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ハデス ~最後のティタノマキア~  作者: 底なしコップ
第四部 ティタノマキア
35/64

第35話 「新たなる盟約」

 天より神が降り立った。

 空を仰ぎ跪く彼らには、そう見えたに違いない。

 海の一族ポントス。

 遥か昔、“王”が諸国を遊行した折、大海へと思いを馳せた。

 その時仕えていた従者が、“王”の無聊を慰める為に海に残ったという。

 それが海の老人と呼ばれる三人の従者たち。

 彼らは“王”から離れ過ぎた為、年と共に衰えたという。

 「酷い話だ」とゼウスは語ったが、実際彼らは幸せだったという。

 “王”の代わりに大海を臨む者として、彼らは誇り高く生きた。


「おお! “神”よ――!!」


 海の民はゼウスをそう呼んだ。

 十四の使徒を携えた指導者を。

 しかしゼウスは、厳格な声で諫めた。


「我らは“神”に非ず。

 そして汝らの父祖が慕いし“クロノス”もまた、“神”に非ず――」


 ゼウスの言葉に彼らは驚愕した。

 「あなたこそ、あの“お方”ではないのか!?」と。

 ゼウスは、纏っていた“威光”を解いた。


「これが、我ら本来の姿だ。

 もう汝らは、古き掟に縛られる事は無い」

「な……! なぜその事を!?」


 長らしき人物は、口を震わせて言った。


「掟に縛られて幾星霜……。

 我らポントスは、いつの日か“あのお方”の元へ帰る事を夢見ていた……」


 長の言葉に、若い衆たちも目に涙を溜めていた。

 それを見て、ゼウスの拳は震えていた。


「名前も知らぬ見たことも無い者の為に、汝らは待っていたというのか?」

「では……! 我らはどうすれば!?」

「人として生きよ!

 古き掟に縛られるのみの(ヒト)ではなく!

 自ら考え! 己の意志で歩む(ひと)として!

 汝らが望むなら! 我らは同胞(とも)として迎え入れよう!」


 ゼウスの誘いに、彼らは困惑していた。

 だが、そんな事は百も承知だった。

 ゼウスは、見透かした様に続けた。


「しかし汝らが、父祖の主の元へ帰りたいと願うなら止めはせぬ。

 だが、心して欲しい。

 その瞬間、汝らは獣と化し、誇りを失うであろう――」


 「おおおおおおお……!」と、長は驚嘆の声を上げた。

 ゼウスは事前に言っていた。

 海の一族(ポントス)は、既に“王”の支配から解き放たれた世代であると。

 そして海の老人たちが子孫に残した古き掟に疑問を抱いていると。


「……では! 我らはもう自由だと言われるのか!?」

「そうだ。

 汝らを縛るものは最早ない。

 この地に留まりたいのならそれもいい。

 だが、豊かなる緑に憧れるのなら、我らが叡智を分け与えよう」

「おおおおおおおおおお!!!」


 彼らは歓喜の叫びを上げた。

 だが、それは全員ではなかった。

 ゼウスの提案を望まない者も大勢いた。

 ゼウスは彼らひとりひとりと対話した。

 その上で、自らに選ばせた。

 自らの意志で選んでこそ、人であると。

 意外な事に、賛同してくれたのは年長者ばかりだった。

 ゼウスは彼らをすぐに引き離そうとはしなかった。

 心の準備ができたなら、いつでも迎え入れると。

 その寛容さに、賛同者たちは感激していた。

 そしてゼウスは、次なる試練に向かった。


(……ゼウス)


 空を飛翔する中、プロメテウスは友の心中を思った。


(次はいよいよ海洋都市オケアニデス……。

 ティタンの重鎮、オケアノスが治める土地。

 ゼウスたちを受け入れ、そして追い出した街……。

 メティスの、生まれ故郷……)


 ゼウスに秘密を打ち明けられて以来、プロメテウスはゼウスの過去を色々と聞いていた。

 その中でも、これから向かう先は、ゼウスにとって因縁の場所でもある。


(……海の一族(ポントス)には“威光”無しで説得を試みたが、今回ばかりはそうも言ってられない……。

 “王”の支配下(ティタン)である内は、同じく“威光”ありきで交渉する他は無い……!)


 プロメテウスは歯がゆさを飲み込み、ゼウスを信じて見守るしかない。

 そしてゼウスは、“威光”を放って降臨した。


「―領主ステュクスよ―」

(ステュクス?

 領主はオケアノスじゃないのか!?)


 ゼウスの“言霊”は遠くにまで響き及び、城から主だった者たちが集まって来た。

 その中に、年若い高貴そうな女性が走って来た。

 見たところ、彼女がステュクスの様である。

 ステュクスは口に手を当て驚いた後、敬意を以ってゼウスに問うた。


「貴方様は“神”であらせられますか?」

「我が名はゼウス。

 断じて“神”などでは無い――」


 ゼウスが“言霊”を使ったのは、彼女の名を呼んだ最初だけ。

 以降は敢て通常(・・)の声で語っていた。


「ですが、ゼウス様!

 (わたくし)が父より家督を継承したのはつい先日!

 この事はまだ、陛下でさえご存知無い筈です!」

「我が目は全てを見通す。

 故に知っていた。

 汝の父が何故、隠居したのかも――」

「ま、まさか……!」

「―オーケアノス―」


 ゼウスは“言霊”を以ってその名を呼んだ。

 彼の者を必ず呼び出す為に、本来の発音によって。


「……ゼウス殿」

「……オケアノスさん」


 ゼウスは武装を解いてオケアノスの前に降りた。

 コイオスと同じぐらいの体格の、壮年のティタン族。

 オケアノスは悲痛な面持ちでゼウスの前に跪いた。


「……すまなかった!」


 ただ一言、オケアノスはそう詫びた。

 ゼウスは一瞬目を緩ませたが、キッと顔を引き締めた。

 そして、上空にいたアテナを呼び出した。


「め……! メティス……!?

 ぜ、ゼウス殿!? これは……!?」

「……叡智(アテナ)

 彼女の、生まれ変わりです」

「なんと……!」


 動揺するオケアノスに、ゼウスは若干心配そうにするも、泰然とした指導者として態度を改めた。


「領主の父オケアノスよ!

 心して見よ!

 これが我が授かりし叡智である!」


 ゼウスはこれまでの経緯を叡智(アテナ)の力で見せた。

 自分たちが実験動物として生まれたこと。

 ハデスによって施設から逃げ延びたこと。

 メティスと出会い、この地に匿われたこと。

 そして、瘴気の問題で追われたこと。

 その先は、プロメテウスもよく知る所である。

 全てが終わると、オケアノスは神妙な顔で考え込んだ。

 そして答えが出ると、現領主である娘を前に立たせた。


「ゼウス殿。

 今の領主はステュクスです。

 ならば我ら一同、ステュクスの意に従いましょう!」


 オケアノス以下腹心たちも、一様に頷いた。

 父に一族の重責を負わされた娘ステュクスだが、毅然とゼウスに向き合った。


「ゼウス様。

 我らオケアニデスは、あなた方と盟約を結びましょう!」


 突然の言葉にプロメテウスらは動揺したが、ゼウスだけは驚かなかった。

 更にゼウスは、彼女に問いかけた。


「何故我らに味方するのか?」


 問われて一瞬言葉に詰まるも、ステュクスは呼吸を整えて返答した。


「我らは償いたいのです……。

 “王”に、そして“御子たち(あなたがた)”に……。

 我らティタンは長らく“王”に仕える内に、腐敗してゆきました……。

 全ては“王”の為にと偽り、保身の為に道を外れる事を何とも思わぬ様になってしまった……。

 我が父オケアノスは、その事を常に憂いておりました。

 かつての盟友コイオスと袂を別ち、“王”から遠ざかる事で、真の忠誠は斯く在るべきかと……!

 そんな折、妹メティスが貴方がたを連れて来た時、(わたくし)達は運命を感じました。

 今こそ、真の忠誠が試されると……!

 しかし、我らは自らの保身の為に、貴方がたを追いやりました……。

 父は自責の念に駆られ、自ら領主を辞されました……。

 (わたくし)は、後を継ぐ者として責任を負わねばなりません……!

 ゼウス様、何卒我らが非礼をお許しください!

 そしてどうか、我らに償わせて下さい!

 “王”にも“御子”にも縛られぬ! 人として……!

 我らを導いて下さい……!!」


 ステュクスは、ゼウスから目を逸らさず嘆願した。

 その目には迷いも畏れもあった。


「よく、決心してくれた――!」


 だからこそ、ゼウスは受け入れた。

 迷い畏れるからこそ、人であると。


「実の所、我らもあなた方に謝りたかった……。

 メティスの、あなたの妹の助けが無ければ、我らは行く当ても無く途方に暮れていただろう。

 にも拘わらず、我らはこの街に厄災を招いてしまった……。

 だから我らに許しを乞うというなら、我らの謝罪も受け入れて欲しい……!

 そしてどうか互いに許し合い、対等な立場において盟約を結びたい!

 それがヒトが、人として歩むべき、新たな道であると考える!」


 ゼウスは握手を求めた。

 既に“威光”も“御子”も無い、ただの一人の人間として。


「……ゼウス様!

 あなたこそ、我らが求めていた次代の王なのかもしれません。

 ですが、その考えも古いのでしょうか?」

「人の意志は自由です。

 ですが私は、全ての人が平等であって欲しいと願っています……!」


 いつしかゼウスは素に戻っていた。

 彼らの前では飾らなくてもいいと。

 もう彼らに、“威光”は必要ないと、そう認めていた。


「まあ、それは……眩しいですね……!」


 そして二人の指導者は握手を交わした。

 ここに有史以来初となる、反ティタン同盟が結ばれた。


(新たなる盟約、か。

 今回、俺の出番は無かったな。

 本当に見守るだけで終わらせやがって……。

 やるじゃねえか、ゼウス!)


 プロメテウスは満更でも無さそうに調印式を眺めていた。


「プロメテウス殿とお見受けする」

「オケアノス卿」


 プロメテウスは少し改まった。


「卿はよしてくだされ。

 今の私は、ただのしがない隠居の身ゆえ」

「あ、これは失礼……」


 プロメテウスは少しバツが悪そうに謝った。


「貴殿とは一度話をしたかった。

 かつての我が友コイオスの事でな」


 調印式の後、プロメテウスはオケアノスの屋敷に招かれた。

 コイオスとは違い、小さく質素な家屋だった。

 卓上にはこの都市自慢の特産品が並べられ、中々の持て成しだった。

 プロメテウスが一通り嗜んだ後、オケアノスは少し目線を上げて切り出した。


「貴殿はコイオスに良い感情を持っておらぬやもしれんが、

 かつての友は真面目でハツラツとした若者であった。

 陛下の覚えめでたく傍に仕え、日々民の事を思い、国の為に尽くしていた」

(ふうん……。

 あのオッサンにも、そんな時代があったのか。

 ……まあ、当たり前か)


 オケアノスは懐かしそう語っていたが、少し俯き加減で言葉を紡いだ。


「だが、その行き過ぎた忠誠心が、あの様な事態を招いた……。

 私は……コイオスの凶行を知りながら、止める事ができなかった……!

 貴殿の様に、陛下にお伝えする勇気も無かったのだ……!

 それで何が臣であろう……!?

 私には、陛下にお仕えする資格も、民を率いる資格も無い……。

 だから、娘に託した……。

 私の様になるなと……。

 無責任な親であろう? 笑って下され……」


 プロメテウスはポリっと頬をかき、溜息交じりに言った。


「笑えませんな。

 己一人で泥を被り、我が子に出来うる限りの教育を施し、

 後を任せた父の覚悟を、誰が笑えましょう?」

「プロメテウス殿……」

「今後も娘に代わって全ての責任を背負われるおつもりか判りませんがね。

 そういうのは託したとは言いません」

「……では、何と?」

「親バカって、言うんですぜ?」


 プロメテウスは、少し悪びれて言った。

 話が終わり、オケアノスは胸のつかえが取れた様だった。

 だが、プロメテウスは一つだけ確認したかった。


「しかし、オケアノス殿。

 あなた程の人格者が、“王”を裏切れますか?

 “威光”とは別に、人としての忠誠心もある筈だ」


 彼の問いに、オケアノスは決意を以って返した。


「陛下の傍を離れる事を、私は裏切りとは捉えておらぬ!

 “王”をお諫めしてこそ、真の忠臣たらんと!」


 語気が強かったのは、割り切れぬが故であろうか。

 その苦悩をプロメテウスは痛い程わかっていた。


「それが聞ければ満足です。

 あなたの様な方がティタンにいて、俺も嬉しいです」

「プロメテウス殿。

 ティタンの中にも、我らと同じ考えの者もおる筈だ。

 今はまだ無理かも知れぬが、いつかまた。

 今度こそ自分の意志で、クロノス様にお仕えしたい……!」

「ああ、そうですね……!

 そういう事ならゼウスも納得してくれるでしょうが……。

 ひとまず内緒にしておきましょう」


 プロメテウスは、いたずらっぽく指を立てた。


「ハハハ……これはこれは……!

 では、この事は秘密ということで!」

(そう、“王”でなくともクロノスは魅力的な王さまだ。

 多分全てが終わり、ゼウスが赦すのなら、俺はやっぱりあの方に仕えたい……。

 そう思う事さえ、間違っているんだろうか?

 ゼウスが言う、ただの(ヒト)なのだろうか?

 俺は正直そこまでは思わない……。

 そして、そこを模索しなければ、二度とクロノスには仕えられない……。

 多分、ゼウスは……クロノスを殺すだろう……。

 それが唯一、人を自由にする道だと信じて……。

 ……このままでいいのか?

 俺は……本当はどうするべきだろうか……?)


「―同胞(とも)よ―」


 ゼウスの言霊が響いた。

 緊急の要件であろう。


「―ティタンが、攻めてきた―」


 プロメテウスは、急いで外に飛び出した。

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