第45話 「―真の愛を貫く!―」
「コレー」
(なんて素敵な声なんだ……!
そして、なんて可憐な名前なんだ……!
俺は、これ程女を綺麗だと思った事は無い……!)
その名を聞いた瞬間、プロメテウスは虜となった。
自分の妻以外に、これ程までに想い焦がれた事があるだろうか?
今すぐ抱きしめ、想いを遂げてしまいたい。
そんな情念に駆られていた。
「奥さんに言いつけるよ!!」
「ファッ!?」
ハデスの脅しでプロメテウスは正気に戻った。
(……どうも変だ。
彼女を見た瞬間魅入られてしまうのか?)
プロメテウスはコレーを名乗る美女から目を逸らしつつ、周囲を探った。
「あなたは?」
「プロメテウス!!」
思わず彼は叫んだ。
彼女の声に、いち早く応えたくなった。
「えっと……」
(困った顔も、良い……!)
「君じゃない」
ハデスに言われてハッとしたプロメテウス。
だが、少し不機嫌になった。
「ハデス」
「はです?」
ハデスの名を復唱して、コレーは戸惑っている様だった。
「あのぉ……!」
「……コレー……!」
背後から悲鳴の様な叫び声がした。
しゃがれ、かすれた老婆の声。
デメテルだった。
彼女を見ると、取り乱す様に逃げ出した。
「……私の……!
愛しい……子……!」
「デメテル!!」
追い縋る様に、デメテルは力尽きた。
「……とにかく一旦村に戻ろう。
カロン、全員運べるか?」
「高く付くぜぇ?」
一行は一度、村へと引き返した。
倒れていた老人たちも一緒である。
プロメテウスは老人たちを一人一人見て回った。
そして、ある仮説へと辿り着いた。
(……俺の読みが正しければ、やるべき事は一つ……。
だが……!)
プロメテウスは床に伏したデメテルを見た。
若さに溢れていた肌には深い皺が折り重なり、見る影も無かった。
時々呼吸が止まるのか、苦しそうに痙攣している。
(……だが、放っては置けない!
ハデスに伝えるべきか……)
プロメテウスはデメテルの上半身を起こし、擦りながら思い悩む。
その決断が、何かを決定づけてしまうと思ったからだ。
「……ありがとう、楽になったわ……」
「起きたのか?」
「ええ……」
「…………」
二人とも、押し黙った。
言うべき事はお互いわかっていたが、言えずにいた。
プロメテウスは、このまま黙っていようと思った。
「先生……。
お願いがあります……!」
「何だ?」
デメテルは今にも消えてしまいそうな声で言った。
プロメテウスの声も、自然と優し気になる。
「……コレーを、娘を助けて下さい……!
……プロメテウス……!」
「……ああ、任せて休め……」
涙ながらの懇願を、彼は優しく包み込んだ。
そのまま床についたデメテルを寝室に残し、プロメテウスは自問自答に耽る。
(デメテル……。
……妊娠した姿を俺に見せられなかった少女が、老いた姿を晒してでも俺に縋ったその心中は?
あれは、我が子を想う母親の眼だった……。
自分の命と引き換えにしてでも、誰かを頼ってでも守ろうとする覚悟……。
……初めて名前、呼ばれたな。
恥ずかしいのか、緊張して何度も呼ぼうとしてたのにな……。
…………)
「彼女、落ち着いた?」
ハデスが声を掛けてきた。
「ああ……。
そっちはどうだ?」
「全員眠っているよ。
取り敢えず、命に別状は無いみたいだね」
「そうか……」
プロメテウスは迷っていた。
自分の行きついた仮説を、ハデスに話すべきかどうか。
「何かわかった?」
「……まぁ、な」
(……どうする?
ハデスに言うべきか?
だが、今、話してしまう事で、
何か取り返しのつかない結果を招いてしまうんじゃないのか?
……俺はどうすればいい?)
プロメテウスは一呼吸置いた。
ハデスの様子を見る。
いつも通りだ。
我を忘れ、動揺の連続だった自分とは違う、全くのいつも通り。
判り切った事だ。
ハデスは、誰よりも強い。
決して挫けず、堕ちず、思い悩む事さえ無い。
絶対の“王”にそう願われて、彼は生まれてきた。
「彼女が原因だよね?」
「……おそらく、体質だろう。
お前の様な、な……」
「どうすればいい?」
「…………」
プロメテウスはすぐには返答できなかった。
いつになく要領を得ない彼の態度に、ハデスは疑問そうな顔をした。
「プーちゃん?」
「……彼女には魅了の力がある様だ。
おそらく、それで男共を引き寄せたのだろう」
嘘はついていない。
だが核心には触れず、誤魔化した。
「何にしても、もう一度彼女に接触する必要がある。
ハデス、頼めるか?
俺だとまともに目も合わせられん」
「わかった。
明日、彼女に会ってくる」
「俺も行く」
「でも、君は――」
「なあに、魔法の言葉がある!」
翌日、二人はコレーに会うため例の火山に向かった。
今回はすぐに見つけられた。
どうやら、彼女も彼らを探していたらしい。
何か話がある様だ。
彼女の魅力に耐え得る為、プロメテウスは魔法の呪文を口にした。
「――我!! 真の愛を貫く!!――」
「……なにあれ?」
「まあ、気にしないであげてよ」
「で、でも、めっちゃ光ってるし……」
変質者を見るような視線を一身に浴び、彼は耐えていた。
ゼウスから授かった“威光”と“言霊”で自己暗示を掛け、必死に彼女の魅力を振り払っていた。
(……ク! 心が挫けそうだ……!!
あの蔑む様な眼……!
屈辱だ……!
……だが、それを良いと思ってしまう俺がいる……!
違う! 違うぞ!?
俺は決してそういう趣味じゃない!
だが、何だ!? この感覚は……!?
……俺は!
クリュ!!
そうだ!!
俺の愛する人はクリュメネだけだ!!!)
「――我!! 真の愛を貫く!!――」
「きもい……」と言われてもいないのに言われた気がし、心に突き刺さるプロメテウス。
その度に奇行を繰り返す彼を尻目に、コレーはたどたどしく切り出した。
「あのぉ、あなたは私を見てどう思う?」
「ん? 別に普通の女の子としか」
「ホントォ!!?」
何が嬉しいのか手を合わせてはしゃぐコレー。
その愛らしい姿に――。
「――我!! 真の愛を貫く!!――」
相変わらずのプロメテウスだったが、ハデスは無反応だった。
「え、ええっと、わたし、何だか男の人が怖くて……。
わたしを見ると、みんな今にも飛び掛かってきそうなの……」
「へえ、そうなんだ」
「でも、あなたは怖くないわ」
「そう?
そんなこと初めて言われたよ。
皆、俺を怖がっていたからねぇ」
「うそ~!」
「本当に」
「なんだか一緒だね! わたしたち~!」
コレーの仕草振る舞いは、あり触れた少女のそれだったが、プロメテウスはトキメキ悶えていた。
「――我!! 真の愛を貫く!!――」
「……行こ。
ここだと静かに話せない……」
「そうだね。
プーちゃん!
ちょっと席を外すよ?」
「――我!! 真の愛を貫く!!――」
二人が立ち去り、彼の苦行はようやく終わりを迎えた。
(……帰ろう)
プロメテウスは独り、村へと帰還した。
するとカロンと村人が揉めていた。
(ま・た・か・よ!)
「おい、何があった?」
「おお! プーの旦那ぁ! 聞いてくれよ!!」
「聞いて欲しいのはこっちだよ!!」
「あーわかった、わかった。
とにかく座らせてくれ」
「ちょ! そんな場合じゃ!!」
「金なら後で俺のダチが払う。
おいデカブツ。
テメエの上司に報告するから覚悟するんだな」
「「え!? ちょっと待て!!」」
「待たない、寝る」
「「どういう事か説明しろ!!」」
「うるせえなあ!!
家畜小屋の牛が3頭いなくなった!
どうせカロンが盗み食いしたんだろ!?
だがバレてカロンは金を払ったが、値を吊り上げられた!
これでいいか!?」
「「何でわかったんだ!?」」
「……頼む、疲れてるんだ……!
これ以上、俺を疲れさせんでくれ……」
そして彼は、落ちるように就寝した。
翌日、プロメテウスは気だるげにハデスからの報告を聞いていた。
「どうやら彼女は自分の体質の事で悩んでいたみたいだね。
そして人目を避け、荒れ地に行きついたと。
俺からすれば普通の女の子に思えるのだけどねぇ」
「……まあ、お前は特別だよ」
「実は今日も会いたいと誘われたんだけど」
「行って来いよ。
俺は遠慮しておく」
「わかった」
コレーをハデスに任せ、プロメテウスはデメテルの看病を続けていた。
彼は今回の件について、その全容をほとんど理解していた。
しかし彼は決断を急がず、成り行きに任せていた。
ハデスがコレーのもとに通い、帰る度に報告を聞く。
そんな日々を繰り返した。
「で、マグマの中をお散歩か?」
「そうそう。
いやあ、彼女も頑丈でさあ。
焼けてもすぐに再生するから痛みすら無いんだって」
そういうハデスはどこか嬉し気の様に見えた。
初めて見るような表情に、つい魔が差した。
「ハデス。
お前、恋ってわかるか?」
「え? まあ、知識だけなら。
なんで?」
「いや、いい。何でもない……」
(……話を聞く限り、コレーはこいつに好意を抱いてる様だな。
初めて魅了されない男……。
彼女にとって新鮮だったんだろうか?
そして、ハデスも。
こいつは人の姿であっても、人を畏れさせる。
おそらく、こいつを何の屈託もなく見られるのも、
彼女ぐらいじゃないだろうか?
だがまあ、こいつに恋愛感情が存在するかも怪しいがな……)
こんな感じで数日が経った。
デメテルは徐々に若さを取り戻してきた。
おそらく“豊穣の力”の賜物であろう。
それを証明する様に、他の人たちは老人のままだった。
(……ハデスは気づいていない。
デメテルの変化も、この老人たちの重要性も……。
おそらくヤツの感覚では、それ程慌てる事でもないのだろう……。
強大な生物が、どれだけ虫を踏みつぶそうが気付かない様に……)
プロメテウスはデメテルを見つめた。
すっかり若さを取り戻した、美しいコレーの母。
よく見ると、やはり似ている。
だが、その寝顔に安らぎは覚えても、欲情する事は無い。
(……やはり、コレーは特別だ。
“威光”や“言霊”は本能に訴えかける力……。
それさえも凌駕する“魅力”……。
同じく本能を刺激するものであるとすれば、より人は抗い難いだろう……。
いつかゼウスが言っていた種の保存……。
人が生物である限り、逃れられない摂理……。
おそらく、彼女も無自覚なのだろう……。
そしてそれさえも、副次的な体質に過ぎない……!)
プロメテウスは頭を抱えた。
自分はどうすべきか、自分に何ができるのかを、必死に問いかけた。
(……娘を頼む。
そう言われて、俺はどうすべきなのか……?
何が正しくて、何をしたら間違いなのか……。
……ハデスなら、迷わないだろう。
俺は、耐えられるのか?
誰よりも正しい者として生まれた、あいつの決断に……)
「誰か!!」
「――――!?」
誰かの助けを求める声に、プロメテウスの思考は中断された。
声の主の下に走る。
そこには、必死に身を乗り出す老人を押し留める少女がいた。
「どうした!?」
「彼が!」
「離せ!! 彼女に会いに行くんだ!!」
「落ち着け!!」
老人は少女の恋人だった。
その目は焦点が定まらず、体中がビクビクと震えていた。
とても正気には見えなかった。
「アンタ! この娘の恋人だろ!?
気をしっかり持て!!」
「いやだ!!!
彼女がいい!!
こんな女じゃダメだ!!
彼女に会わせろ!!」
「――動くな!!――」
プロメテウスは威光を以って命じた。
しかし、老人は止まらなかった。
「マジかよ!? クソ!!」
老人は外に飛び出した。
プロメテウスたちも後を追う。
外に出ると、村中同じ様な有様だった。
村中の老いた男たちが、這いつくばる様に村を出ようとしていた。
「カロン!! こいつらを村から出すな!!」
「ガッテン!! 後で奢れよ!?」
カロンに阻まれ、老人たちは押しとどめられたが、彼らは大声で喚き散らしていた。
(どうすればいい!?)
プロメテウスが必死に何か打開案を模索する中、何かが駆ける音がした。
(ハデス!? しまった!!)
「おい! カロン!!
こいつらを外に出すな!! いいな!?」
「おい! ちょ! おま――!!」
振り返らず、プロメテウスはハデスを追って飛んだ。
(まずい! まずいぞ!!
おそらくハデスは俺が言うまでも無く、全て解っている!
だが、俺が言い渋っていたから、
すぐにこの件を解決しなくてもいいと判断したんだろう……!
だが、今は違う……!
あれだけ大勢の人々の叫びを聞いて、ようやく気付いたんだ……!
コレーの“力”は、魅了じゃない……!
もし、俺の予想通りだとしたら……!)
プロメテウスは後悔した。
自分のせいだと。
答えを先延ばしにした結果、事態は最悪の方向に発展してしまったと。
(……彼女を放っておけば、世界が滅ぶ――!)




