第12話 「じゃあ、行ってくる」
あれから数日後、謹慎中のプロメテウスはアトラスの看病をしていた。
幸いアトラスは順調に回復し始めており、心配されていた髪もフサフサと生えてきた。
妻クリュメネの支えもあり、随分落ち着きを取り戻していた。
そんな折、突然謹慎が解かれた。
さる貴族の鶴の一声があったそうだ。
ただ、その貴族というのが誰あろう、謹慎を言い渡した張本人。
あのコイオス卿だった。
コイオスはプロメテウスを屋敷に招いた。
プロメテウスは嫌な予感がしたが、出向かなければ角が立つため従者も付けず、単身コイオス邸を訪れた。
「おお! 待っておったぞ!」
「お招き頂き恐縮です」
「ささ! 遠慮せず上がってくれぃ!」
(……歓迎されてるとは意外だな。
ご当主様御自らお出ましとは恐れ入る。
いや、これは前フリか?
何時間も説教食らった挙句、お高いだけの不味い飯を食わされるってとこか?)
「どうした? おお! わかっておる! わかっておる!
当家自慢のシェフたちが、すでに腕をふるっておる!
そなたは痩せ気味だからな!
今宵はたっぷり肥え太るが良い!」
(なんだこりゃ?
公の場とはえらい違いだな。
もっとも、何かやましい事があるのは顔を見ればわかるが……)
プロメテウスは若干警戒を解いていた。
彼の危険予知能力は自他共に認めるものであり、そういう勘は外れた事がない。
まぁ、彼自身はただの臆病者の被害妄想だと自嘲しているようだが。
コイオスに促され、食事の席に着いた。
そこにはコイオスの一族が席を囲っていた。
あのアポロン、アルテミスの母レトも、会釈とお辞儀を返してきた。
「さあ、好きな物から食べてくれぃ!」
「それでは、頂きます」
(この用心深いおっちゃんが、俺に一族を引き合わせるとはな。
意外を通り越してガッカリした。
もう少し叩き甲斐のある老害だと踏んでいたが。
大方俺に、いや、アトラスを手前の派閥に引き入れろとか言う腹か?
それとも、恩を売って無理難題を吹っ掛ける気か?
ハッキリ言って不気味以外のなにものでもない)
気持ち悪い程に好意的なコイオスを警戒するも、特に問題無く客間に通された。
(陛下も泊まられた部屋と言っていたが、本当に破格の待遇だな。
……30分もの自慢話を聞かされて疲れはしたが。
まぁ、あのオッサンにしてはかなり手短だったかもしれん。
コイオスも、随分と俺に気を遣ったとみえる)
コイオス邸での最初の夜は、終始拍子抜けの心持で就寝した。
明くる朝、コイオス自慢の庭園にて、これまた得意げに自慢しながら散歩に付き合わされていた。
「どうであろう? この彫像の栄えたる事!」
「素晴らしい造形ですね。
製作者の技巧の高さが窺えます」
「それもそうだが――」
「勿論、モデルあっての出来栄えですが、言うまでもないと思いましてね」
「フハハハハハ! わかっておる! わかっておる!
そう褒めるでないわ! ワッハッハッ!!」
(朝からよくもここまではしゃげるものだ。
まぁ、接待だと思えば大した負担でもない。
接待されているのは俺なのだがな)
庭園はティタン族らしく広大で、いくつもの森や川があった。
散策を初めて30分、ようやくプロメテウスは異変に気付いた。
いや、正確には初めから何かあるとは予見していたが、それが確信に変わったというべきか。
「コイオス卿。ここは?」
「……入ればわかる」
(錆びれた建物。根の張り具合からいって十数年程前に放棄されたってとこか)
無言のコイオスに促され、プロメテウスは屋内に入った。
ティタン族にしてはこじんまりとしていて大した広さは無い。
(このオッサンでも黙る事があるんだな。
さぞ厄介な代物を俺に押し付けたいらしい)
「少し待て」
真っ暗な部屋で十数秒程待っていると、どこからともなく灯りがついた。
かなり広い部屋だ。
しかし、間取りは幾つにも区切られており、ひとつひとつは手狭だった。
これはまるで――。
「牢獄――の様であろう?」
「……そうも、見えますな」
「よい。
……ここはかつて牢であった。
あるお方をお隠しする為のな……」
「あるお方?」
「そなたの見た黒い男。
かつて儂も、目にした事がある」
(……やはり、アレの関係者だったか)
「アレは……陛下の……御子だ――」
「な!?」
全身に衝撃が走った。
クロノス様に御子が生まれていた事もあるが、それ以上に、あの悪魔の如き存在がと思うと到底信じられなかった。
(それは流石に想定外だ!)
「驚くのも無理はない……。
陛下の御子が誕生された事は公表しておらんからな。
儂が止めていた。
万が一を思ってな……」
(確かに……。
ティタンの王子が流産でもしようものなら、民の動揺は計り知れない。
一介の家臣が出過ぎた真似だったが、結果功を奏したという事か。
なる程、どおりで俺に突っかかる訳だ)
「しかし……まさか……」
「まさか……あの陛下の御子が、かように悍ましきものとしてお生まれになろうとは……。
いったい誰が想像できよう……?
そして誰が、受け入れられよう……?」
「…………質問しても?」
「……うむ」
「王子……は何故、あの山にいるのです?
ここで隠し通すおつもりではなかっ――」
「そのつもりであったわ!!
……一生。
隠し通すつもりであった……。
民からも……。
家族からも……。
クロノス様さえも……!
…………。
……処分することも、考えた。
だが……出来なかった……!
出来よう筈もなかった……!
陛下の御子を殺すなど!!
……かように恐ろしき存在を滅ぼすなど!!
出来よう筈もない……」
「……そして世に出したと?」
「違う!!
御子は……。
…………自ら出て行かれた。
……焦ったが、肩の荷が下りた心地だった。
…………すまぬ……!」
「…………」
(俺に謝って済む問題ではないが、こいつひとりを責める事は出来ない。
おそらく誰が同じ立場でも、同じ道を辿っていただろう……)
「……プロメテウス殿!
この事、委細他言無用に願う!
この通りだ!!」
「…………」
あのコイオスが土下座をした。
決してクロノス様以外に下げないであろう頭を、賢しき若造に垂れながら。
だが、そんなに請われずとも、誰にも言える訳もなかった。
「そして重ねて頼む!
陛下の御子を!
……あの悪魔を!
この世界から葬ってくれ!!」
「…………!」
プロメテウスは動揺し、何も言えなかった。
そんな事を言われても、どう答えればいいかわからなかった。
「無茶は承知の上!
頼む!
どうか!
ティタンの為……!
クロノス様の為に……!!」
「……できるかどうかわかりませんが、最善を尽くしましょう……。
知ってしまった以上、私も……無関係ではいられない……!」
ハッとコイオスは頭を上げると、心底安堵した顔で感嘆した。
泣いていた。
あの悪代官の様な権力者が、目に涙を浮かべて。
「……ありがとう!
……ありがとう!」
「………………………」
しばらく後、客間に戻ったプロメテウスは、ベットに横たわりながら頭の中を整理していた。
(……大変な事になってしまった。
だが、後には引けない。
あの後、施設内を見たが、見事にもぬけの殻だったな。
コイオスが言うには、あの仕切られた部屋は実験の為に区切られたものだと言っていたが。
……まだ何かを隠しているな。
この期に及んでまだ後ろめたい事があるらしい……。
黄金郷に潜む、ティタンの暗部……。
考えただけで憂鬱になる。
だが、それも含めてコイオスの、ティタンに対する忠誠心は本物だといえるだろう。
その使命感ゆえに、自身が外道に堕ちる事も厭わない。
俺はゴメンだが、それはそれで認められるべき人の業というものだ。
とにかく、まずは情報が欲しい。
人の手も借りたいが、今回は俺ひとりで事に当たらねばならない。
……やれやれ、気が遠くなりそうだ)
後日、丁重に見送られ、コイオス邸を後にした。
屋敷に戻ると妻が出迎えてくれた。
「ただいま」
「お帰りなさい、あなた」
「アトラスは?」
「まだ、休んでいるわ。
でもね! 大分食事も取れる様になったのよ!」
「……そうか」
「どうしたの?」
「いや、何でもない。
様子を見てくる」
プロメテウスはアトラスの寝室に入った。
静かに寝息を立てる大きな兄。
それを眺めながら、小さくかき消えそうな声で呟いた。
「……なぁ、兄上。
どうやら俺は、トンだ貧乏クジを掴まされたらしい……。
アンタだったら、恐れず立ち向うのだろうか?
いつもの様に……」
俯いたまま、心細い声で独白を続ける。
「俺はさ、自分にわからない事は無いと思ってた。
何でもわかるし、何でもできる。
いや、できなくても理解できるから別にいいって。
ガキの頃からそうだったから。
……そう信じて疑わなかった。
でも、違ったよ……。
俺、ホントは最初から、アンタに憧れてたんだよ。
でもそれが恥ずかしくて、くやしくって、ずっと反発してたんだ。
兄上は腕力だけの根性バカだって。
そう思わないと、俺は自分が嫌になりそうだった。
屁理屈だけはいっちょ前の、口先ばかりで何もやろうとしないクソガキだったから。
俺は、アンタの様になりたかった――」
顔を上げ、立ち上がりプロメテウスはアトラスを見下ろした。
「こんな風に思える様になったのは、クリュのお陰だ。
彼女は、俺の知らなかった世界を教えてくれる。
もちろん、アンタもな。アトラス……!」
語り終え眠る兄の顔を見つめると、深呼吸して背を向けた。
「……じゃあな」
「……無事で戻れ。
我が自慢の弟よ……!」
彼は片手を上げると、照れくさそうに部屋を後にした。
明朝、プロメテウスはコイオスの命で任務に着く事になった。
たったひとりの任務である。
表向きはただの調査だが、その行き先は、あの化物の巣食う名も無き山だった。
「じゃあ、行ってくる」
「本当にひとりで行かなくてはならないの?」
「心配するな。
ひとりでできる、簡単な仕事ってやつだ」
「そう……」
(……ごめんな、クリュ。
でも、お前にだけは心配を掛けさせたくない。
お前が日々を穏やかに過ごしてくれるだけで、俺はどんな困難にも立ち向かえるんだ)
「アトラスを頼む」
「……ええ。
いってらっしゃい……!」
馬を携え、見送る妻を尻目にプロメテウスは旅立った。
旅の共に馬を選んだのは、なるべく目立たず行動する為。
頼れるものは己ひとり。
今はただ、馬を駆ける。




