第5話 「人は平等だよ」
「俺じゃない」
開口一番。挨拶もすっ飛ばし、顔合わせで最初に彼はそう言った。
その男は檻の向こうで五体を鎖で拘束され、腹部は巨大な槍に貫かれていた。
その顔は血の気が失せていたが、鋭い眼光を覗かせていた。
そんな彼をハデスは眼鏡を外して見据えていた。
あの、全てを見通すであろう魔眼で。
「今回の一件、俺は関与していない。
だが、こうなることはわかっていただろう。
初めからな」
「うん。だよねー」
こんな状況にも関わらず、両者は淡々と会話していた。
執行者と受刑者。かつての決別した親友同士。
通常の生物なら、間違いなく死ぬであろう責め苦を与えながら、また受けながら、さも「久しぶり」とでもいうようなノリである。
……ついていけない。
「で、プーちゃん」
「何だ?」
「プーちゃん!?」
「予言者プロメテウス。
ちょいと長いからプーちゃんって呼んでるんだよ」
「軽っ!」
いやいや、事前に聞いてたから彼が誰なのかはわかりますって!
驚いたのはそのふざけた愛称の方で……まあいい。
元十二神プロメテウス。
ハデスと同世代のティタン族で、ゆえに背丈は私らとほぼ変わらない。
そのあまりに正確な先読みを行う事から予言者と呼ばれる天才。
その先見の明により、一族を裏切りオリンポスについた男。
そして、何故か冥府設立に反対した反逆者。
私個人としても、色々と訪ねたい人物である。
だがまずは、仕事を優先させるべきだろう。
「ええっと、プロメテウスさんは――」
「事情は知らん。
が、おおよそ想像はつく。
ゼウスの子を、ティタンの血族を生贄として
再び戦いが始まろうとしている」
「何でそんな事がわかるんです?
何の情報も無いのに」
「ただの当てずっぽうだ。
が、情報が無い訳じゃない。
こいつがここに来た時点でだいたいわかる。
大方ガキが行方不明にでもなったんだろう?」
「すごい! 当たってる!」
私の賛美を眉一つ動かさないどころか、若干面倒くさそうに受け流す予言者。
成る程、彼は彼で中々厄介な御仁の様だ。
「どこにいるかわかる?」
「さぁな。
だが、お前には心当たりがあるんじゃないか?
俺に聞くまでもなくな」
「まぁそうなんだけど」
「アテが外れたな」
「そうでもないよ。
君が関わってないなら安心だよ。
もし君が黒幕だったなら、既にお手上げだったよ~」
「フ、よく言う」
予言者はため息混じりに笑みを浮かべた。
何か含みありげだったが、悪巧みをしている感じではなかった。
むしろどこか諦めたような、憂いを帯びた印象だった。
「だとしたら、俺と話している場合じゃないぞ?
早く黒幕とやらをしょっ引いたらどうだ?」
確かに。
本当に彼が無関係だとするなら、ここにいる意味は無い。
「まだ、事は起きていない。
なら裁けないし、誰も疑わない」
「変わらないな、お前は。
事が起こる前に食い止めるのが、筋じゃないのか?」
「そうしたい所なんだけどねぇ。
悲しいかな、俺は立場に縛られた下らない人間なんだよ。
君と違ってねぇ」
「……ハデス。
お前は正しい。
今も、あの時もそうだった。
だがな。
人間は常に正しくはないんだ。
そして人は平等じゃな――」
「人は平等だよ。
少なくとも、法の前には」
「不条理な悪法だってある」
「悪法も法だよ」
「そこに人の感情があるのか?」
「法は詰まるところ、感情論だよ。
たとえ理不尽な法だとしても、
大勢が疑問視し、少数が淘汰されてたとしても、
全体が容認してる時点で、それは人類の総意なんだよ」
「……そうだな。
そうだったな。お前は……」
「じゃあ、プーちゃん。
顔が見れて良かったよ」
どうやら話は終わった様だ。
よくわからないやり取りだったが、今はハデスに続こう。
「新人」
「はい?」
呼び止められた。
何だろう? 何か言い忘れて事があるのか?
それとも、ハデスに言えなかったことでも?
「あいつは、ハデスは誰よりも強く、正しい」
「……そうですかねぇ?
あんな、魔眼を使うような人が、本当に正しいと?」
「魔眼?
ああ、ヤツの目の事か。
確かに魔眼かも知れんな。
どれだけ力を手放そうと、目にした者を恐怖させるんだ。
本能的にな」
「え? 本能的に?
支配する能力とかじゃなくて?」
「お前はそう思ったのか。
まぁ、わからんでもない。
むしろその方が納得できるだろう。
だが俺の知る限り、あいつの目はそんなに便利なものじゃない」
本当か? あの眼がただの目だとは思わないけど。
いずれにせよ。あの目を見て動じない時点で、只者じゃない。
「あなたは平気そうですね? あの目を見ても」
「そうでもない。
俺など、あいつと目を合わそうものなら失禁してただろうよ」
「……チビってるんですか?」
「……何故そうなる。
目が見えないだけだ」
「え?」
いや、別に驚くほどの事じゃないのかもしれない。
これほどの拷問を受けているのだ。
ティタン族特有の再生能力を以ってしても癒えない全身の責め苦。
視力が失われていても不思議ではない。
ただ、違和感があるのだ。
「その割には、相手の目を見て話すんですね。
それも予言者の特性ですか?」
この男。
視線は鋭く、的確にアイコンタクトを送ってくるのだ。
「ただの勘だ。癖というのもあるがな」
「クセ……ですか」
「気を抜けば死ぬ立場なんでな。
弱者は常に、己がどう見られているか把握した方がいい」
「そ、そうですか」
単純に感心してしまった。
確かに今の立場上、彼は弱者かもしれないが全然そんな風には思えない。
むしろ、何故かこっちが追い詰められているかの様な感覚さえ覚える。
流石は元十二神といったところか。
このまま彼自身について聞きたい所だが、他に確認すべき事がある。
「そういえば、先ほど気になることを言いましたね?
裁判長が力を手放したとは?」
今の冥府は、ハデスが最強の王だからこそ成り立っている。
さもなくば、プライドの高いティタン族が渋々ながらも従ったりはしないからだ。
「言葉通りの意味だ。
尤も、厳密には違うのだろうが。
そこはさほど重要じゃあない。
お前はどこまで踏み込んでいる?」
「さ、さぁ? 何が何やら……」
「今のハデスにかつての力は無い」
衝撃の事実! マジで!?
前提が覆るじゃん!!
「だが、そんな事は問題じゃない。
例え力が失せようが、あいつは誰よりも強いんだ。
悲しいことにな……」
何の根拠があって問題無いのかはわからないが、私如きが心配することではないらしい。
そこは素直にホッとしておこう。
……それにしてもこの人。
先読みし過ぎてイマイチ言葉が足りてないな。
何かを隠しているのではないだろうか。
「ゼウスには雷を」
あれ? 唐突に話題が変わった?
「ポセイドンにはトライデントを。
ハデスには隠れ兜を。
原初の巨人は与えたもうた」
いきなり話を変えてきた!
でもこの話は知ってるぞ。
てか皆知ってる話だ。
大戦時の逸話。
オリンポスの三人の王が、三種の神器で勝利を収める話だ。
「しかし、ハデスだけは受け取らなかった」
「え?」
それは初めて聞いた。
てか、私の聞いた話と違う。
三人の王は原初の巨人にそれぞれ神器を貰い、その力で戦争を終わらせた筈だ。
ゼウスには雷を自在に操る術を。
ポセイドンには無敵の武器トライデントを。
ハデスには姿を消す隠れ兜を。
確かそういう話の筈。
「怪訝そうな面持ちだな。
それが正しい反応だ」
「……何が言いたいんです?」
「話に出てくる三種の神器な。
あれはそれぞれの願望の象徴だ」
「願望?」
「雷は誰にも負けない無敵の理を、
トライデントは不変の美を表している。
なら、隠れ兜は何だと思う?」
隠れ兜の象徴?
姿を消す事という願いの理由?
何だろう……何かを誤魔化すこと?
ずる賢さ?
他二つがヒントだとしてもよくわからない……。
雷が無敵の理ってのは何となくわかるけど、トライデントが不変の美ってのがイマイチわからない。
だいたい、ポセイドンが美に執着するイメージが無いし。
「ともかくだ。
原初の巨人は三人の願望を見透かし、最も欲するモノを与えた。
だが、ハデスだけは受け取らなかった。
己が願望を拒絶した訳だ」
……あの人ならそうするだろうなぁ。
何となくそう思うだけだけど。
「それがどんなに恐ろしい事か……」
……恐ろしい?
確かに怖い事かも知れない。
人は誰しも欲しいものがある。
それが、自分の一番欲しいものなら、是が非でも手に入れたいと思うだろう。
でも、多分ハデスは、あの人はそれを我慢したんだろう。
あの人は私情よりも使命を優先させるタイプだ。
今回の一件と同様、そうすべきじゃないと判断したんだろう。
その真意まではわからないけど、たぶん大体あってるはずだ。
「確かに人は時に理性で自身を抑制する。
が、あいつは常軌を逸してる」
心を読まれた!?
「理性は感情を抑制しきれない。
それが生物としての、当然の摂理だと俺は思う。
だが、あいつは、そうじゃない……」
……ハデスの自制心が異常に強いということかな?
それは別に悪いことでは?
むしろ正し――。
「ハデスは正し過ぎる。
異常な程にな……」
……正しさに異常というのがピンとこないけど。
なんだか悲しそうに言うなぁ、この人。
でも、そんなにハデスが正しいと言うのなら。
「あなたは何故、歯向かったのですか?
あの人が正しく、絶対に勝てないとわかっていて」
「俺じゃなかったからだ」
「……え?」
それ以上、彼は答えなかった。
どういう意味だ?
質問したい所だが、話は終わりだと言わんばかりに目を閉じられてしまった。
後は自分で考えろって事か?
……変な宿題を出されてしまった。
「遅かったねぇ~。
やっと終わった? プーちゃんの説教」
「ええ、まぁ……」
……説教というか、何かを託された様な気分だ。
まるでハデスを頼む! みたいな。
何を頼まれたのか、全然わからないけど。
ただ、私はこの人を誤解しているのかも知れない。
少なくとも、魔眼で人の心を操るとか、そういう人物では無いことだけはわかった。
だが、プロメテウスの言うように、本当に恐ろしい人なのだろうか?
確かにあの凶悪な視線は悪魔としか言いようがない程におっかないけど。
少なくとも、彼の行動そのものには正当性と一貫性があると思う。
ただ、私もこの短い付き合いで、全てを把握できた訳じゃない。
何かあるのだ。
かつて、親友だった彼が危惧する何かが。
「さてと、エレベーター動かすけど準備はいい?」
「ええ、大丈夫です」
でも、何だかんだ言って、こうやって部下を気遣うこの人が、そんなに異常な人物だとは思えない。
……見届けよう。
彼の真意と、その行く末を。
そう決心し、私はハデスを見据えた。
……見てしまった!
「な! ふたりいる!!」
「「え!? マジで!?」」