。
……でもあまりに重すぎませんか?
愛ってもっとこう幸せなものじゃないですか?
『あら?
愛って重いんですのよ?
それに愛し合う事が必ずしも幸福とは限りません』
……そんなものですか?
『そんなものです』
何となくだが、それが大人になるという事なのかと思った。
プロメテウスを思い出して。
『それより。
……いつまで続けるのですか?』
わ!
まだ全裸土下座続いてた!!
『“原初の巨人たち”よ。
あなた方が譲るまで、彼は引き下がりませんよ?
彼を赦すのですか? どうなさるのです?』
ヘカテの言葉に“巨人”たちはすぐに返答できなかった。
醜く変異した顔を引きつらせて、“ハデス”を見下ろす。
明らかに恐怖していた。
原初より超越者として君臨していた彼らが、こんな恥ずかしい恰好をした一人の男に。
しかし、“ハデス”のこの態度……。
傍から見たら凄まじく低姿勢に見えるが、これは最早恐ろしいまでの脅迫である。
『……我ら今後ヒトに関わらぬ……』
『……好きに生きよ……』
“巨人”たちはそう言い残し逃げ去っていった。
見るも無残とはこの事である。
我ら人類は、あんな情けないものを神々と崇めていたのか……。
「さてと、終わったね!」
「こっち見んな!!」
「ぎゃあああああああああああ!!!」
ハデスはペルセポネにぶっ飛ばされた。
すっかり元通りである。
『では、着替えを――』
ヘカテさんマジ便利!!
『うふふ。
では、参りましょう』
「そだね」
ハデスがボッコボコにされて戻って来た。
お!
『あら~!』
「あ? あんだよ……!」
ポネ様がハデスと腕を組んでらっしゃる!?
「あー! もう! やめやめ!!」
「そんな遠慮しないで~!」
「むかつく!!」
あ、またぶっ飛ばされた。
『さて、帰りましょう。
地球に――!』
あ、ハデスだけ置いてかれた!
「……酷いよ、ヘカテーさん!」
『ちゃんと迎えに戻ったでしょう?』
「ただの意地悪ですよね? それ!」
『うふふふふ』
まあこれにて大団円。
もう人類は“神々”にも“ハデス”にも脅かされる事は無い――!
『果たしてそれはどうでしょうか?』
……え?
ヘカテさん。
いい加減意地悪言わんで下さいよ~!
『意地悪ではありません。
あの時、“ハデス”は神々と心中を謀った訳ですが、
当然その中には我々も入っていたのですよ?』
……え!?
『まあ、わたくしとあなたは肉体が無かったので無事だったでしょうけど。
少なくともペルセポネは道連れの対象だったのでしょう。
彼女は彼がいなければ“バケモノ”に戻ってしまいますから』
……ええ!!?
『そしてそれは、ゼウスとクロノスも同様です。
“ハデス”亡き世界に、彼らの力は危険過ぎます。
だから、あの場にいた者は全て消えていたでしょう』
じゃ、じゃあポセイドンは!?
『彼は……とばっちり?』
な……!
あっぶな!!
『そう。
危ないのです。
“ハデス”は。
今回はたまたま穏便に済みましたが。
彼は正義の味方になると言いました。
それが、必ずしも人類にとって都合がいいものとは限らない。
わたくしたちは、それを忘れてはならないのです――』
……そうですね。
“ハデス”は正しい。
その正しさは、天才プロメテウスの理解さえ超えていた。
真の正しさを証明する為に、自己の消滅さえも厭わない。
これ程恐ろしい思想があろうか?
いや、無い!
少なくとも、私は“ハデス”以上に怖いと思うものはない!
「あちゃー!
皆おしっこチビってるねぇ……。
ヘカテーさん? お願いできます?」
『無理です。
我が愛弟子に頼みましょう。
モイラ――』
モイラを呼び寄せ人形たちに着替えを任せる冥府職員。
あ、私もやらないと!
「手伝います!」
「ありがとう!」
粗相の後始末も終わり、私たちは今回関わった人たちを保護していた。
場合によっては冥府に連行する為である。
「あれ?
ねえ、ポー!
プーちゃんは?」
あ、いやな予感がする……!
ポセイドンは振り向きざまに――。
「わりぃ! 忘れてた!!」
「「ええええええええ!!?」」
「プロメテウスさん! 冥府で氷漬け!?」
『ハデス ~最後のティタノマキア~』 ―END―




