第36話 「オリンポスの為に―!」
オリンポスの遥か上空、ゼウスは光の如き速さで帰還を果たした。
「彼奴らは境界を越えた様だ。
既に橋を架け終え、こちらに向かっている」
ゼウスの指差す方角に、騎乗した兵団が見える。
その数、およそ二百。
まだ人類の総数がそれ程多くなかったこの時代において、それはかなりの規模だった。
そして、敵は大きな肉体を誇るティタン族である。
遠目からも、その偉容が確認できる。
「ゼウス、馬を一頭用意してくれ!
それからできるだけ派手に、奴らを脅してやれ!
奴らが止まったら後は任せろ!
お前は要塞で大将らしく構えていればいい!」
「ああ、任せた!」
「おう!」とプロメテウスは勇んだ。
「汝の勇気を讃え、賜そう!
賢く何物にも臆さぬ、賢者に相応しき担い手を――!」
ゼウスに呼応して、叡智が光の輪を発動させる。
複数の輪が高速回転し、光から一頭の馬を創造した。
「出でよ!! 神馬アレイオン――!!」
「――――――――――ッ!!!」
その嘶きは、鐘の音の様に、重く響き渡った。
「は! こりゃあ良い!!
頼むぜ!? 相棒!!」
「――――ッ!」
言葉を理解してるのか、プロメテウスの声に頷いた。
「はは! 俺の言葉がわかるのか!?
なら! ちょいと無茶してもいいよなあ!!?」
「―――――ッ!!」
アレイオンは「任せろ!」と答えたかの様に嘶いた。
ゼウスに降ろされ、大地を踏み蹴り、加速する。
「いっけえええええ!! ゼウス――――――――!!!」
友の激励に、デウスは大きく光を纏った。
そしてその身を何倍にも増大させた。
「な! なんだ!? あれは……人!?
いや!? “神”……!?」
巨大な闘神の姿となったゼウスは、ティタンの軍勢の前に迫った。
「―我こそはオリンポスの盟主ゼウスである―
―我に手向かうのであれば、天の裁きを受けるであろう―」
凄まじい霹靂を放ち、疾走する軍馬を後退させる雷光の化身。
その圧倒的存在に気圧され、ティタンの騎馬兵たちは震え上がった。
その“威光”に、“言霊”に、戦慄している。
「臆するでぬああああああああいいいいい!!!」
しかし唯一人、畏れを跳ね除けた人物がいた。
「我が名はクレイオス!!
黄金王クロノス陛下の命により!
逆賊ゼウスを討ち取りに参った!
“王”の名の下に! 貴様を討つ!!」
クレイオスの覇気に、ゼウスは「ほう?」と感心した。
「―面白い―
―我が“威光”を畏れぬなら!―
―この首!―
―取ってみるが良い!!―」
そう挑発して、ゼウスは本陣に戻った。
兵たちは「逃げた!」と安堵したが、クレイオスは渋い顔で「侮るな!」と一喝した。
(流石はクレイオスのオッサン……!
やはり並みの将では無さそうだ……!)
プロメテウスは、クレイオスの顔が見える所まで駆け寄った。
相手に自分の姿を晒す為である。
「プロメテウス……!」
「クレイオス……!」
両者は互いに睨み合った。
双方の呟きも、その表情までもは判然としない。
しかし両者とも、譲る気はないとわかっていた。
(問答は無用、か……。
いいぜ?
来いよ! オッサン!!
俺の軍略がどこまで通じるか!
試させてもらおう!!)
「行くぞ! アレイオン!!
敵から離れ過ぎるなよ!!」
「―――――――ッ!!」
神馬アレイオンを駆け、プロメテウスは敵を誘い込んだ。
敵が見惚れる程に美しい神馬は、格好の目印となった。
プロメテウスはデメテルお手製のジャングルに誘導し敵兵を攪乱。
度々クレイオスの前に姿を現し、敢て馬が通りやすい道を走らせた。
そして開けた崖の下にて、追い詰めれられたかの様に対峙した。
「は! 追い詰めたぞ!? 小僧!!」
「さて、それはどっちかな!?」
「なにィ!!?」
「打てええええええ!!!」
プロメテウスが剣を掲げると、刀身に光が照らされ合図となった。
そして崖の上から、無数の砲丸が降り注いだ。
敵騎馬隊は大混乱した。
プロメテウスが、崖沿いに逃げた為、部隊は厚みを失い、もろに砲撃の餌食となった。
(高い統率力が仇となったな! クレイオス!)
「おのれえええええええええ!!!」
大きな騎兵が迫って来た。
大将首、クレイオスである。
「出番だぜ!! ダチ公!!」
叫び、プロメテウスは剣を降ろした。
砲弾が止み、土煙が引いてゆく。
「待ちくたびれたぜ!! ダチ公!!!」
それを合図にティタン族より巨大な大男が、崖から飛び降り大地を震わせた。
無敵の矛引っ提げて。
「な!? な!? な!? な!? な!!?」
「ティタンの雑魚共!!
テメエら全員!!
このポセイドン様がブチかましてやんぜえええええ!!!」
そこからはポセイドンの独壇場だった。
砲撃で馬を潰された騎兵は重装備が仇となり、巨大な矛の餌食となった。
「脱げ!! 鎧を脱いで後退せよ!!」
クレイオスの機転で敵兵は撤退するが、既に退路を塞いでいたプロメテウスの伏兵に阻まれた。
「くぬうぅ……!! おのれえええええええ!!!」
クレイオスは、無念と言わんばかりに投降した。
「勝ったぜええええええええイ!!!」
ポセイドンの勝鬨は、オリンポス全土に知れ渡った。
全敵兵は拘束され、一人も余さずゼウスの下に連行された。
敗軍の将クレイオスは、“威光”を纏ったゼウスの前につき出された。
「ぐぬう……!」
「―クレイオスよ―」
ゼウスは威厳を湛え、敵将を睨みつけた。
クレイオスの顔が苦痛に歪む。
それは、偉大なる者を畏れる目だった。
「―我に従え―」
「うっ!? くうっ!!」
ゼウスの“言霊”に、クレイオスは抗いながらも平伏した。
それを見るゼウスの顔には失望の色があった。
所詮は“威光”に従う獣であるかと。
「……ひとつだけ! お願いがござる……!」
「―申せ―」
「儂はどうなっても構わぬ……!
その代わり! 兵たちの命ばかりは!!
……どうか……!」
ゼウスの眉が一瞬動いた。
そのままクレイオスに近づくと、“威光”を放ったまま問うた。
「―汝は、死する覚悟があるのだな?―」
「……無論!
兵の命を預かる将として! 恥じぬ最期を迎えたい!!」
“威光”に圧されつつも、クレイオスは毅然と言い放った。
「―ならばティタンを捨てよ―
―汝らは今、黄金種としての生を終えた―」
「ああ……! あああああああああああああああああ!!!」
クレイオス以下二百ばかりの兵は、この世の終わりを告げる様に嘆き悲しんだ。
「ここが、お前たちの宿舎だ」
投降したクレイオスらの収容は、プロメテウスが買って出た。
プロメテウスは度々声をかけたが、クレイオスは無反応だった。
(……覇気が無い。
まるで魂を抜かれたみたいだ……。
……無理も無い。
俺もクロノスと決別した時、何とも言えない喪失感が身を襲った。
クロノスの声に救われたから、すぐに俺は自分を取り戻せたが……。
……オッサン……!)
プロメテウスはクレイオスの顔を見つめた。
中庸な人物ではあったが、厳つく声の大きな気概ある武将だった。
それがまるで、何十年も老けてしまった様に見えた。
「悪い様にはしない……!
オリンポスは決して争いを求めてはいない……!
だから今は……!
……耐えてくれ……!!」
プロメテウスは涙を堪えていた。
ヒトを“王”から引き離す事が、これ程までに残酷な事かと。
「……へいか……おゆるしを……」
(―――――――ッ!?)
プロメテウスは逃げた。
とても見ていられなかった。
彼らの気持ちがわかるから。
これから自分が背負う業から、目を背けたくなった。
「畜生!! クソが!!」
プロメテウスは人知れず泣いていた。
真っ先に思い浮かんだのは、妻の顔だった。
(……クリュ……!
俺は……!
お前にも……!
こんなことをしなきゃならんのか!?
人類の為だと……!
そうやって……! お前を傷つけるのか……!?)
プロメテウスは何度も地面を殴りつけた。
血が滲み痛みが走る。
だが、心の痛みは紛れない。
(……ゼウスよ。
これがお前が、俺たちが背負おうとしているものなのか……?
人を、人類を、生きながらに生まれ変わらせる為に……!)
プロメテウスは強く地面を殴った。
何かと決別する為に。
(ならば、俺はもう逃げられない……!
他の誰かに、こんな役目を押し付けられない……!
……覚悟しろ! プロメテウス……!
ゼウスと共に! オリンポスの為に――!!)
彼の初陣は華々しい勝利を飾ったが、その心中は苦々しい幕引きだった。




