第39話 「やられた!!」
「殺せ!!」
「―帰順せよ!―」
アトラスを捕えて半日。
ゼウスは“言霊”によりオリンポスに寝返るよう洗脳を試みていた。
鎖で雁字搦めに拘束されているアトラス。
縄では、その怪力で引き千切られる恐れがあるからだ。
「何故そこまで“王”に拘る?
他の愚民共ならいざ知らず、
“威光”にも“言霊”にも屈せぬ汝になら理解出来よう?
“王”の“威光”はまやかしに過ぎぬ。
今一度、考えてはみぬか?」
「殺せ!!」
「……汝が部下たちは一人も余さず治療を施し、決して処断する事は無い。
何故だか解るか?
例え敵であろうがなかろうが!
我らオリンポスは、“王”に縛られし人類を開放する使命があるからだ!
獣が真の人として自由を得る為にな!
我らには、汝の様な英雄が必要だ!
―オリンポスに力を貸してくれ!!―」
「くどい!! 殺せ!!」
「…………ふむ」
本音と“言霊”を使い分けるゼウスの説得も虚しく、アトラスは頑として不服従を貫いた。
「無駄だ、ゼウス。
こいつの頑固っぷりは筋金入りだ。
クロノスへの忠義は、たとえクロノス本人でさえ曲げさせられねえよ」
プロメテウスは諦めろと言わんばかりだった。
「……惜しい。
実に、惜しい。
ここまで“威光”に抗しうる傑物が、その象徴たる“王”に忠誠を誓おうとはな……」
ゼウスは残念そうに呟いた。
余程アトラスを買っている様だ。
「いつまでもアトラスにばかりかまけてはいられんぞ?
まだ戦いは終わっとらんのだからな」
「わかっている。
また来る。
次は汝の父と共に、牢で語らおう――」
そう吐き捨て、ゼウスとプロメテウスは独房を後にした。
指令室にて、いつの間にか戻って来たハデスにゼウスが声をかける。
「ティタンの様子は?」
「密林を抜けた地点にまで後退。
ポーと睨めっこしてるとこだよ」
「そっちは?」
「無駄だった。
アトラスを人質にできれば交渉もできただろうが……」
プロメテウスが答えた。
その心中は複雑だった。
「膠着状態か……。
どうする?」
ゼウスに問われ、プロメテウスは思考を巡らせた。
「ここはトップ会談といこうか?」
プロメテウスの提案で、大将同士の対談が執り行われる事となった。
互いに兵団が睨み合う中、ティタン側の宿舎にゼウス、アテナ、プロメテウスが訪問する形となった。
敵に対する挑発の為である。
三人が宿舎に入ると、イアペトスは怯えた様子で迎え入れた。
身体はやはりクレイオス並みに大きかったが、いかにもひ弱そうにやせ細っていた。
「よよよ……ようこそ……!
わわわ……私が、いいい……イアペトスです……!」
(……相変わらずだな……父上……)
久しぶりの父との再会に、プロメテウスは頭を押さえた。
「―我が名はゼウス!!―
―お初にお目にかかる!―」
「ひょ!? ひょえええええ!!?」
ゼウスの“威光”と“言霊”に充てられたのか、イアペトスは恐れ慄いた。
(ゼウスのやつ……ワザといつもより多く“威光”を飛ばしてるな?)
「―イアペトスよ―
―単刀直入に言う―
―軍を退け―」
「ひっ! ひぃいいいいいい!!」
イアペトスはゼウスを恐れるあまり、耳を塞ぎうずくまった。
「―聞け! イアペトス!!―
―軍を――!!―
……埒が明かん。
これでは“言霊”が効いているのか判らぬ……」
ゼウスは“威光”を解くと、通常の言葉で続けた。
「イアペトスよ。
汝らの英雄アトラスは既に我らの手に落ちた。
これ以上、いたずらに兵を消耗する事もあるまい?
今すぐ軍を退かせると言うのなら、見逃してやろう――」
ゼウスは落ち着いた口調で言った。
だが……。
「ひ! ひー!!」
“威光”も“言霊”も無いというのに、イアペトスは未だに怯えていた。
どうやら余程ゼウスが怖かったらしい。
「……プロメテウス、頼む。
身内なら少しは落ち着いて話もできるだろう……」
「あ、ああ……」
オリンポス勢は呆れ顔で選手交代した。
「父上、俺だ」
うずくまるイアペトスの肩をポンポンと優しく叩くプロメテウス。
そこまでしてようやくイアペトスは起き上がった。
流石は親子というべきか、扱いを心得ている様である。
「ぷぷぷ……プロメテウス……!
お前もいたのだな……!」
「本当に言った!」と思わずゼウスがツッコミを入れた。
背後に控えるティタンの護衛たちも苦笑している。
「あ、相変わらずだな、父上……オホン!」
「ひ……!」
「おお、すまん!」
「ひゃ! ひゃい!?」
「…………」
(…………何のコントだ? これは……)
息子の咳払いに、いちいち怯えるイアペトス。
これで一千の兵を束ねる総大将なのが疑問である。
「……父上。
その……いいかな?」
「ははは……はい……!」
プロメテウスは普段しない様な作り笑顔で小さく優しい声で語り掛けた。
ゼウスが必死に笑いを堪え、何とか威厳を保とうとしている。
「昨日の戦いは俺たちが勝った。
そして頼みのアトラスも俺たちの手の内にいる。
ここは一旦兵を退いてくれないか?」
「ででで……でも……!
このまま兵をひひひ……退いたら……!
……その……あの……ええっと……」
ようやく要求内容は伝わったが、イアペトスは煮え切らない様子でどもりまくっていた。
うわ言の様に「どうしよう……」とか「怒られる……」などと言っている。
プロメテウスは最初は忍耐強く待ち、再度宥める様に決断を促していたが、徐々に苛立ってきた。
「いい加減にしろ!!」
「ヴぃ!? ヴぃいいいいいいい!!?」
「いつまでもびーびーびーびー怯えやがって!!
お前それでも大将か!? アトラスの父親か!?
敵を怒らせたら死ぬんだぞ!? テメエの部下が!!
わかってんのか!?
あ! そ! び! じゃ! ないんだぞっ!!?」
「しゅしゅしゅ! しゅいまぜーん!!!」
「俺に謝ってどうする!? お前に従う兵たちに詫びろ!!」
「みみみ……! みなしゃん……!
ごごご……! ごめんなひゃい……!」
あまりにみっともない父の姿に、とうとうプロメテウスの怒りが頂点に達した。
「馬鹿野郎!!! 本当に謝る奴があるかああああああ!!!」
ダン! と地面を踏み鳴らした瞬間――。
遠くから巨大な爆発音が上がった。
「びょええええええ!!!?」
あまりの轟音に、イアペトス以外の者も驚き、一斉に宿舎を飛び出た。
「「な……!!?」」
声を揃えて絶句したのはゼウスとプロメテウス。
それもその筈、オリンポスの頂上から煙が上がっている。
「ゼウス!! 何が起こっている!?」
「叡智!!」
ゼウスの意図を汲み、アテナは映像を映し出した。
そこには大破した空中要塞から、恐るべきものが出てきていた。
「アトラスが脱走した!?
バカな!! 身動き取れん筈だ!!
いくらあのバカ力でも! 自力で脱出など!!」
ゼウスは信じられないとばかりに言った。
同様に動揺するプロメテウスだが、注意深く映像に目を凝らしていた。
「しまった!! やられた!!」
「どういう事だ!?」
「後で話す!!
取り敢えずここを離脱するぞ!
アトラスが来たら俺たちが危ない!!」
「く……!!」
ゼウスの“力”で三人は本陣へと飛翔した。
「おい……! うそだろ……!? これ……」
目の前には悲惨な光景が広がっていた。
オリンポスの切り札として完成したばかりの空中戦艦は大破しており、中から多数の怪我人が今尚避難を続けている。
また怪我人を治療しようにも、旧市街は火計で燃やしてしまった為、野外で手当てをするしかなかった。
逃げ惑う人。
泣いて悲鳴を上げる人。
絶望して立ち尽くす人。
皆、希望を失いかけていた。
「――大丈夫だ!!!――」
オリンポス全土に、ゼウスの“声”が響き渡った。
「――大丈夫だ!!――
――大、丈夫だ……!!――」
ゼウスは涙声で、それでも懸命に伝え続けた。
彼自身、現状が受け入れられず。
何を言っていいかわからず。
いったい何が大丈夫なのか、自分でもわからなかったが、それでも訴え続けた。
「だ! 大丈夫だ!!」
プロメテウスが叫んだ。
(意味が無くてもいい!!
“威光”でもいいから!!
皆を救ってやってくれ!!)
「ダイジョブ!!」
デメテルの声が聞こえてきた。
他にもヘスティアやアフロディテの声も聞こえてくる。
それにつられ、人々の声が徐々に重なり合う。
「「「「「「「「「「大丈夫!!!」」」」」」」」」」
いつしか、オリンポス中の人々が叫んでいた。
避難者も怪我人も、手を、足を止めず必死に希望を唱えていた。
その思いはゼウスの“言霊”によるものかも知れない。
しかしそれでも今は、皆の拠り所となっていた。
「―――大丈夫だ!!――――
―――我が同胞たちよ!!―――
―――我らはまだ終わっていない!!―――
―――まだ皆がいる!!―――
―――皆がいれば!!―――
―――いくらでもやり直せる!!―――」
「「「「「「「「「「おおおおお!!!」」」」」」」」」」
ゼウスの“希望”に、全市民が声を上げた。
例えそれが、本能に促された歓喜だとしても構わなかった。
そんなものが関係無いと思える程に、皆の心は一つになった。
「デージョーブだぁー!!」
「「「「「「「「「「おいいい――!?」」」」」」」」」」
ただひとつ。
ワンテンポ遅れたポセイドンに市民一同ズッコケた。
「皆、無事の様だな……」
奇跡的に、オリンポス市民はほぼ全員生きていた。
しかし、その被害は深刻なものだった。
もしも今、ティタンに攻め込まれでもしたら、ひとたまりもないだろう。
プロメテウスは苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。
「……ゼウス、主だったやつらを集めてくれ!
俺たちは……! 嵌められた!!」
プロメテウスに召集され、主だった面子が集まった。
「嵌められたとはどういう事だ?」
「その前に確認だ。
ハデス。
逃げ出したのはアトラスとその他は?」
「アトラス配下の捕虜の他に、クレイオス配下の投降兵。
そして――」
「元ピュペリオン配下の寝返った連中だろ?」
プロメテウスの先読みに、ハデスは頷いて肯定した。
「何故だ!? 彼らの潔白は“言霊”で……」
「……ゼウス、お前の“言霊”は、“王”に無効化されるんだったよな?」
「あ、ああ……。
……まさか!?」
「その、まさかだと思う……。
事前に“王”の“命令”で一時的にゼウスに従えとか、欺けと言われていたとしたら?
そして、アトラスを見たらティタンに寝返れとでも言われていたとしたらどうだ?
仮にそうだとしたら説明が付く。
アトラスが勝とうが負けようが、その“命令”なら全ての条件が揃う……!」
「そ、そんな……!」
「……しかし誰だ?
こんな事を思いつく奴は?
コイオス……いや、奴ならもっと自分の手柄に直結する様なやり方をするんじゃないか?
同じような理由でピュペリオンも違う気がする……。
あの高慢ちきが、フリでも敵に寝返れと命令するとは思えん……」
「イアペトスとか?」
悩むプロメテウスに、ハデスが何となく言った。
「……いや、考えにくい。
状況的には奴の可能性もあるが、そもそも敵の裏をかける程の器量が無い……。
まあ、一応大将だから状況的には奴を疑いたくなるんだがな……」
「“神の知恵”で見てみよう――」
ゼウスが意識を集中させた。
「う!? うわああああ!!!」
「どうした!!?」
突然叫び出すゼウスに、一同慌てた。
「……す、すまない!
アトラスが……!
アトラスが殺しに来る……!!」
「……え?」
突然意味不明の事を口にするゼウスに、皆動揺した。
「ま! まさか!!
ゼウス! お前、“神の知恵”でティタンの事を見ようとすると、アトラスが襲ってくるビジョンが!?」
「……あ、ああ……そうだ……!」
「トラウマか……!
……無理もない。
殺されかけたんだからな……」
「す、すまない……!」
ゼウスは膝をついた。
それをプロメテウスは宥める様に首を振った。
「仕方がない事だ。
別に誰の策略だろうと、敵である事に変わりはないし。
特にお前は、先の戦いでかなり“力”を消耗しただろ?
天使との通信。
空中要塞の起動とエネルギー供給。
それに、オリンポス全域に飛ばした強い“言霊”。
だから、少し休め――」
「し、しかし……!」
「お前の“力”はこれからの戦いに必須だ!
おそらく、ティタンはこの機に乗じて総攻撃をかけてくる!
だから、お前は一刻も早く万全な状態になってくれ!」
「プロメテウス……」
「それと、俺はまだ諦めてないからな!
大丈夫、なんだろ?」
「あ、ああ! 勿論だ!!」
プロメテウスに励まされ、ゼウスは気持ちを持ち直した。
まだ、終わっていないと。
「皆! ここからが正念場だ!!
おそらく、敵は前回以上の一大勢力で攻めてくるだろう!
だが! 活路はある! 俺がつくる!!
だから! 皆の力を貸してくれ!!
オリンポスの!
人々の自由の為に!!」
「「「「「「「「「「おう! 任せろ!!!」」」」」」」」」」
プロメテウスの声に、皆心を一つにした。