第38話 「勇者アトラス」
英雄アトラス擁するティタン一千の軍勢。
総大将にイアペトスを据え、オリンポスに対し、侵攻を開始した。
対するオリンポスは盟主ゼウスを旗印として、五百の兵で迎え撃つ。
この圧倒的戦力差を埋めるべく、軍師プロメテウスは幾重にも策を施していた。
「ついに来たか!」
ティタン勢の様子を叡智の力で映し見ていたゼウスは立ち上がった。
「前衛はやはりアトラス率いる竜騎兵か……。
こいつは手強いぞ?
何せアトラスと共に名を馳せた歴戦の猛者たちだ。
クレイオス程の統制は無いが、それぞれが一軍の将として臨機応変に立ち回れる。
策を弄する身としては、最もやりづらい輩だ……!」
「どのぐらいで接触する?」
「おそらく、あと1時間程度。
本隊と離れ過ぎん様敢て速度を落としてくるだろうが、
一旦戦端が開けば一気に突っ込んでくるぞ。
アトラスとは、そういう武将だ……!」
覚悟を拳で握りしめ、プロメテウスは前に出た。
「改めて、本作戦を確認する」
「まず敵の戦力だが、
アトラス率いる先鋒部隊100。
イアペトス率いる本隊600。
エピメテウス率いる支援部隊300。
計1000が、敵勢力の総数だ。
先鋒部隊は竜騎兵という、ドラゴンに乗った騎乗兵。
繰り返すが、アトラスをはじめ、その全員が指揮官クラスの傑物たちだ。
こちらの策に上手く嵌めても、その火力と機動力でひっくり返されかねん。
不利だと思ったら、迷わず後退してくれ!
次に敵本隊についてだ。
連中は先鋒部隊がこじ開けた敵陣を占領していく歩兵部隊だ。
その殆どが強力な魔法を使ってくるから、近づかないよう戦車や大砲で応戦してくれ。
総数は600らしいが、実際には大将を守る為に半数しか投入されんと思う。
だが、絶えず敵を送り込んでくるのは厄介だ。
こちらも、無理に撃退しようとはせず、足止めする事を心掛けてくれ。
最後に支援部隊だが、これは考えなくていい。
本当は兵糧攻めでもしたい所だが、そんな余裕は無い。
以上が、大まかな敵勢力とその特色についてだ。
何か質問は?」
プロメテウスは皆を見て確認を取ったが、疑問点は無い様だ。
既に何度も繰り返した説明だからである。
「よし!
次は、俺たちオリンポス勢についても確認する。
まず総大将にゼウス、副将兼護衛にアテナを付ける。
続いて第一防衛ラインに、ポセイドン率いる陽動部隊150と工作部隊50の計200。
第二防衛ラインには、ハデスとこの俺プロメテウス率いる工作部隊100。
更にアフロディテ率いる襲撃部隊20の計120だ。
次に、各部隊の役割について説明する。
まず、第一防衛ラインにて、敵先鋒と本隊を切り離す。
ポセイドンには自由に暴れてもらい、敵の注意を惹いてもらう。
そこに樹海の迷路にて敵を攪乱しつつ潜んでいた戦車で攻撃し、敵の混乱を誘う。
これで敵に、かなりの痛手を与えられる筈だ。
続いて、第二防衛ラインでは、アフロディテらによる一斉砲撃で敵を撃滅。
目減りした敵を俺が囮となり、旧市街に誘い込む。
そしてそこを、ハデスが迎え撃つ!
最後に我らが総大将について。
ゼウスには本陣にて、天使を使って各部隊に指示を送ってもらう。
この天使を使った通信が、俺たち最大の強みだ!
戦況を逐一ゼウスに報告すれば、戦況に応じて臨機応変に対処できる!
各員、抜かりなく頼む!
以上が、本作戦における説明と各布陣の役割についてだ。
質問はあるか?」
改めて、プロメテウスは皆に確認した。
どうやら誰の目にも迷いは無い様である。
「よし!」とプロメテウスは、深く息を吸い込んだ。
「これより、戦闘態勢に入る!
ゼウスは本陣にて待機!
各員は、それぞれの配置についてくれ!
俺はハデスと共に第二防衛ラインに向かう!
場合によっては、既に最前線で待機しているポセイドンの援護に行くかも知れん!
何かある時は天使を通じて連絡する様に!
以上だ。
ゼウス、頼む!」
一同、ゼウスに向かい、傾聴する。
「親愛なるオリンポスの同胞よ!
此度我らは! 未だかつてない試練に立ち向かう!
敵は勇者アトラス率いる兵一千!
だが! 何も臆する事は無い!
例え如何な英雄といえど、我が“雷霆”と、汝らの敵ではない!
いざ行かん! 自由を我らに――!!」
「「「「「「「「「「自由を我らに――!!!」」」」」」」」」」
ゼウスの号令により、オリンポス勢は作戦に突入した。
プロメテウスはハデスと共に第二防衛線へと向かった。
『敵は第一防衛ラインに入った様だ』
天使エリスを通じてゼウスからの通信が入った。
姿は女性なのに、声がゼウスなので非常に不気味である。
「了解! 引き続き、連絡を頼む!」
『了解した』
ゼウスからの通信を確認し、プロメテウスは最前線に目をやった。
「いよいよ開戦か……!
ポセイドンのヤツ……あまり無茶しなけりゃいいが……!」
「大丈夫じゃない?
ポーはあれでいて、引き際を心得てるからね」
「お兄ちゃんの教育の賜物か?」
「あはは……」
「おそらく敵が第一線を突破するのは半日。
いくら敵先鋒が速くても、本隊と切り離されれば軍としての機能は半減する。
如何にアトラスが強かろうが、足を止めざるを得ない。
その隙を、俺たちが突く!」
「……相変わらず、抜け目無い性格だねぇ」
「誉め言葉として受け取っておこう」
『伝令! 第一防衛ラインが突破された!!』
「なんだとっ!!?」
予想外の急報に、プロメテウスは動揺した。
「有り得ん!
いくらなんでも早過ぎる!!
いったい何が起こってるんだ!?」
『敵は樹海の迷路を打ち壊しながら直進している!』
「クソ! アトラスの突進力を甘く見ていた!
これで陽動も伏兵もパアだ!
しかも道を開かれたなら本隊との分断もできん!
ゼウス! 迎撃部隊は!?」
『既に砲撃を開始している!
だが、敵は竜ごと崖に張り付いて迫っている!
竜騎兵には殆ど攻撃が当たっていない!』
「なら迎撃部隊には歩兵部隊への攻撃に切り替えさせてくれ!
おそらく敵の狙いは崖を崩して登りやすくする為だろうからな!
チィ! アトラスめ!
あくまで真っ直ぐ進撃するつもりか……!
相変わらず愚直な野郎だ!
ハデスはここで待機してくれ!」
「ひとりで大丈夫かい?」
「ちょっと、挨拶してくる!」
プロメテウスは神馬アレイオンを駆け、アトラスを待ち伏せた。
(そろそろ来る頃か。
アトラスが俺を見たら食いつく筈だ。
地獄の遊園地に招待してやるぜ……!)
プロメテウスは、閉鎖された遊園地を地雷原に造り変えていた。
転んでもただでは起きない彼らしいトラップである。
そうこうしている内に、土煙が上がってきた。
(お出ましか!)
「アトラス!!」
アトラスの姿を捉え、大声で呼びかけるプロメテウス。
しかし、アトラスは彼を素通りした。
「なっ――――に…………!?」
(俺を……無視した……だとぅう……!?)
プロメテウスは唖然としていた。
敵先鋒が通り過ぎるのを、みすみす見逃していた。
(……一瞬目が合った。
目が合ったのに、俺を素通りした……!
俺は眼中に無いってのか!?
ええっ!? アトラスさんようっ!!?)
「ゼウス!! ハデスに伝令!!
作戦失敗! 敵に備えよ!!」
『了解した!』
連絡を終えると、プロメテウスは悔しそうに馬を駆けた。
「ハッ! 上等だ! クソ兄貴!!
この俺を無視した事!
骨の髄まで後悔させてやらア!!」
プロメテウスは頭を切り替えハデスの下に取って返した。
アトラスの竜騎兵は既にハデスとの交戦に入っていた。
プロメテウスは気付かれぬよう、潜んでいる工作部隊と合流した。
「少々予定が狂ったが、作戦通り決行する。
準備はできてるな?」
「はい! 問題ありません!」
隊員に確認を取り、まずは安堵するプロメテウス。
(後はどれだけハデスが粘れるかだ。
日が暮れれば、俺たちの優位になる……!)
プロメテウスは戦況を確認した。
睨み合うハデスとアトラス。
無手のハデスに対し、巨大な鉄塊を構えるアトラス。
両者の後ろに、それぞれ部下たちが半円陣を組んでいる。
(……たく! アトラスのヤツ。
一斉にかかれば蹴散らせるだろうに……!
これだから勇者さまって人種は……!)
そう思いながらも、プロメテウスは両者の戦いに魅入っていた。
無数の傷を見せるアトラスと、無傷のハデス。
しかし、実力は伯仲していた。
どうやら、“力”を封じている今のハデスとアトラスはほぼ互角らしい。
だが、アトラスの傷は、ここに至るまでにできたものだとわかった。
何故なら、ハデスの攻撃がまるで当たらないからである。
対するハデスは、アトラスの攻撃を避けきれず、受けに徹するしかなかった。
凄まじい肉体強度を誇る彼に大したダメージは無いものの、劣勢には変わりなかった。
(いくら強いといっても、ハデスは肉体が強いだけだ。
幾多の戦いをその身に刻んだアトラスに、経験の差で圧倒的に負けている!
だが、アトラスもまた、決定打を与えられないでいる!
最強の肉体を攻撃する度に自らが傷付くからだ!
だが、あの野郎……!
……愉しんでやがる!!)
プロメテウスの観戦する中、終始無言だったアトラスが口を開いた。
「何とも硬い男よ!!
お主、名は何という?」
戦意を以ってアトラスは問うた。
命を懸けるに足る、宿敵として。
「ハデス。
ゼウスの兄」
対してハデスは淡々と答えた。
普段と変わらない口調で。
「フヌワッハッハッハ!!
この俺を前にその涼しげな面構え!!
なんと肝の据わった男よ!!
我が愛刀を懸けるに! 相応しい強敵と見た!!」
巨大な鉄塊を構えなおすアトラス。
それをハデスは、頭をかきながら見ていた。
(剣だったのか……あの鉄の塊……)
プロメテウスは、兄の獲物を見た。
無骨な形状ながらも、材質のみを追及したと思しき鉄塊。
正に質実剛健なアトラスに相応しい武器といえよう。
「さあ! ハデスよ!!
先手はお主に譲ってやる!
何処からでも掛かって来い!!」
「じゃあ、お言葉に甘えて!」
先手を譲られ、ハデスは迷い無く敵の心臓を狙った。
しかし、アトラスの大剣に弾かれる。
構わずハデスが第二撃を放つも、いなされて横腹を切られた――。
かに思われたが、ハデスの硬さで大剣が折れた。
その隙を突こうとハデスが手を伸ばす――。
が、アトラスは見計らった様に大きく殴りつけた。
大ぶりの攻撃ゆえにハデスは避け切ったが、アトラスはそのまま地面を殴りつけた。
そして割れたハデスの足場を持ち上げ、彼方にへと投げ飛ばした。
「あ~れ~!」
予想外の展開に、プロメテウスは「な!」と声を出してしまった。
今ここで飛び出てアトラスをけん制するか。
それともハデスを捜しに向かうか。
彼の頭はパニくっていた。
「敵は退いた!!
ゆこう!! 我が盟友たちよ!!」
アトラスの号令で昂ぶる騎兵たち。
「退け! ひけええええ!!!」
(チクショウ! たったひとりで戦を制しやがって!
……これが、勇者アトラス!)
敵の勢いを止められないと見たプロメテウスは、潜んでいた部隊を本陣まで撤退させた。
アトラスは放棄された街を占領し、本隊の到着を待った。
この日はここに陣を張り、明朝決戦に臨む様である。
ティタン勢は、既に勝利したかの様に騒いでいた。
しかし、アトラスの激励に感動し、明日に備え寝静まった。
「ここからが本番だ!」
最初に気付いたのは、やはりアトラスだった。
だがもう遅い。
見渡す限り、一面火の海に包まれていた。
プロメテウスの火計だった。
わざと敵に街を占拠させ、燃えやすい様に仕込んでいたのである。
「火を消せ!!
動ける者は怪我人を!!」
アトラスは混乱する中、それでも的確な指示を出していた。
「おのれえええええええええ!!!」
アトラスの咆哮を、満足そうにひとつの影が聞いていた。
『ご苦労、プロメテウス!』
本陣に戻ったプロメテウスをゼウスが通信で労った。
「まさか、こんなに早くこの策を使う事になるとはな……」
『確かに敵も予想以上に強い。
だが、概ねお前の予想通りだ!
正に予言者の如き働きぶりだった!』
「……よしてくれ。
俺は読み切れなかった……!
勇者アトラスを、わかっていなかった……!」
プロメテウスは悔しそうに俯いた。
しかし、キッと顔を上げる。
「もう出し惜しみは無しだ!
ゼウス! 頼む!!」
『よし! 浮上する!!』
山全体に響き渡る轟音。
山頂の本陣から、巨大な円盤状の要塞が姿を現した。
その巨大な偉容を見せつけ、空へと浮かび上がる。
火計を鎮静化していたティタン勢は、突然現れた未知なる脅威に戦意を喪失していた。
「ぬをおおおおおおおおおおおお!!!」
しかし、唯一人。
この状況で尚も立ち向かう者がいた。
歴戦の勇者アトラスである。
アトラスは竜に跨ると、壮健の騎兵を率いて空へと敵を追った。
「打てえええええ!!!」
円盤に搭載された大砲で、オリンポスも迎撃する。
華麗に砲撃を避けていく彼らだが、ひとり、またひとりと墜落していく。
「遮蔽物の無い空中戦だ!
狙い続ければ必ず落とせる!!」
プロメテウスの言う通り、ついにはアトラス一人となった。
だが、アトラスは竜の上に立ち上がると、竜を踏み台に円盤に侵入した。
「クソオ! バケモンか!? アイツは!!」
プロメテウスはゼウスのいる指令室へと向かった。
(おそらくヤツが目指すはゼウスの首ただ一つ!
この艦は全市民を収容できる程広大だが、
アトラスは恐ろしい程に勘が良い!
迷わずゼウスに辿り着くだろう!)
プロメテウスは指令室に着いた。
だが、それをすぐに後悔した。
「案内ご苦労……! 弟よ……!」
「お! 俺に付いて来たのか……!?」
なんとアトラスはプロメテウスに気取られずに付いて来ていた。
(クソ! その図体でどうやって!?)
アトラスに目をやると、身体中傷だらけだった。
そしてその足元には、大穴が開いていた。
「そうか! 俺の気配を察し、下の階から追ってきたのか!」
アトラスは無言。
最早、そんな問答は無意味だった。
「汝がアトラスか。
成る程、確かにティタン随一の武将の様だ」
ゼウスは讃える様に、敵に語り掛けた。
アトラスは未だ無言を貫く。
「―平伏せ!―
―アトラース!―」
ゼウスは“言霊”を以って命じた。
しかし、アトラスは微動だにしなかった。
ゼウスはそれに驚き、“威光”を纏った。
「―今一度命ずる!―
―我に従え!―
―アトラースよ!―」
ゼウスの“威光”と“言霊”に悲痛な顔を浮かべるアトラス。
顔中に汗をかき、全身が軋むように震えている。
確実に効いている。
しかし、それでも尚、アトラスは従わなかった。
「断る!!
俺が仕えるのはクロノス様だけだ!!
貴様になぞ! 頭は下げん!!」
獣の様に獰猛な声で、アトラスは叫んだ。
しかしその振る舞いは、人の極地に他ならなかった。
本能さえも超えた、“王”への忠義。
その心意気に、ゼウスは奮えた。
「見事なり! 勇者アトラスよ!!
汝こそ、真の英雄に他ならぬ!
ならば我は、最大の敬意を以って遇しよう!
叡智よ!!」
ゼウスの呼びかけに応じ、アテナが前に出た。
アトラスを前に槍を構える。
「アテナは我が“力”の要!
それを討たれたなら、最早我に勝機は無し!
潔く、この首差し出そう――」
アトラスは無言で頷いた。
そしてアテナを睨みつける。
ゼウスの後ろに控えたプロメテウスは、黙って見守るしかなかった。
「ぬらっ!!」
初撃はアトラスが先だった。
要塞を震わせる程の豪拳。
だが、それを最小限の動きでいなし、反撃するアテナ。
更にそれを受け流し、応戦するアトラス。
流れる様な攻防の末、激しい激突で両者が弾かれる。
「ほう?
アテナは叡智の結晶。
人類が研鑽してきた全ての技を再現できる。
それをその身一つで渡り合うとは……!
敵ながら、なんと見事な漢か!!」
敵の賞賛には目もくれず、アトラスはアテナを攻撃した。
互いに譲らぬ攻めと攻め。
しかし徐々に、アトラスの攻撃が鈍ってきた。
(……当然だ。
アトラスはここまで来るのにかなり消耗している筈だ。
にも拘わらず、アテナを相手にここまで戦える方が奇跡だろう。
だが、既に決着はついた。
アテナは、アトラスの武技すらも使えるんだからな……)
プロメテウスの思う通り、勝敗の行方は誰の目から見ても明らかだった。
しかし――。
「ぬをおおおおおおおおおおおお!!!」
「――――――――!!?」
アテナが突き飛ばされた。
全員が驚愕する。
彼女を突き飛ばしたアトラスさえも。
「をををををををををををっ!!!!」
それでも、アトラスは止まらない。
戸惑うゼウスにその剛腕を振るう。
ゼウスは目を見開いたまま死を覚悟した。
「うぐっ!!?」
だが、膝をついたのはアトラスだった。
背中に、アテナの槍が刺さっていた。
「ぬを……!」
アトラスはゼウスの首を絞めつけるも、やがて力尽きて倒れた。
そこでようやく、ゼウス以下全員が理解した。
終わったと。
「はあ……! はあ……! はあ……!」
ゼウスは生まれて初めて、殺される恐怖を味わい震え上がった。
「……アトラス……!
恐ろしい敵だった……!」
しかし己を奮い立たせ、“威光”を纏った。
そして、天使を通じて皆に知らしめた。
『勇者アトラス! 討ち取ったり!!』
こうしてオリンポスは、最大の難敵アトラスに打ち勝った。