第54話 「竜王アレス」
十二神デメテルと別れ、我ら冥府職員はオリンポスを目指していた。
「そろそろかな?」
『ですね』
「だねぇ」
「え……?」
冥王ハデス、魔女ヘカテ、内通者ヘルメス。
いずれも有能な三人が、さも示し合わせた通りに立ち止まった。
するとその一瞬の隙をつき、ペルセポネが何者がに捕らえられてしまった。
「ポネ様!!」
「ハーッハッハッハッハッハッハ!!!
バカめ!! 隙を見せたな!!」
野獣の様な瞳に獰猛な笑みを浮かべた野性味溢れる絶世の美男子。
彫刻の様に美しい肉体に贅を尽くした豪奢な鎧兜。
「我こそは竜王アレス!!
偉大なるゼウスとヘラの血を引くオリンポス王子なり!!」
「うん、知ってる。
君が七つまで、おねしょしてたのも知ってる」
「ハ! そんな過去の事など忘れたな!!
俺は過去を振り返らん男だ!!
だから貴様もスッパリと忘れるがいい!!
……頼む! 忘れてくれい!!!」
「忘れてくれい!!」の所で軽く頭を下げてきた。
どうやら、噂通りのバカ王子らしい。
皆知ってるのか、全く警戒する事なく余裕そうである。
ポネ様ですら、ジト目で大人しく捕まっている。
「いいよ、身内のよしみだ。
君がヘラの寝室にゴキブリを放っていた事は忘れてあげるよ。
ウチの奥さん返してくれたらね」
「ハッ! 当然だ!!
ってあるぇええ!!?
なんで貴様がその事を!!?
さてはヘルメス! 貴様だな!!?
あれは男同士の秘密だっただろう!!?」
「あー今アタシ、女なんでぇ~」
「な! 卑怯な!! おのれぇ!!」
完全に弄ばれている。
だいたい、そんなどうでもいい秘密を知っていた所で、誰もヘラにチクる事はないだろう。
誰も得しない。
見た目が超絶イケメンなだけに実に残念でならない。
ポセイドンもバカだが、あれは我が道を行く大物だ。
だがこの王子様は、残念ながらそういうタイプではなさそうである。
「それより兄上!
あの爆発の中よくぞご無事で!」
「フフン!
あの程度でこの俺がどうにかなる訳なかろう!!」
今度はおだてにまんまと嵌って上機嫌に笑った。
「ハッ!
まさか貴様!!
俺をおだてて油断させる気か!?
だが残念だったな!!
その手には乗らんぞ!!」
……なんだろう、なんかかわいく思えてきた。
このバカ王子。
「あのぉ……アレス様っていつもああなんです?」
小声でハデスに聞いてみた。
「うん。
彼はゼウスが叡智の力で遺伝子操作して生まれた子供でねぇ。
ほら、ヘパイストスの事があるでしょ?
だから丈夫で綺麗な肉体を持って誕生させたんだよ。
まぁ、親心だね」
「その親心が全力で仇になってる気がするんですが……」
「まぁ、あれだけ美形でおバカだと、より滑稽に見えるよねぇ~。
でもあれで知能だけは高いらしいよ?」
「マジっすか!?」
「確か物覚えと計算だけは凄く得意なんだよ」
「あれですか? 勉強だけは得意なタイプってやつですか?」
「そうそう!」
「コラ!! 貴様ら!!
何をコソコソやっているのだ!!?」
「「すんませーん」」
凄まじい怒気を放ってアレスに怒鳴られたが、ちっとも怖くない。
以前の私ならチビるレベルだったかもしれないが、正直言ってウチの上司の足元にも及ばない。
ただのチンピラである。
「おのれ! ふざけおって!!
このアレス様をバカにするか!!?
貴様ら!! 人質がどうなってもいいのか!!?」
アレスはペルセポネの首を絞めて「どうだ?」と残虐に笑った。
だが――。
「どうぞ」
「……は?」
「いや、君じゃどうにもできないとは思うけど。
まあ頑張りなよ? やってみたらいいじゃない」
「ぬああにぃい!?」
ハデスの言葉にアレスは驚愕していた。
どうやら想定外の事だったらしい。
だがハデスを良く知る我々からすれば「ですよねー」って感じである。
「貴様の妻だろう!?
いいのか!?
俺は極悪非道なアレス様だぞ!?
殺すぞ!?
ホントに殺すぞ!?
いいのか!?
な!? 困るだろ!? なあっ!!?」
……なんだ、良い子じゃないか? この王子。
滲み出る小物臭とガキ臭さ。
たぶん根は良い子なのだろう。
「だから、好きにすればいいんじゃない?」
「貴様それでも夫かっ!!?
見損なったぞ!! 冥王ハデス!!
ハッ!!
貴様も哀れな女よなあ!!
こんな情けない男に娶られたとはなあ!!」
「ア?」
あ……。
「―――っせえなあっ!!!」
「ブゥグビッ!!!?」
ポネ様が見事アレスにアッパーカットを食らわせた。
思い切り舌をかんでのたうち回るバカ王子。
「君が俺以外を殴るとこ、初めてみたよ」
「……手加減はした」
衝撃の事実!
ポネ様はハデス以外殴った事がなかったらしい!
そうか! 死ぬもんね!
そして十二神指折りの力自慢アレス相手に手加減ときた。
いやはや、スケールが違う。
「ほ! ほにょへぇ!!」
「ナニをフニャフニャしてんだい?」
下卑た笑みを浮かべ、ヘルメスが下品に笑う。
楽しそうなのは結構だが、こんな事をしていていいのだろうか?
『お楽しみの所を申し訳ありませんが――』
「ああ、そうだったそうだった。
えっと、兄上さま?
あなたが宇宙空間にいたのは何故?」
「ハ! 知れたことよ!!」
いつの間に回復したのか、アレスはカッチョイイポーズをとった。
……いくつだろ? この人。
「このアレス様が世界を守っているのだ!!
貴様らのような悪者からな!!
フワーッハッハッハッハッハッ!!!」
彼が本当にバカで助かった。
どうやら我々の目的には気付いていないらしい。
「へえ?
じゃあ俺たちは悪者なんだー」
「ハ! 貴様など!!
悪の大魔王そのものではないか!!」
まあ確かに、冥王だし、あってるっちゃ合ってる。
「じゃあ聞くけど、俺のどこが悪なんだい?
今後の改善の為に、具体的に教えて欲しい」
「えっと……その……待てよ?
そ! そうだ!!
罪も無い人々を冥府に閉じ込め――」
「てないよ?
ねえ? 皆さん」
「そうですね。
冥府に投獄された人たちは皆何らかの罪を犯しています」
「な!? 聞いてないぞ!!」
「いや、知っとけよ……。
十二神……いや、一般常識として……。
同じ十二神として、アタシは恥ずかしいよ……」
『うふふ。
オリンポスの未来は安泰ですね。
彼の様な世間知らずが上に立てば、
さぞかし市民たちも選挙活動に躍起になることでしょう』
「き! さ! ま! ら! な~!
いい加減に~!!」
アレスの身体が炎に包まれた。
「しろおおおおおおおおお!!!!」
そして爆発した。
もうもうと上がる煙の中から赤くて巨大なものが現れる。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
「ド! ドラゴンだ!!」
巨大な竜の化身となったアレスが、炎を撒き散らしながらその全貌を露にした。
「く! マズイねぇ!
このままこのバカゴンが暴れたらオリンポスに我々の存在がバレちまうよ!」
「心配するのそこぉ!?」
私のツッコミを無視し、巨竜から退避するヘルメス。
腐っても十二神。
同じ十二神ならその実力は互角の筈……!
「伯父上! お願いします!
アタシじゃ兄には勝てません!」
「勝てんのかい!?」
「そりゃそうよ~!
あんなバカでも力だけなら兄弟の中でも一番強い。
それにあの状態の兄上には一切の魔法攻撃が通用しないんだ」
「なにその無駄に凄いスペック!?」
「そう、スペックだけは異常に高いんだよなぁ、兄上は。
スペックだけは!」
やたらと「だけ」を強調して、ヘルメスの解説は終わった。
想像するに、ゼウスの子供たちの間には色々な確執があるらしい……。
「じゃあ久しぶりに、甥と遊びますか」
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
竜王アレスの咆哮は凄まじく、私は簡単に吹き飛ばされた。
が、なんとあのポネ様が助けてくれた!
「あぶねえな! しっかりしろよ!」
「あ、ありがとう! ございます!」
「……フン!」
ポネ様は少し気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
なあに? このツンデレ。
「よっと。
久しぶりだねぇ。
昔は俺がお馬さん役だったのに、こんなに大きくなっちゃって~!」
「ΩΩΩΩαααα――!!?」
ハデスは気が付くと巨竜の頭の上に突っ立っていた。
よく見ると、ポケットに手を入れたままである。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
アレスは振り落とそうと首をブンブンと振ったが、ハデスは素晴らしいバランス感覚でよろめきさえしなかった。
「お上手お上手!
じゃあ、次は伯父さんからいくよ?」
言ってハデスはアレスを踏み台にして真上にジャンプした。
衝撃でアレスの頭が地面へと激突しめり込んだ。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
怒ったアレスは大地を破壊して頭を抜き出すと、上空に跳躍したハデスを追い飛び立った。
羽ばたく衝撃で木々が薙ぎ倒されてゆく。
私も、ポネ様が掴んでくれていなければ彼方に吹っ飛んでいただろう。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
「ん? もう来たの?
早い早い。
じゃあ、もう一回いってみよー!」
「ΩΩΩΩαααα――!!?」
そのもう一回とは、再びハデスに踏まれて地面に頭をめり込ませる事だった。
そして巨竜は怒りを爆発させ、大地を破壊してゆく。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
「さて、そろそろ伯父さん、仕事があるんでね。
ボウヤはおねんねの時間だよ~」
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
ハデスの挑発に、怒り狂うアレス。
何を叫んでいるのか聞き取れないが、「ふざけるな!」などと言っているのであろう。
ハデスはまたも巨大な頭を踏んづけたが、そのまま飛び上がる事無く、そのまま地面へと踏み込み、大地へと激突させた。
「ΩΩΩΩαααα――!!!」
地面に大穴を開け、どれだけ地中深くまで下ったのか。
数分して、ようやくハデスのみが戻って来た。
「いや~お待たせして申し訳ない!
彼、結構強くなってたよ~!」
そう言いうハデスだが、両手をポケットに入れたままだった。
いくら最強の王とはいえ、両手を使わずにただの足さばきだけで十二神を子ども扱いとは恐れ入る。
ハデスのあの余裕っぷりからすると、あれは戦いですら無いのだろう。
完全に遊んでいた。
『いえ、流石です。
時間ピッタリの様ですね……』
ヘカテの見る方向に見慣れた機影があった。
大型宇宙船“渡し舟2号”。
ついに、彼らが到着した。
「―いよいよだね―」
茶番は終わったと、“ハデス”はその本性を現した。
闇の様に黒く肌を染めた、黒き王。
ティタンとオリンポスの戦争を止める。
その為に、彼はここまで辿り着いた。
『……“ハデス”』
ヘカテが危惧する様に名を唱える。
「……ハデス」
ペルセポネも、不安そうに名を呼んだ。
だが、二人に込められた感情は全くの別物であろう。
「―大丈夫―」
そんな二人の心情を知ってか知らずか、“ハデス”は囁いた。
世界で最も恐ろしい声で。
「―誰も、死なせない―」
最も優し気な言葉を口にした。




