第32話 「全知全能」
ゼウスに乞われ、彼をメティスの墓前まで運んだプロメテウスたち。
辿り着くと、ゼウスはポセイドンの肩から腕を離した。
よろけるゼウスを心配する一同だったが、無言で制され、ただただ見守っていた。
「……みんな」
ゼウスは倒れそうな身体を無理矢理奮い立たせ、殺された同胞の眠る場所を目で追っていった。
「足の速いケル……。
引っ込み思案のモロス……。
生真面目なタナトス……。
のんびり屋のヒュプノス……。
占い好きのオネイロス……。
意地っ張りなモモス。
頑張り屋のオイジュス……。
義理堅かったネメシス……。
慎重なアパテ……。
ちゃっかり者のピロテス。
痩せっぽちのゲラス……。
お転婆のエリス……。
空想好きなアテ……。
みんな優しくて、気のいい兄弟だった……。
みんなそれぞれ、名前ある人間だった……。
化物なんかじゃない……!
……それをあいつらは! 当然の様に切り裂いた!
首を刎ね! 手足を切り落とし! 内臓を引きずり出した!
ただ運びやすい様に! 何の罪悪感も無く! それが正しい行いだと!
それが“王”の為になると盲信して……!
外道に堕ちる事も厭わない狂信者たちに……!
みんな、殺されてしまった……!!」
「ゼウス……お前……何でそれを……!?」
ゼウスは背を向けたまま、顔を上げた。
「……見たんだ。
“神の知恵”の一端を……。
あれは……無限にも等しいこの世界の歴史そのもの……」
「世界の歴史!?
それが“神の知恵”だと!?」
「うぅっ……!!」
「ゼウス!!?」
吐血し、息を荒くするゼウス。
皆駆け寄ろうとするが、足が止まる。
ゼウスの全身から雷が迸り、行く手を阻んだ。
雷は徐々に激しさを増し、メティスを地中から掘り起こした。
「ゼウス!? お前、何を!?」
ゼウスは振り向かず、両手を広げた。
宙に浮かぶメティスを、天に捧げる様に仰ぐ。
朽ちかけていた肉体に、生命の息吹が吹き込まれてゆく。
「メティスよ! 僕を導いてくれ!
もう二度と奪われぬよう!
我に、叡智を――!!」
一面光に包まれ、そして“彼女”は再び産声をあげた。
「――――――――――――――――ッ!!」
それは、鬨の声だった。
聞いた瞬間に認識した。
彼女は叡智。
ゼウスに代わり、“神の知恵”の受け皿として誕生した、メティスの生まれ変わり。
何も告げられずとも、そう理解できた。
さも、太古より運命られていた理の様に。
「アテナよ――」
ゼウスは彼女の名を呼んだ。
誕生と同時に完全武装した、神々しい女性の姿をした存在。
それに、何かを求める様に。
「我に武具を!」
ゼウスの呼びかけに呼応し、アテナから幾つもの光の輪が発生した。
そしてゼウスの全身が光り輝き、瞬く間に武具甲冑を身に纏った。
それは、あまりにも神々しい光景だった。
「行こう! 我が同志達よ――!!」
彼がそういうと、墓標から次々と遺体が浮上し、その姿を変えていった。
醜く歪んだ肉体から翼が生え、美しい天使の如き姿へと昇華した。
それを呆然と見入っていたプロメテウス達も、一同に浮かび上がった。
ここでようやく、プロメテウスが我に返った。
「ゼウス!? いったい何を!?」
「君らにも見て欲しい。
度し難い、ヒトの宿命を――」
ゼウスがそう告げると、凄まじい速度で飛翔した。
(……何て力だ!
ハデスさえも連れてきてる……!
どこに連れていく気だ?
……まさか!)
ほんの数秒。
馬で二日はかかる地点で、ゼウスは止まった。
そこには、大勢の兵隊が駐屯していた。
「コイオスの私兵だ。
是が非でも、我らを滅ぼしたいらしい」
ゼウスは予め知っていたかの様に言った。
「……それも、“神の知恵”で知ったのか?」
「ああ、そうだ。
我らと戦う事を、まだ“王”には報せていない様だ。
“王”への妄執と、醜い野心の為にね。
実に、浅ましい――」
ゼウスは心底見下げ果てた様に罵った。
(……なんて顔だ……!
これが、本当にあのゼウスなのか……!?)
「これ以上、あれを野放しにはできない――」
そう言うと、ゼウスは天使たちを引き連れ、彼らの前に降臨した。
天空から降り立った天使たちを目の当たりにし、兵士たちは驚嘆した。
「神」と、口々に囁き跪いた。
「神などでは無い!!」
騒めく兵たちを、ひとつの声が一喝した。
コイオスの声である。
「かっ神とはっ! 我らにとって唯一“原初の巨人”のみっ!
そしてっ! 我らが従うはっ!
“原初の巨人”より遣わされたっ! クロノス陛下唯一人っ!!
誰かは知らぬがっ! 神を騙る不届者めっ!!
射よっ!! 矢を射かけよっ!!」
兵たちに攻撃を命じるコイオス。
しかし、誰一人として動くことは無かった。
「よこせっ!」とコイオスが部下の弓を奪い取るが、手が震え狙いが定まらないでいた。
そして天使が近づくと、コイオスは怯える様に平伏した。
その様を見て、ゼウスは蔑む様に声を上げた。
「見るが良い――!
貴様らが今! 目を奪われている彼等こそ!
かつて貴様らが化物と蔑み蹂躙した! 我が同胞よ!
敬意を以って遇するが故に! 我が威光を授けてはいるが!
この姿こそ! 彼等が本来の姿!
貴様らが穢し歪める以前の! 真の姿だ!
解るか!? 真贋の見えぬ愚民共よ!
今こそ愚かなる貴様らに成り代わり!
我ら新たなる種族が!
次なる世界の創造主となる!!
滅せよ! 古き劣悪種よ――!!」
ゼウスが神槍を投げつけると、大地が引き裂かれた。
まるで境界線の如く延びる裂け目。
コイオスは這う這うの体で真っ先に逃げ出した。
遅れて逃げ出す者。
絶望して死を覚悟する者。
意味もわからず気絶する者。
あの気高き黄金種が、獣の様に狂い惑っていた。
「見ろ、プロメテウス。
これがヒトの本性だ!
所詮ヒトなど、知覚と本能に支配された畜生に過ぎん!」
ゼウスは失望と侮蔑を込めて、そう吐き捨てた。
(……天使たちに“王”の威光を授けた!?
そんな事まで出来るのか……!?
……しかし、まるで別人の様だ……!
……“神の知恵”の影響か!?
人間の負の部分を見過ぎたのか……!?
ゼウス……!!)
「帰ろう。
我らが居場所に――」
ゼウスを先頭に、一行は元来た場所へと飛翔した。
(……オリンポス?
俺たちの事か……?
ティタンと、完全に決別するのか?
ゼウス、お前は――)
答えの出ぬまま、彼らは山に戻った。
全員が降り立ったと同時に、ゼウスの武具は消えた。
そして、ゼウスは倒れ伏した。
「ゼウス!!」
皆、ゼウスに駆け寄った。
プロメテウスが声をかける。
「力を使い果たしたのか!?
……無茶しやがって!!」
ゼウスの様子を見る。
呼吸に乱れはない。
眠っている様だった。
「デメテル!」
「はい!」
プロメテウスが、デメテルに治癒を指示した。
しかし、彼女の手は遮られた。
「……アテナ?」
ゼウスが生み出した叡智。
彼女はゼウスが眠りについて尚、消えずにいた。
アテナだけではない。
天使として生まれ変わった十三人も、ゼウスを囲う様に佇んでいる。
「ちょ! 何を!?」
アテナはゼウスを抱えると、空へと飛んで行った。
天使たちも後に続く。
プロメテウスたちは、呆気に取られていた。
「……あの方角はゼウスの家か?
おそらく無事だろうが、とにかく見舞いに行こう……」
「ええ……」
プロメテウスは、端的にそう言った。
彼自身、頭の中がまだ整理出来ないでいた。
取り敢えず、一同はゼウスのもとに向かった。
家に着くと、十三の天使が家の周りを囲っていた。
まるで主を守っている様だった。
一同は家に入ったが、ここにきて問題が発生した。
「…………」
「…………」
アテナがゼウスの寝室の前で、通せんぼしているのだ。
現在ヘラと睨み合っている。
「通して下さい!」
「…………」
アテナは微動だにしない。
まるで物言わぬ人形の様である。
「私はあの人の妻です!
そこをどいて下さい!!」
「…………」
声を荒げるヘラを前に、一切動じないアテナ。
彼女は岩の様に不動を貫いている。
「この……!」
「よせ!」
ついに手を上げたヘラを、プロメテウスが止めた。
「俺が試す」と。
「アテナ、俺の言葉はわかるか?」
「…………」
アテナは頷いた。
どうやら言葉は理解できるらしい。
「ゼウスの無事を確認したいのだが、俺たちを通してくれないか?」
「…………」
アテナは扉を開けて身を引いた。
「ええええ!? 何で!?」
今のやりとりを、ヘラは納得出来ないでいた。
「多分だが、順を追って説明しないと応じてくれんのだろう。
まだ、生まれたてだからな」
「生まれたてって……」
ヘラは不服そうにアテナを見た。
背の高い、甲冑姿の女性。
その顔つきは凛として勇ましく、無言の覇気が感じられる。
とても今日、生まれたばかりだとは思えない。
「ええい! もういいです!」
ヘラはプンプンしながら夫を介抱した。
ゼウスは無事の様だった。
静かに寝息をたてている。
「……こうして見ると、やっぱりゼウス……だよな?」
「ええ……」
「今でも信じらんねーぜ。
ゼウスがあんなムズイこと喋ったっつーのがよー」
「お前……ひょっとして、
あの宣言の意味、わかって無いとか言わんよな?」
「あー? わーってるよ!
オレらの独立宣言だろォ!?
カンタンじゃねーか!」
ガシガシッ! といつもの様に相方の背中を叩いた。
しかし、プロメテウスは「はぁ……」と溜息をついた。
「あれは明らかな宣戦布告だ。
俺たちはティタンを認めない。
ティタンに代わって、新しい国を建国するってな」
「マジかよ!? 誰がんなコト言ったよ!?」
「お前の弟だよ! このおバカさんめ!!」
二人がもみ合っているとアテナに「しっ!」と注意された。
押し黙るコンビ。
「まあまあ、とにかく今はゼウスが起きるのを待とう。
何か考えがあっての事だと思うよ?
あれだけの事をしたんだからね」
ハデスの言葉を、プロメテウスは反芻した。
(……あれだけの事。
そう、あれは正に神の御業だった。
死者を蘇らせ、天使を率い、大地を穿ち、“王”の威光さえも思いのまま。
そして“神の知恵”。
おそらくその気になれば、森羅万象あらゆる知識を得られるのだろう……。
それは正に、全知全能――)
プロメテウスはゼウスを見た。
まだあどけなさが残る、この華奢な青年を。
「確かに、あの時のゼウスは凄かった。
あれ程の力を振るえば、おそらく宣言通りにティタンを倒せるだろう。
だが、倒してどうする?
俺たちは別に、戦いたい訳じゃなかったろう?
……ゼウスが起きたら話し合おう!
こいつなら、きっとわかってくれる!」
プロメテウスの言葉に、一同は力強く頷いた。
しかし――。
「僕は戦うよ」
ゼウスは横になったまま、そう宣言した。
一同耳を疑った。
だが、ゼウスの声に迷いは無かった。
「黄金時代を、終わらせる――!」




