第20話 「ただいま」
※鬱回注意!
「ただいま」
コイオスとの決着を明日に持ち越し、プロメテウスは帰ってきた。
妻クリュメネの待つ、自分の屋敷に。
「おかえりなさい!
……あら?」
クリュメネはプロメテウスの後ろで隠れいている、小さな影に気が付いた。
「俺の妻クリュメネだ。
自己紹介はできるな?」
言われて、ヘパイストスは彼の服を引っ張ったままモジモジしながら答えた。
「ヘパイストスだよ!」
「まあ! カワイイお客様ね!」
クリュメネに撫でられて、ヘパイストスは嬉しそうに肘でついてきた。
「キレーな奥さんだね!」
「フ、当然だ!」
「もう! プーちゃんったら!」
「プーちゃん!?
プププププーチャン!?
プークスクスクス!
プーチャンプーチャン~♪」
「……笑いすぎだ!」
「あらあら、うふふ」
「それよりクリュ……その……」
プロメテウスは彼女のお腹を指差した。
わかりずらいが、やや膨らんでいる様に見えた。
「……気付いた?」
「……マジか?」
「……うん」
「――――っう!」
「あらあら? どうして泣くの?」
「プーチャン?」
プロメテウスは泣き出した。
涙が溢れて止まらない。
泣き止まぬ夫を妻は優しく撫でた。
「よしよし、プーちゃんは泣き虫さんね……」
「さんね~」
「……ありがとう、クリュ……!」
これだけ見ると感動的な一幕なのだが、この時プロメテウスの脳裏に過ぎったのは感傷だった。
例の施設。その最深部で見た、犠牲者たちの成れの果て。
そしてヘパイストス。その、痛ましい素顔。
ケイロンに真実を突き付けられた今、彼は我が子が生まれくる喜びよりも、“選ばれなかった者たち”への罪悪感に苛まれていた。
(……もし、俺たちの子供が彼らのように淘汰されたらどうする?
……もしも、異形の姿で生まれてきたとしたら?
……いや! 愛してやれる! たとえどんな姿をしていようと! 守ってやれる自信もある!
だが……! 本当に守り抜けるのか……!? 俺は!?
……“陛下”に、背いてでも愛し通せるのか……!?)
思い詰めるプロメテウスの機微を、クリュメネが察した。
「プーちゃん……?」
「……すまん、ちょっと風に当たってくる」
プロメテウスは屋敷の外に出た。
もうすっかりと日が落ちて暗い。
彼が塀にもたれかかると、夜に紛れて蹄の蹴る音がした。
「……待たせたな」
「いや、いい」
やってきたのはケイロンだった。
妻を慮って外に待たせていたようである。
「アンタ、喋れたんだな……」
「ああ」
「何で黙ってたんだ?」
「……私は、獣に成ろうとした。
ただ生を謳歌するだけの、ただの獣に」
ケイロンは遠い目をして言った。
まるで何かに怯えるような、虚ろな目で。
「……聞かせろ。話の続きを」
「聞きたくなかったのでは?」
「……明日、陛下に全てをお話しする。
その為には、お前の話を全部聞かなきゃならん……!」
「……わかった」
ケイロンは静かに目を閉じ、語りだした。
「“御子”に対抗できる者は、その“御子”と“王”のみ。
そう結論した研究者たちは、自らの手で“御子”を生み出すことを決意した」
「それが、“人工御子”か……。
だが、どうやってそんな事を?」
「人工授精だ」
「じんこう……じゅせい?」
「子種を採取し、任意の母体に宿す技術だ」
「な!? そんな技術が!?
いったい……どこから……!?」
「恐怖はヒトを進化させる。
“御子”という存在に触れ、研究者たちは憑りつかれた様に、様々な技術を発明していった」
「………………」
「“王”の子種は容易に入手できた。
検診と偽るだけで、“王”は何の疑いもなく彼らに提供した。
実験にはピュリラという娘が選ばれた。
私の母だ」
「………………」
まるで他人事のように、ケイロンはつぶやいた。
「妊娠している状態での“御子”との接触は、母子共に良い成果が得られないと判断された。
あまりに影響が強過ぎる為だ。
ならば耐えられるまで十分に育ててからの接触により、“人工御子”をつくり上げようとした。
そして私が生まれ、実験は成功したかに思われた。
だが、私では“御子”の“畏れ”に抗し得ても、瘴気には耐えきれなかった」
ケイロンが変異した下半身を撫でる。
それがこの結果であると。
「………………」
「次に研究者たちは、“御子”を宿すべき母体の方に着目した。
“王”の妃だ。
妃は“王”が自ら選んだ。
そこに秘密があると思い至った。
そして、妃の身体を調べた」
「ちょっと待て! 女王陛下は!?」
「影武者だ」
「なっ―――!?」
「コイオスの協力者にモイラという魔女がいる。
その魔女は本物に忠実な人形を生み出す力を持つ。
まるで生きているかの様な、な」
「陛下は!?」
「気付いていなかった。
それ程に精巧な偽物だったのだ。
なにせ、本物本人の声、仕草から記憶まで再現できるそうだからな」
「…………バカな!」
「事情を知った妃は困惑したが、“王”の為を思い、最終的には彼らに協力した。
そうして生まれたのが、ゼウスら5人の兄弟だ」
「……それが、“人工御子”か。
だが、よくわからんな。
その人工授精とやらで生み出されたとしても、それのどこが“御子”と違う?
お前はともかく、ゼウス達は“ハデス”と同じ母から生まれたのだろう?」
「そこに“王”の意志が無かったからだ」
「なに……!?」
「先ほど言っただろう? 妃に秘密があると」
「……レア様に? あの方が特別だったというのか?」
「特別になったのだ。“王”に選ばれてな」
「――――ッ!?
待て! わからん! どういうことだ!?」
「いや。
君は理解し始めている筈だ。
“王”の、“言霊”の力を」
「陛下が言われたからレア様が進化したとでもいうのか!?
たったそれだけで!? “御子”を産む為に!?」
「それが、“王”の力だ」
「そんな……ことが……」
「“王”の意志と“言霊”無くして、真の“御子”は誕生しない。
それゆえに“不完全な御子”なのだ。
私も、ゼウス達もな」
ケイロンは何の感情も無い様な顔でそう告げた。
「後はお前の見てきた通りだ」と。
プロメテウスは混乱していたが、ある疑問に行き着いた。
「……仮に、だ。
お前の話が真実だとしよう。
だが、お前はなぜ、ここまで詳しい事情を知っている?」
「………………」
「ゼウスたちは、自分たちが生み出された経緯を知らなかった。
それは彼らが実験動物扱いされていたからだろう?
違うか?」
「………………」
「だとすれば、お前はどうだ?
そんなことを知っているのは、実際に研究とやらに関わった人間だけだ」
「………………」
「お前も、奴らとグルだったんだろ?」
「そうだ」
「この野郎!!」
プロメテウスはケイロンに殴りかかった。
だが、すんでの所で拳を振り下ろせずにいた。
「どうした? 殴らないのか?」
「殴ってどうなる!?
俺の気が晴れるとでもいうのか!?」
「だが、私を罰しない理由にはならないだろう?」
「テメエも被害者だろうが!!
……そうだろうがよ?」
「………………」
プロメテウスは力なく座り込んだ。
うずくまり、顔を伏せる。
「なあ? お前、何で下半身だけ馬なんだ?」
「………………」
「十分成長しきってから変異したんだろ?
違うか?」
「………………」
「実験に加担した罪悪感から、お前は自分を許せなくなった。
だから獣に成ろうとした。
自ら進んで瘴気に侵され、変異しようとしたんだ。
違うか?」
「………………」
「下半身が馬になったのは、本当は誰よりも逃げ出したかったからだ。
違うか?」
「………………」
「だが、お前は人としての自分を捨てきれなかった。
それがその半端な姿だ。
違うか?」
「………………」
ケイロンは答えなかった。
プロメテウスに見透かされても、否定も肯定もしなかった。
ただ、どこか安堵した様な顔をしていた。
「なんで、今になって喋った?
獣として生きる道を選んだんじゃないのか?」
「………………。
……君のせいだ」
「なに?」
ケイロンは先程とは打って変わり、責める様な目を向けてきた。
「“御子”があのままであったなら、私は物言わぬ獣のまま、その生涯を終えていただろう。
だが、君が余計な入れ知恵をしたせいで、もっと恐ろしい存在と成った。
君には全てを知り、責任を負う義務がある」
「……何を言っているんだ? お前は……」
「気付いている筈だ。
無意識の内に目を背け、そうあって欲しくないと願っているに過ぎない。
君が、“ハデス”に齎せてしまった“力”を――」
(……ハデスの力? 俺が目を背けてる、だと?)
「あいつの“力”を完全にした事か?
それの何が駄目なんだ?
どれ程の力を持とうと、あいつは世界を滅ぼしたりしない。
俺は、そう信じている」
プロメテウスは確信を持って言った。
だが、ケイロンは首を横に振って背を向けた。
「……今はまだいい。
だが忘れるな。君はその運命から逃れられない……」
「……おい!」
ケイロンの姿は闇夜に紛れ、見えなくなった。
(……とにかく、今は明日の事だけを考えよう。
明日、陛下に全てを打ち明けねばならん……。
陛下は、傷つかれるだろうか……?)
どこか釈然としないまま、プロメテウスは帰路についた。
そして、夜が明けた。
「久しいな、プロメテウス!」
「元気そうだな、アトラス!」
登城すると、アトラスが扉の前で待っていた。
「クリュに聞いたが、本当にもう大丈夫なのか?」
「いつまでも屋敷を空ける訳にはいかんでな。
それよりお前、随分と良い面構えになったな!」
「フ、色々あったからな」
「……そうか!
さあ、陛下がお待ちだ!
気を引き締めてな!」
「おう……!」
アトラスの大きな拳に、自分の小さな拳をぶつけた。
「プロメテウス! 入室致します!」
「―入れ―」
アトラスの声に応えたのはクロノス様だった。
たった一言だったが、歓迎されている事に自然と感謝する。
ただ、以前の様に感激まではしなかった。
理由は無い。
不意に「こんなものか?」と思っただけである。
「ただいま戻りました、陛下」
「―よう参った―
―プロメーテウス―」
王に名を呼ばれ、誇らしげな気持ちになる。
やはり、先ほどの違和感は気のせいだったようだ。
「―予に話があるそうだが?―」
「そのことなのですが……」
「―いかがした?―」
「御人払いをお願い致します……!」
プロメテウスは、意を決してそう言った。




