第15話 「―私のせいだ―」
(……この先に、“奴”がる…………!)
集落から歩いて小一時間程の火口付近。
ポセイドンに連れられ、ついに目的の黒い男の棲み処に辿り着いた。
「わりぃが案内はここまでだ。
なぜかにーちゃん見ると、ムショーにケンカしたくなんだわ、オレ」
(……ケンカだと?
恐れでも嫌悪でも無く、敵対心……いや、兄と慕っているから、この場合は対抗意識か?)
「……そうなのか?」
「おう! ケンカにもならねーがな!
いっつもオレからふっかけて、コテンのパンよ!」
「前に、にーちゃんの戦うのを見たことが無いと言ってなかったか?」
「戦いにならんからよー。
オレはマジだったが、にーちゃんにとっちゃあ軽いお遊びよ!
本気になったトコなんざ見たこともねえ!
でもよー!
ついつい挑みたくなっちまうんだよなー!」
「……そうか」
(これがヘスティアが言っていた、デリケートな関係というやつか?
思えばこいつらには、“奴”に対する耐性のようなものがあるらしい。
それで敵対心でも芽生えるのか?
敵わないと逃げ出したくなる俺と違って……)
足を止めて考察するプロメテウス。
そこに、重大なヒントがあるように思えたからだ。
「ま、あんたはケンカするっつータイプじゃねーだろーし!
ダイジョブだろ?」
「そう願うよ」
「ヘヘ! そんじゃ、ヨロシク!」
「ああ、ありがとうな!」
そう言ってポセイドンは集落に戻って行った。
(……独りで行くのか、“奴”のもとに……!)
火口の入り口を見る。
だたの火口だ。
別段、変わった所は無い。
にも関わらず、あそこには得体の知れない恐怖が蠢いている様な気がしてくる。
まるで、この世の全ての悪が、あの中で溢れ返っているような。
そんな風に思えてならない。
(……落ち着け大丈夫、話をしに行くだけだ!
アトラス! 俺に勇気を――!)
意を決し、入り口へと入った。
「うぐ……!?」
(なんだこれは!?
臭い!? 熱い!? 苦しい……!?
肺が……! 焼ける……! ようだ……!)
入って数分、彼の身体を変調が襲った。
立ち込める悪臭、熱気、吐き気。
立つこともままならず、その場にうずくまる。
しかし体調は回復するどころか、悪化する一途だった。
(……これは……俺の……髪……?
……抜けたのか……?
アトラス……の……ように……?
……これは……?
な……んだ……?)
もげた。
抜け落ちた髪を握る手が。
「うわああああああああああああああああああああああ!!?」
死ぬ。
死とは無縁の黄金種が、死を予感した。
もげ落ちた手は爛れ、蛆が湧いている。
叫ぶ口の中は焼け焦げ、肺が腐っていく。
死ぬ――。
死ぬ―――。
死ぬ――――――。
彼の精神は発狂し、その意識は閉じた。
「……………陛……下……?」
プロメテウスの意識が覚醒する。
しかし、その思考は朧げである。
(……夢……か……?
……陛下が……こんなところにいる訳が無い……。
それに……陛下が……こんな普通な訳がない……。
もし陛下がおられたなら、今すぐ飛び起き、拝礼せずにはいられない……。
なら……これは夢だ……。
最期の死に目に……良い夢を見た――)
「あ! 気が付いた!?
おじちゃん! だいじょうぶ!?」
(子供の声? 奇妙な夢だ。
陛下の顔で子供の声とは……。
死神も、随分と趣味が悪いとみえる……)
「おじちゃん! 起きてよ!」
「ん……! ここは?」
「やっと目を覚ました! よかった~!」
(……おいおい、まだ夢の中か?
まだ子供声の陛下が見える……。
いい加減、勘弁して欲しい……)
プロメテウスは、うんざりして目を閉じた。
「こらー! ねるなー!」
「いて! なんなんだ!?」
目を見開くと、そこには小さな手があった。
見慣れぬ材質の布で覆われた、子供サイズの手だ。
手を辿ってみると、そこには全身を布のような物で覆った子供がいた。
そしてその傍には、クロノス様そっくりの顔の男がいた。
ただ、その男の身体は普通ではなかった。
(……脚が四つ?
それも馬の様な形状に体毛が生えている……)
「どうやら命の恩人を怒鳴ってしまったようだ。
すまない。
助けてくれてありがとう」
「えへへ」
「おじさんはプロメテウス」
「ヘパイストスだよ。
こっちは友達のケイロン」
「ヒヒーン!」
「よ、よろしく」
(……人なのか? 馬なのか?
こいつも瘴気で異形化した個体なのか?
……それにしてもよく似ている。
似ているが、その顔でヒヒーンとか言わないでくれ……!)
「それにしても、ホントにだいじょうぶ?
おじさん、手が無いけど……」
「あ……」
プロメテウスは自分の身体を確認した。
どうやら手を失くした以外は既に自然治癒力で回復したらしい。
「死ぬかと思ったからな。
手で済んで良かった」
「おじさんって弱いんだね。
あの中に入っただけで死にそうなんだもの」
(俺が弱い……だと?
確かにアトラスほど頑丈じゃないが、これでもティタン族の一員だぞ?
それが証拠にあの状態から短時間で回復している)
「待て。
お前は平気なのか?」
「うん!」
「……マジか!」
「あーでも、全然平気ってことはないよ。
この服着ないとさすがに身体がかゆくなるし」
「……かゆくなるだけ?
その服は何だ?」
「これ、ボクが作ったんだよ!」
「少し見せてくれるか?」
「いいよ」
(……見たこともない材質だ。
かなり高密度の生地に伸縮性。
成る程、この気密性ならあの地獄でも平気という訳か)
「素晴らしい品だ。
本当にお前が作ったのか?」
「うん!」
「その服、貸してはくれないか?」
「えっと……ダメ!」
「駄目か?」
「貸すのはいいけど、服脱ぐとお母さんが悲しむから……」
「そうか……。
なら仕方ないな」
プロメテウスは頭を撫でた。
「えへへ!」
「今更だが、子供がこんな所で何してるんだ?
お母さんも心配するぞ?」
「えっと……そうなんだけど……」
「――ッ!? 話は後だ!」
「え?」
子供を抱きかかえるとプロメテウスは走り出した。
「―待て―」
(足が動かない!? クソ!!)
振り向くと、そこには身の毛もよだつ、恐ろしい男が立っていた。
あの、黒い男である。
「―危害を加えるつもりは無い―
―どうか落ち着いて欲しい―」
「……落ち着け……だと……!?」
プロメテウスは戦慄していた。
黒い男は彼を宥めるように呼びかけたが、そのどれもが悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
「おじちゃん!」
「おい!!」
黒い男のもとにヘパイストスが駆け寄った。
「だいじょぶだよ?
ちょっとコワイかもしれないけど、とってもやさしいんだ!」
「優しい……だと……!?」
(……信じられない。
が、先ほどから“奴”は、俺に呼びかけている。
……危害は加えないか。
信用できない。
だが、何故俺は、こうも“奴”の言葉を信じられない?)
しばしの睨み合い。
男は微動だにせず成り行きを見守るのみ。
「……わかった!
話がしたい……!」
「―感謝する―」
(……感謝? 俺と話せる事が? これほど邪悪な男がか?
……どうなっている?
俺は……何か重大な勘違いをしているのか?)
「とにかくその子と離れろ!
話は……それからだ……!」
男はプロメテウスの言う通りにした。
互いに声が届くギリギリまで距離をとる。
(……改めて、恐ろしい……!
一度死線を超えたからか、声も出たし動けんことも無いらしい……)
「我が名はプロメテウス!
この地の異変を調査しに来た!
この山はおかしい!
何か事情を知っているか!?」
プロメテウスは声を張り上げ、要点のみを言った。
そうしなければ、声も出ず、長々とは話せなかったからだ。
「―私のせいだ―」
ゾクリと悪寒が背中を突き刺す。
何故かそれを当然と思う気持ちと、残酷な真実を告げられた様な感覚が襲う。
まだその理由を聞いてもいないのに、諸悪の根源と決めつけながら。
「―私の身体からは常に瘴気が漏れ出ている―
―それが原因で地殻変動が起きた―」
「何故そんな事をするんだ!?
……そのせいで!
貴様のせいで!
あいつらは苦しんでいるんだぞ!?」
彼は思わず叫んでしまった。
ただ質問するだけのつもりだった。
それでも、問い詰めずにはいられなかった。
「―彼等には申し訳無い事をした―
―だが、どうか怒らないで欲しい―
―最近になるまで気付かなかった―
―まさかこの身から瘴気が漏れ出、彼等を苦しめている等と―」
「………………」
男の言葉に困惑する。
しかし、彼の中の冷静な部分は、その言葉に納得し始めていた。
「……だから、彼らと距離を置いて暮らしているのか?」
「―如何にも―」
「……じゃあ、何故あの子は?
ここに入り浸っている様子だが?」
「―その子は私の瘴気に耐えられる様なのだ―
―おそらくは生まれた時から―
―そして、私の体質にも―」
「……自覚しているのか?」
「―兄弟たちに、あそこまで反発されては嫌でもわかる―」
(……だろうな。
こいつ、どうやら知能は高いようだ)
「兄弟と言ったな?
本当に彼らは貴様の血縁なのか?」
「―どう説明すれば納得してもらえるか……―
―私の記憶をありのまま伝えよう―」
(……どうするつもりだ?)
「―……「また実験は失敗か!? クソ! これで何人目だ!?」……―」
(突然何を……?
……そうか、これは“奴”が聞いていた過去の焼きまわしか!?
ご丁寧に声真似までしていらっしゃる……!)
「―……「被験体2号の様子はどうだ?」
「ヘスティアですか?」
「順調に育っています」
「体は小さいままですが……」
「そんな事はどうでもいい」
「問題は、“アレ”に対する耐性だ」
「“アレ”の影響で未熟児として生まれたが、そのお陰で“アレ”の影響を受けにくいらしい」
「その代わりに敵愾心が見受けられますが?」
「当然だな。
恐怖が取り払われれば、敵対したくもなろう。
あんなものは」
「今度の被験体は素晴らしいぞ!
一見すると何の障害も見当たらない!」
「ですが、その分耐性が弱いようですが……」
「やはり“アレ”との接触頻度が少なすぎたか。
今後はその限界を見極めねばならん」
「……見ろ、こいつを――」
「素晴らしい! 完璧ではないですか!」
「いや、体表面に障害が出ている。
健康面には問題無いが、おそらく成長に支障をきたすだろう。
それに……ここまで醜いと見るに堪えん」
「今度こそ完璧だ! 見ろ!」
「美しい……!」
「そしてこの耐性力!
既に“アレ”と三日以上接触しているが何の変調も見られん!」
「ですが……それでは敵愾心の方は?」
「……クソ! あくまで耐えられるだけか!
まあいい。
それでも大躍進だ」
「……行き詰ってきたな。
今度の被験体も失敗作だ」
「耐性は今まで以上なのですが、こうも未熟では……」
「このままでは、上に報告できん!
どうしたものか……!」
「所長! “アレ”が逃げ出しました!」
「なんだと!? すぐに捕まえろ!!」
「しかし……!」
「ええい! 五号を! ヘラを連れてこい!!」……―」
「…………」
「―以上が、彼らと私の関係だ」
(…………色々驚かされたが、まずはその異常なまでの記憶力だ。
俺も記憶力には自信があるが、自分で咀嚼して覚えるのと丸ごと覚えるのとでは全然違う。
それに実に精巧な声真似。
さぞ優れた発声器官を備えているのだろう。
だが、今はそれよりも……)
「……つまり、彼らは貴様に対抗する為につくられたと?」
「―そのようだ―」
「じゃあ何故貴様は、彼らと共に逃げた?
デメテルからはそう聞いたが?」
「―それが最も効率的だと判断した―」
「効率……的……?」
「―あのままあの施設にいるより、彼等と外に出た方がより高い生産性を生み出せると結論付けた―
―私達も、そして彼等も、無為に命を消費すべきではない―」
「……成る程な、理屈は理解できる。
だが、その物言いが気に食わん!
命の消費? 生産性だ?
貴様、本当に、あいつらの兄弟か!?」
(……本当に、生き物なのか?)
「―彼等は私の父の遺伝子から生み出された―
―ならば兄弟と認識するのが妥当だと判断したのだが?―」
「あーいいわかった。
別に俺がとやかく言う事でも無い。
動機はどうあれ、彼らを救ったのは貴様だ。
それについては感謝する」
「―何故、君が感謝する?―」
(……確かに、俺が感謝するのはお門違いだ。
だがな……)
「俺はな、あいつらを気に入ったんだよ。
理由なんざそれで十分だ」
「―それだけ?―」
黒い男はよくわからないといった様子だった。
「悪いが、俺の価値観なぞこの際どうでもいい。
問題なのは貴様の瘴気と、その体質についてだ」
プロメテウスは怒っていた。
そしてそれ以上に、かつてない程やる気になっていた。
「フン! 上等だ! 貴様の全てを暴き出してやるよ!
……それと! コイオスお抱えのボンクラ共め!
テメエ等のその汚ねえ尻! 全部まとめてこの俺が拭き取ってやらア――!」




