第10話 「俺は、幸せだ」
「結婚おめでとう!」
え!? 結婚するの? 私!
突然見知らぬ誰かから、人生最大イベントの祝辞を頂いてしまった。
「ありがとう!」
男の声が自分の中から発せられたかの様な未知な感覚。
私の戸惑いなど構わず、私とは別の意識が頭の中で幸福を噛みしめていた。
(俺は、幸せだ。
俺の様な根暗が、結婚できるとは思っていなかった。
誰かを愛せるなど、信じていなかった。
クリュメネと出会うまでは。
俺は生涯彼女を守り、生きていきたいと願っている。
昔の、ロジックにしか興味の無かった俺からは、想像だにできないだろう。
皆から天才だの持てはやされ、自分は特別だと疑わず、他人を低能だと見下していた。
性交渉を、本能に縛られた人ならざる情事だと、嫌悪感さえ抱いていた。
だが、彼女のお陰で思い知らされた。
俺も、たかがひとりの男だったんだ。
そんなごく当たり前のことを、教えてもらった。
俺は、幸せ者だ)
私の中で別の意識が独白する。
これが、予言者プロメテウスの過去の記憶なのか?
『ええ、その通り。
あなたは今、彼の記憶。
彼の精神の内にいるのです』
そう。
現在私はヘカテの秘術とやらで、予言者プロメテウスの記憶の住人となっている。
嫌がる彼を強引に説得……というか、早々に諦め応じてくれただけだが、何故か私も彼の過去を見る羽目になった。
あのぉ、ヘカテさん?
私がご一緒する意味、ありますか?
『大いにありますとも。
あなたの様な、普遍かつ凡庸な人格による観測が必要なのです。
わたくしでは、価値観がティタンにより過ぎてしまいます』
……それって褒めてないですよねぇ?
『ウフフフフ。
そんな事はありません。
ハデスに選ばれた事を、もっと誇りに思うべきです』
……まあ、いいですけど。
何か話辛いですね……。
『では、あなたにだけ見えるよう霊体化しましょう――』
ヘカテさん!?
何故幼女に!?
『時とは移ろい易いもの。
過去に意識を飛ばした為に、わたくしの在り様も変化したのです。
さも、月の満ち欠けの様に、ね』
過去に遡って幼児化するということは、じゃあ未来では……。
『知りたいですか?
何人たりとも知ってはならぬ、おぞましき未来を――』
……遠慮しておきます。
『ウフフ――』
ロリなのに、何て色っぽいんだ……。
……幼熟女め。
そ、それはともかく!
こうして喋らず意思疎通できるということは、私の意識は筒抜けだと?
『安心なさい。
個人の精神に土足で踏み入る様な野暮はしませんよ』
それって、意識して出来るものなのですか?
『容易いことです。
わたくしに語り掛ける意志がある場合に限り、わたくしの意識の届く秘術です』
……ご配慮どうも。
えっと、私は今、プロメテウスさんの体を借りているんですよね?
『正確には、彼の視界と意識を覗いているに過ぎません』
……どうしてそんなまどろっこしい事を?
ヘカテさんみたく霊体になって眺めるだけじゃダメですか?
『あなたを一から霊体化させるのは少々手間でしてね。
それに、わたくし達が知るべきは、当時の彼が何を思い何を成さんとしたのかです。
その為には彼の目線に立った上で、その心情を読み取らねばなりません』
ということは、裁判長の中も見るんですか?
『あなた正気?
そんな事をすれば、魂ごと焼かれましてよ?』
げっ! そんな感じなんですか!? 裁判長!
『見たでしょう? わたくしの肉体が燃えたのを。
彼は何も拒んでいないというのに、単なる防衛本能が異物を焼き尽くしてしまうのです』
ウチの冥王、マジ冥王!
どんだけおっかないんだよ……!
でも、それじゃあ裁判長の心情がわからないのでは?
『あの人の過去は覗くまでもありません。
おそらくあの人は、いつだって、あの人なのですから』
ヘカテの物言いには確固たる確信と共に、劣情の香りが紛れている。
……いつハデスに惚れたんだろう? この熟女。
まぁ、言いたい事はわかりますよ。
『あの人は使命にのみ生きる人。
ならばそれを、正確に読み取れば良い。
幸いにして、この子以上の適任はいないでしょう』
……予言者プロメテウスをこの子呼ばわりとは。
流石は最古の魔女ヘカテ。
『本当に優秀な子です。
イアペトスも鼻が高いことでしょう』
あ、本当に伝えようとしないとヘカテには聞こえないんだ。
上機嫌でいらっしゃる。
『さて、安心したところで続きを見物しましょうか。
彼らの、過去の軌跡を』
え!? ちょっとヘカテさん!?
さっき私が思ったこと、聞こえてませんよね!?
『ウフフフフ――』
こっわ!
なんて意地の悪さだ。
余計な事は考えないでおこう。
「―プロメーテウス―」
「陛下……!」
思案にふけっていたプロメテウスを、雄々しい男性の声が覚醒させた。
しびれる程に心に響く声音に感激し、深々と礼を尽くす。
奥さんのお陰で会心したであろう今の彼でも、ここまで素直に頭を下げる人物はいない。
全ての種族の頂点に位置する、黄金王クロノス様以外には。
「―まずは目出度い―。
―お前は利口だが、その分朴念仁だからな―。
―少々案じておった―」
「……ご心配お掛けしました」
「―よい―。
―皆を案ずるのが、予の務めだ―」
「……ありがたきお言葉!」
クロノス様の労いに、プロメテウスはのみならずその場にいた全員が感謝し頭を垂れた。
やはりクロノス様の言霊は絶大ですね。
『これこそが、世のあるべき姿です。
ご覧なさい――』
ヘカテに促され周囲に意識を向けた。
都合プロメテウスの視野以外は見えないが、目に入るそれは、この世のものとは思えない程美しい光景だ。
人も、都も、空も大地も、空気さえも光り輝いている様だ。
この光景を目にしてしまえば、ティタン族が過去の栄華にしがみつくのも分かろうというものである。
それにしても美しいですね、ヘカテさん。
『……………』
おや? 聞こえていないのか?
ヘカテさん!
『……失礼。何か言いまして?』
クロノス様、格好良いですよね~!
『当然でしょう!
何をわかりきった事を言うのです!
ええ、あの麗しいご尊顔!
聳える山脈の如き逞しい肩!
天空をも平伏せたる堂々とした佇まい!
家臣を気遣っての少し砕けた振る舞い!
大地さえも踏み貫く力強いおみ足!
特に足! そう! 足が良い!
足とは人にとって最も―――』
……どうやら、クロノス様に見惚れていた模様。
聞いてもいないのに、よくもこれだけペラペラペラと口が回る。
もはや狂気を感じるレベルである。
しかも途中から何故か足の話になってるし……。
あのぉ……ハアハアしながら脱線するの、やめてくれませんか?
『あらいやだ。わたくしとした事がはしたない』
常からエロい雰囲気を出しているが、クロノス様が関わると更に変態度5割増しは固い。
本当に肉体を失っているのだろうか? ……この人。
むしろ身体があった頃より悪化してはいないだろうか?
タガが外れているにも程がある。
「―皆、楽にせよ―。
―今日の主役は予ではない―」
クロノス様の気遣いで、ようやく全員がおもてを上げた。
周囲が再び笑い合う中、プロメテウスはずっと花嫁を見つめていた。
……ヘカテさん。
クロノス様をガン見してるところ悪いんですが、そろそろ……。
『え? もうですか?』
私たちの目的は?
『あらいやだ。わたくしとした事が』
……クロノス様が出てきてからこの人、同じ事しか言わなくなった気がする。
ともあれ、正気に戻ったヘカテの術で、プロメテウスの記憶を早送りで観ていった。
体感的には一瞬だったが、彼の記憶を我が事の様に思い出せる。
プロメテウスは城仕えの冷めた男だったが、妻クリュメネを心の底から愛していた。
天才特有の理屈家で、口喧嘩にでもなろうものなら正論をもって相手を問い潰す彼だが、彼女の前ではただの屁理屈を並べたがる子供と変わらなかった。
そして最終的には妻の一言で意見を曲げ、甘える不器用な男に過ぎなかった。
彼女と出会う前の彼からは想像だにできないと、彼の意識が事ある毎に反芻していた。
彼の日々は穏やかだった。
仕事では常に一番の成果を出し、外では同僚にからかわれ、家では妻にからかわれる。
そんな毎日だった。
『さて、ここからの様ですね。
わたくし達が知るべき、彼の、在りし日の真実は――』
ヘカテの言葉は、そんな穏やかな彼の日常の終わりを示していた。
「山がおかしい」
誰かが言ったのか、そんな噂が広まった。
名も無き山の一つが、大きくなっていった。
初めは誰も気にしなかったが、日に日に肥大化していく山を不気味に思っていった。
民衆の不安に心を痛めたクロノス様は、勇士と名高いアトラスに山の調査を命じた。
アトラスは身の丈6メートルを誇るティタンの中でも大柄な男だった。
そしてなんと、プロメテウスの兄でもあった。
この力自慢の兄は、知恵者だが偏屈な弟の良き理解者で、年の離れた弟を誇りに思っていた。
だが、立場上同じ現場で働く機会が無かったため、ここぞとばかりにプロメテウスを調査団の副隊長に任命した。
「お前と轡を並べるのは初めてだったな」
「ああ」
「よろしく頼むぞ? 副長殿」
「俺の出番が無いことを祈るさ」
共に口数は少ないものの、特に不仲という印象はなかった。
少なくとも、プロメテウスは兄の事をある程度尊敬しているようだ。
この、ある程度という所が、実に彼らしいといえるだろう。
調査団はアトラスを筆頭に副長プロメテウス、他三名といった構成でいずれも翼竜に乗っていた。
旅は順調に進み、早駆十日ほどで目的の山に辿り着いた。
「ここか。どう見る?」
「この臭いは……山が活発化している様だな。
それと土」
「土?」
「明らかに他とは違う。
詳しく調べていないから何とも言えんが、山の肥大化に関係があるだろう」
「成る程な。
よし、ここからは徒歩でいこう」
アトラスの指示で一人を翼竜と荷物の番として残し、山中への探索を開始した。
探索を開始して半日、彼らは最初のキャンプで調査の結果をまとめていた。
第一に生き物が見当たらず、木々のほとんどは枯れ果てていた。
この黄金時代の山々といえば、木々が生い茂り様々な動植物が命を育み、生命に溢れていた。
ここは、明らかに異様な場所だった。
それに、山全体から妙な圧迫感を全員が感じていた。
なんというか、誰かから拒絶されている様な、漠然とした不安感があるのだ。
明朝、彼らは更に山の奥深くへと入っていった。
「……何かいる」
アトラスが小声で警戒を促す。
プロメテウスは無言で頷くと、二人の部下に指で合図を出した。
何かあった時の為に事前に取り決めていたジェスチャーである。
プロメテウスが部下と共に影に潜むと、アトラスは音を立てて走り出した。
それに気づいた何かは、獣の動きでアトラスから逃げ出した。
しかし、隠れていたプロメテウスらによって取り囲まれ、捕らえられた。
唯一体の大きいアトラスを囮とした作戦は、功を奏した様だ。
「……なんだ? これは」
四人はギョッとした。
捕まえたそれは、異形の化物だった。
その化物を見た直後、彼の、意識本流が私に伝わってきた。
「この時までの俺は、幸せだった」と――。




