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第11話 「怖かったんだよ……!」

 予言者プロメテウスの知られざる過去、その隠された真実の一つがそこにあった。

 それは、今まで見たこともない、異形の化物だった。

 まず目に付くのは左右非対称不揃いの手足。

 右腕が三本、左腕は無く、代わりに左足が二足あり、右足は一足。

 大きさは150から200センチ程で、歪な胴体を地面に這わせながら蠢いている。

 頭部はひしゃげた様に醜く歪んでおり、思わず目を背けたくなった。


「なんだ? こやつは?

 布を纏っているのか?」


 そう、化物は衣服を身に着けていた。

 それも、ただ体に巻き付けたという風ではなく、明らかに衣服として着用している様だった。

 これではまるで……。


「まるで人間の様だな」

「……人間? こやつがか?」


 プロメテウスの発言にアトラスは訝しんだ。

 それは当然だった。

 この時代の人間は、全て美しい姿をしていたからだ。


「おそらく、俺たちとは別種の人類なのだろう。

 危険を感じ逃げ出すも、無駄だと悟る判断能力に加え、俺たちの会話を聞いている様にも見える。

 ただの獣には無い知性を感じたが?」

「かように醜きこれが、人といえるのか?」

「……確かに、見た目は人とは思えん。

 だが……」

「ぬ! なんだ!? この……悪寒は!?」


 プロメテウスが言いかけて止まった。

 急に体が動かなくなった。

 それは、初めての体験だった。

 プロメテウス達が動けないでいると、捕らえていた化物が逃げていった。

 その逃亡先に辛うじて動く視線を向ける。

 するとそこには、恐ろしい男が佇んでいた。

 ……ヘカテさん。

 あれって……。


『ええ。あの姿の彼は、あなたもご存じでしょう?』


 黒い肌に鋭い目つきのそれは、クロノス様を止める為、力の一部を開放した時のハデスとそっくりだった。

 だが、私にはもっと恐ろしいものに見える。

 それでも直視できるのは、プロメテウスの記憶を介しているからなのか?

 プロメテウスは、初めて見る黒い男に戦慄していた。

 ただただ、怖くて怖くてたまらなかった。

 そして同時にあれはこの世で最も邪悪な存在だと確信した。

 理由は無い。


(死ぬ――)


 見た瞬間、直観が、恐怖が、思考が、そう告げていた。

 あれに直接殺されるのか、間接的要因によって死ぬのかは判然としないが、とにかくこのままでは死ぬと思った。


「うをおおおおおおおおおおおお!!!」


 鬨の声が上がった。

 アトラスの咆哮だ。

 6メートルもの巨体から発せられたその雄叫びは、大地をも震えさせ、何重にも衝撃波を発生させた。

 それを目視した時、すでにアトラスの剛腕は黒い男を粉砕しようとしていた。


「うをおお!!」


 アトラスの巨大な鉄拳を、黒い男は片手で受け止めた。

 その直後、アトラスは反射的に後ろに飛んだ。

 未だ動けぬ部下たちを庇うように。


「ハァ……! ハァ……! ハァ……!」


 勇猛で知られるアトラスが、たったあれだけのやり取りで満身創痍にまで消耗していた。

 プロメテウスは状況を把握しつつも、全く動けずにいた。


「―去れ―」


 直後、プロメテウス達は必死で逃げ出した。

 泣きながら、全速力で山を下った。

 あのアトラスでさえ、追われる獲物の如く取り乱していた。

 それでも、誰よりも速く走れる彼が、部下たちを先に逃がしたのは大したものだった。

 彼の人格の程がよく窺える。

 プロメテウスは恐怖で我を忘れつつも、心の底から兄に感謝した。

 そして彼の勇ましさを、かつてない程に尊敬した。

 あんなにも邪悪な存在に立ち向かうなど蛮勇にも思えたが、それ以上に男として、一人の人間として憧れた。

 見張りのもとへと逃げおおせ、彼等はティタンへと取って返した。

 オトリュス城が見えると、アトラスは竜から転げ落ちる様に倒れ込んだ。


「見るな!!」


 心配し、駆け寄る部下たちを下がらせ、プロメテウスは必死に自身を落ち着かせようとした。


(……髪がほとんど抜け落ちている!

 顔色も発汗も尋常じゃない!

 今、一体何が起こっている!?)


 並外れた自然治癒力を有するティタン族、その中でも優れた肉体を持つアトラスをこうも憔悴させたもの。

 彼はそれを必死に考えた。


(……原因はわかりきってる!

 あの黒い男だ!

 だが、今究明すべきはそのメカニズム!

 あの男は何をした!?

 アトラスは何をされた!?

 どういう仕組みで身体が消耗している!?

 それが解らなければ……クソ!)


 プロメテウスは自分だけでアトラスを救おうとしていた。


(思いつけ! 考えろ!

 何の為に人払いした!?

 こんな姿の英雄(アトラス)を……人には見せられん……!)


 彼は悩んだ末、自宅にアトラスを運んだ。

 彼の屋敷は使用人はおらず、妻とふたりきりだった。

 彼女なら最も信頼でき、隠し事をするつもりもなかった。


「お義兄さん!?

 あなた……これは!?」

「……すまん!

 何も聞かず看病を手伝ってくれ!

 考えをまとめたいんだ!」


 突然の事にクリュメネは慌てたが、すぐに事態を受け入れた。


「まあ! 大変!

 すぐに先生を呼ばないと!」

「駄目だ!」

「え!? どうして!?」

「こんな状態のアトラスを他人に見せる訳にはいかん!

 アトラスは英雄だ。

 それを壊す様なことなどあってはならない!

 なによりアトラス自身がそう思う筈だ!」


 プロメテウスは必死に落ち着こうとして、まくし立てた。


「何言ってるの!?

 お義兄さんが死んじゃったらどうするの!?

 私、先生を呼んでくる!」


 普段慎ましい妻に怒鳴られ、彼はハッと我に返った。

 言われてようやく、自身がかなり混乱していることに気が付いた。


「クソ! 馬鹿か俺は!

 すまん! クリュの言う通りだ!

 アトラス! 人を呼ぶぞ! いいな!?」


 アトラスは呻きながらも僅かに頷いた。


「……手の施しようがありません」


 医者は青ざめた顔でそう告げた。


「そんな! 何とかならないのか!?」

「まず、原因がわかりません。

 一体何をどうすれば、この様な容態になるのか……。

 人には負傷しても瞬時に肉体を再生する治癒力が備わっている。

 他の生物では致命傷になりうる深手であろうと何ら問題無く。

 それが我らティタンの血の賜物」


 そう。

 この頃、人――人類とはティタン族しかいなかった。

 正確には人として認められていなかった。

 死ぬまで成長し続け巨人と化し、例え手足が身切れしようと再生される黄金種と呼ばれる超人たち。

 本来病気や怪我とは無縁の彼等に医者など不要だった。

 だからここでいう医者とは私が便宜上そう言っているに過ぎない。

 この時代の医者とは、ティタン族の生態を研究している学者の事を指す。

 それが証拠に、クリュメネも先生と呼んでいる。

 さて、その先生が言うにはアトラスは彼自身の自然治癒力で回復に向かっているとのことだった。

 ただ、自身にできることがなかったのが後ろめたいのか、申し訳無さげに部屋を後にした。

 プロメテウス夫妻は、ひとまず整った寝息のアトラスに安堵し寝室へと向かった。

 二人きりになってプロメテウスの緊張が解けた。

 そして縋りつく様に妻を抱いた。


「クリュ……!」

「プーちゃん?」

「俺……! 俺……!

 怖かった! 怖かったんだよ……!」


 プロメテウスは子が母に泣きつく様に甘えた。


「あんなバケモノ……!

 ……どうしようも……ない……!

 どうしようもなかったんだ……!」


 嗚咽と共に押し出されるうわ言は脈絡の無く稚拙だった。

 普段の彼からは似つかわしくない姿を見て、相当にまいっているのがわかった。


「アトラスがいなければ……死んでいた……!

 だからアトラスに死なれたら……俺……!!」


 クリュメネは頭を泣きつく夫の頭を撫でながら、黙って聞いていた。

 そして、視界が急に暗くなった。

 ヘカテさん?

 これって……。


『よい子はここまでです』


 ああ、やはりそういう事……。

 ですよねー。

 ……それにしても意外ですね。

 ヘカテさんってこういう濡れ場とか好きじゃないんですか?


『男女の秘め事は、そのふたりだけのもの。

 他者が入り込む余地はありません』


 まともな事言ってる!

 ただの変態淑女かと思っていたが、一応彼女も弁えてるらしい。


『あなた、わたくしを何だと思っているのですか?

 わたくしが欲情するのは、あの二人だけです!

 それをさも尻軽女のように……!

 心外です!』


 そんな欲情するとか堂々とおっしゃられても……。

 やっぱ変態じゃねーか!


『……あなたとは議論の余地があるようですね?

 これ以上は大人げ無いので控えますが』


 もう十分大人気無いです。

 まあでも、少し見直しましたよ。

 その気になれば見たい放題でしょうに。


『あなたはまだお若いからわからないでしょうけど。

 彼らはわたくしにとって孫の様な子供たちです。

 それを淫らな対象として悦しむことはありません』


 確かに、そう言われれば何となくわかります。


 『それに、秘した方が綺麗だと思いませんか?』


 そう言うヘカテの眼差しは、子を慈しむ母親の様だった。

 確かに、ただの変態ではないらしい。

 それはともかく。

 明朝、プロメテウスは報告の為、オトリュス城に登城した。


「―おお、プロメーテウス―!

 ―此度の遠征大儀であった!

 ―して、アトラースの容体は?―」

「……未だ立つこともままならず」

「―そうか―。

 ―しかし、あのアトラースがな―

 ―いったい、何があった?―」

「……異変の中心部と思しき山にて、異形の生物を確認。

 そして、我々の前に……!」


 言葉に詰まるプロメテウス。

 その原因は漠然とした恐怖心。

 そんな曖昧なものに躊躇う人格は持ち合わせていないはずだ。

 それでも、感情を殺しても、言い淀む。


「―どうした?―」


 しかし、言わなければならない。

 人類の主、クロノス王の忠誠を示さんが為に。

 かの王を、心配させてはならない。


「……黒い……男……!

 ……が! 異形のモノたちを率いて現れました!」


 言い切った。

 まるで、合戦から逃げ延びた様に息を荒くするプロメテウス。

 それほどに、あの存在を口にする事そのものが、彼を蝕んでいた。

 そんな彼の様子を見て、周囲はどよめいていた。


「―黒い男?―

 ―異形のモノたち?―

 ―よくわからんな―」


 ただ一人、クロノス様だけが、平然と会話を続けた。

 何の事は無い。

 ただの素朴な疑問と言わんばかりに。

 その偉容に、周囲も落ち着きを取り戻し始めた。

 プロメテウスもまた、正常な思考を取り戻し始めた。


「あれは……! 人類の、敵です!

 目にした瞬間、そう確信しました!」

「―その根拠は?―」

「……わかりません。

 しかし、直観、いや、おそらく本能的にそう思わずにはいられませんでした。

 ……少なくとも、私はそうです」

「―して、どうすれば良い?―」

「……あれを野放しにしては、世界が滅ぶでしょう」


 再び周囲がざわついた。


「―ほう?―

 ―大事だな―

 ―それも直観というやつか?―」

「……は!」

「―成る程―

 ―にわかには信じられんが、他ならぬお前の言う事だ―

 ―間違いはあるまい―

 ―しかしプロメーテウスよ―

 ―ならば予はどうすれば良い?―」

「それは……」

「何もなさらずともよろしゅうございます」


 他を威圧する様な声が横切った。

 あの偉そうな態度には見覚えがある。

 それはまだ将軍じゃない頃のコイオスだった。


「世界が滅ぶ事などあり得ませぬ。

 陛下のお手を煩わせる程の事が、この世にありましょうや?」

「しかし!」

「貴公は疲れておるのだ!

 一体何を見たのかは知らぬが、要領の得ぬ妄言を陛下の御前で吐きよって!

 もう良い!

 下がって良い!」

「な! 陛下! お待ちを!」


 コイオスを無視してクロノス様に取りなそうとするも、プロメテウスは締め出されてしまった。

 仕方なく、彼は城を後にした。

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