第30話 「助けてくれ!!」
※鬱回注意!
ティタンの重鎮コイオスによる調査は終わった。
結果、危険は無いとの事で、ゼウスたちはひとまず安堵した。
コイオスは報告の為、兵を引き揚げた。
(……順調過ぎる。
不気味なぐらいだ。
俺の考え過ぎだったのか?
単にコイオスの嫌がらせってだけだったのか?
だとしたら、ヤツも満足だろう。
観光事業はご破算で、暇を持て余した元ティタンの連中は不満タラタラ。
おまけに折角稼いだ資産も殆ど使い果たしてしまった。
……まぁ、半分は自業自得だが。
でも、それもすぐに回収できる。
なんたってここは、史上初のレジャーパークだからな!
遊びがそのままビジネスに繋がる!
見てやがれ、コイオス!
都のやつらから、搾れるだけ搾り取ってやる!)
ひとり意気込むプロメテウスのもとに、急報が告げられた。
それは、元ティタン族の三人が行方不明との報せだった。
(……あのオッサン三人組か。
以前俺と口喧嘩した連中だ。
そういえば、ゼウスに疎まれてないかと言っていたな……。
――!
まさか……!?)
「すぐにゼウスたちを呼んでくれ!」
プロメテウスはゼウスたちを呼び出すと、急ぎある場所へと向かった。
そこは、歓楽街から隔離された隠された集落。
異形の人々が暮らす住処だった。
(いない!? いない! いない!!)
「クソッ!! やられた!!」
「どういうこと!?」
ゼウスが不安そうに尋ねた。
プロメテウスは口をワナワナと震えさせ、暗い声で答えた。
「……コイオスだ!
あの野郎……!
異形の人々を連れていきやがったんだ……!」
「でもどうやって!?
僕らが見送った時には何も……」
「……ティタン出身者から三人が行方知れずだそうだ。
それに……」
「プロメテウス! やはり馬車が三台なくなっている!!」
駆け付けたケイロンの言で裏が取れた。
「……間違いない!
コイオスの陰謀だ!!
奴は民の前で異形の人々を見世物にし!
不安を募らせ! ここを滅ぼすつもりだ!!」
プロメテウスの推測に、その場にいた全員が崩れ落ちた。
ポセイドンでさえ目に涙を浮かべ、ケイロンも脚を折って座り込んだ。
(……俺のせいだ!
俺がもっと奴の狙いを予測できていれば!
俺がもっとあの三人に向き合っていれば!
……こんな事には!!)
「……どうして?」
ゼウスが呟いた。
(……ゼウス?)
「……どうして? 僕の家族が……?
何で……? 何かしたというの……?」
いつになく低い声で呟く。
「……ゼウス?」
「……どうして? 彼らだけなの……?
僕たちの中で……? どうして彼らだけ……?」
この消え入りそうな声は、前に一度だけ聞いたことがあった。
メティスの墓前で、泣いていた時の声だ。
「……ゼウス!?」
「……行かなきゃ。
家族を……守らないと……」
立ち上がり、独り歩き始めるゼウス。
だがその足は、今にも折れてしまいそうだ。
「ゼウス!!」
そんなゼウスを彼は止めた。
もう間に合わないとわかっているからだ。
たとえ飛んで追いつけたにせよ、コイオスの兵隊に返り討ちにあうだろうと。
「アアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ゼウスは泣き出した。
よく泣く男だが、こんな泣き顔は見たことがなかった。
プロメテウスはゼウスを抱きしめた。
そんな顔は見たくは無いと。
その涙が尽きるまで、ずっとこうしていよう思った。
しかし、それは思ったよりも早く、終わりを迎えた。
背後から迫る絶対的な威圧感。
全身を無力化する悍ましい悪寒。
怒り憎しみ悲しみ憐れみ。
その全ての感情が、一瞬にして恐怖へと塗りつぶされる。
一歩、その存在が進む度に、身の毛がよだち、息が詰まる。
この恐ろしさを忘れていた。
忘れ得ない恐怖として蘇った。
更なる畏怖として本能に刻まれた。
「……ハデス――!?」
そこには、闇が佇んでいた。
“王”の威光にも打ち克ったプロメテウスでさえ、認識できない深い闇。
いや、実際には見えていた筈だった。
だが、彼のトラウマが、その全容を記憶する事を拒んだのだ。
そう古の魔女は、告げている。
「―可哀想に―」
全員身震いした。
その言葉は、憐れみからくる言葉である筈なのに、悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
「―ゼウス―」
名を呼ばれ、ゼウスはビクついたが、彼は兄に縋りついた。
まるで悪魔に魂を売り渡す様に。
「にい……さん……」
暗闇は黙って待っていた。
彼の言葉を。
弟が何を願うのかを。
「……彼らを!
家族を……!
……たす……け……て……!!」
闇はこちらを向いた。
「いいのか?」と、最後の確認を取るように。
プロメテウスは、選択を迫られた。
(……駄目だ。
“ハデス”を行かせたら……。
俺たちは……破滅する……)
「……行け!」
思考とは裏腹に、感情が、心が、叫び出す。
「あいつらを……! 取り戻してくれ……!
助けてくれ!! ハデス―――!!!」
闇は、光の速さで消え去った。
あれから、どれ程の時間が経ったのか。
常に思考を巡らせ、未来を予見するプロメテウスが、ただただ地面を見つめていた。
彼の傍にはケイロンの姿がある。
常であれば、彼を諫め導いてきたが、今回ばかりは口を固く閉ざしていた。
ただ、「覚悟だけはしておけ」と、その眼差しが訴えていた。
日暮れ前、三つの馬車を引く黒い影がやってきた。
縦に連結された馬車を、ひとつの暗闇が引いている。
馬はいない。
おそらく逃げたのだろう。
気付いたゼウス達はすぐに駆け寄った。
だが、馬車の中を覗くと、力無く泣き崩れた。
皆泣きながら、家族だったものを引き取った。
酷いものだった。
体の至る所に傷跡が残り、ある遺体はバラバラに引き裂かれていた。
ゼウスの希望で、十三体の遺体は全てメティスの傍に埋められた。
日が落ちて最後の弔いが終わった頃、ようやく皆泣き止んだ。
気付けば、ハデスは普段の姿に戻っていた。
「ごめんね。
流石にこの姿のままじゃ、取り返せないと思って」
「ああ……。
ありがとうな、ハデス……」
「これで俺たちは逆賊かな?」
「……そうだな」
プロメテウスは気の無い返事をした。
そんな事は、もうどうでもよかった。
今は、後の事など考える余裕はなかった。
「……ゆるせない」
ゼウスが呟いた。
皆同じ気持ちだった。
しかし、ゼウスからこんな台詞を聞いたのは初めてのことだった。
「……メティス。
僕は今日、初めて人を憎んだよ……!」
ゼウスの顔は、怒りと悲しみで歪んでいた。
今までの人相が変わってしまいそうな程に。
「……ゼウス」
プロメテウスは、ゼウスに声をかけられずにいた。
彼もまた、同じ気持ちだったからだ。
しかし、それとは別に言葉が出てこなかった。
あれほど穏やかだったゼウスが、消えて無くなるのではないかと不安になった。
ゼウスは光の消えた目で、ハデスの前に膝をついた。
「……にいさん。
彼らに報いを……!」
「……ゼウ」
ハデスはただ、ゼウスを見ていた。
応えてくれないハデスに、ゼウスは縋るように懇願した。
「彼らに罰を……!
ティタンに……! 復讐を……!」
「…………」
ゼウスの願いは聞き入れられなかった。
ハデスは憐れむ様に首を横に振り、ただただ弟を見た。
「なぜ!? なぜだよ!? 兄さん!!
そんな力があるのに!!
何でその力を使わないんだよ!?
彼らの為に!!
僕らの為に……!!」
ガンッとハデスの胸を打ち付けたゼウスの拳は、血に濡れていた。
ハデスの肉体があまりにも頑強な為、殴ったゼウスの手の方が傷付いていた。
「俺なんか殴って、痛いだろうに」
そういうと、ハデスはゼウスを遠ざけた。
そして、スウッと息を吸い暗闇の姿へと変貌した。
「ひ……!」
「―ゼウス―
―これが俺の正体だ―
―解るだろう?―
―こんなもの、使うべきじゃないんだよ―」
闇は優しく語りかけた。
だが、ゼウスはおろか、離れた場所にいたプロメテウスらにとっても、その言葉は死の宣告にも等しかった。
「……でも!
……でも!」
恐怖に引きつり、心が挫けそうになってさえも、ゼウスは退かなかった。
僅かとはいえ、“ハデス”に耐性を持つがゆえか、復讐心が勝ち過ぎたのかはわからない。
“ハデス”は溜息をつくと、人差し指を上げた。
すると指先から小さな点が現れた。
それが何か、プロメテウスにもわからなかった。
(――――――――――ッ!!?
……何だ!? あれは……!?
あれは……強大ななにか……!
それが何かは説明できないが……!
……おそらく、この世にあってはならないものだ……!)
ゼウスの顔が恐怖に歪む。
おそらく彼も、“ハデス”の生み出したなにかを忌むべきものと断じたのだろう。
しかしそれでもと、彼の目が訴える。
「―駄目だ―
―俺にできる事はない―」
そう言って、“ハデス”は闇から人の姿に戻った。
ゼウスはしばらく呆然としていた。
ゼウスだけではない。
プロメテウスも、ポセイドンも、その他の兄弟たちも。
誰もが頭の中を整理できないでいた。
ただひとり、ハデスを除いて。
「あのさ、そろそろ帰ろう?」
業を煮やし、ハデスが声をかけたその時、空間に亀裂が入った。
『お待ちなさい――』
その声は、その場にいた全員の頭の中に直接届いていた。
空間が広がり、中から大きな女性が現れた。
『わたくしはヘカテ。
“原初の巨人”の使いとして参りました』
その女性はヘカテだった。
煌びやかな服装に身を包む、大きな肉体を持つ魔女。
『さあ、参りましょう。御子よ。
“原初の巨人”がお待ちです』
突然の事態にプロメテウスが叫んだ。
「待て! 訳がわからん!!
“原初の巨人”!?
そんなおとぎ話が俺たちに何の用だってんだ!?」
プロメテウスはヘカテに突っかかった。
直観とヒシヒシと伝わるプレッシャーから、彼女が強大な力の持ち主である事は確信していた。
しかしそれでも、神話上の存在を引き合いに出されては、とても信じられなかった。
『用があるのは、“御子”達だけです。
さあ、おいでなさい―――』
ヘカテに促され、ゼウスが前に出た。
「おい!」
プロメテウスが声をかけるが、ゼウスはヘカテの開いた空間に入って行った。
「大丈夫、俺も行く」
そう言ってハデスが後に続いた。
「ちょ! 待てよ! オレ様も行くぜィ!!」
ポセイドンを最後に、ヘカテと空間は跡形もなく姿を消した。
後に残ったのは、疑問と問題と、漠然とした不安だけだった。




