運命の人
自殺や家庭内暴力、闇金融などの話に軽く触れていますので、閲覧にはご注意ください。苦手な方は、回れ右をしていただければと思います。
最後の一人になってしまった…。
普段なら絶対履かない十センチ以上のヒールは私の両足を靴擦れだらけにしている。一昔前に揃えたパーティードレスはまるで似合わない。金欠のため自分で巻いた髪は、乱れてみすぼらしい。
引き出物の袋の紐が手に食い込んで、地味に痛い。
私は、いま泣きそうだ。
残っていた唯一の独身仲間が今日、結婚式を挙げた。
式の間際までしていた涙ながらの訴えは笑顔で却下された。
『私を置いて結婚するの?!裏切り者!』
『ほほほ、大丈夫。美紀ちゃんにもそのうち運命の人が現れるわよ』
『嘘だ!老後は一緒にルームシェアしようって言ったじゃない!!孤独死は嫌だよー』
『ごめんね。今度、安心ポットをプレゼントするから』
老人の安否確認に利用する商品名を言われ、私は咽び泣いた。そんなんじゃ、私の孤独は埋まらない。老後の不安に押し潰される…。
「ただいま」
誰がいるわけでもない一人暮らしの自宅にたどり着いて靴を放り投げる。ドレスが皺になってもかまうものか!そのままベッドに倒れ込んだ。
「歩美ちゃんの裏切り者ぉ」
あんなに幸せそうにすることないじゃないか!そのせいで、滅多に使わないデジカメの容量がいっぱいだ!もう三十をだいぶ過ぎた歳してふわふわのドレスなんて着て!まったくかわい過ぎた!
「なんて羨ましい…」
ばたつかせていた足を止めれば、部屋には時計の音が響いた。まるで隔離されているみたいだ。孤独死を気にする人間は、防音に隙のある物件を選んだ方が良いのかもしれない。
目を閉じれば、もう、起き上がる気になれなかった。
ピッと笛の音がする。
また、この夢かと私は体育座りしている足をことさら強く抱え込む。
夢の中での私は小学生だ。そして、さかあがりのテストを受けている。
先生の笛の音を合図に、みんながくるっとさかあがりをしていく。列は滞ることなく進む。
私はさかあがりが出来ない。
勢いをつけて地面を蹴っても、体は重力に押し負ける。
さかあがりが出来なかった子は、また、列の最後尾にもどり、順番を待つことになっている。
回を重ねる度、残される子は減っていく。
『美紀ちゃんも絶対できるようになるよ!』
鉄棒に背を向けた友人たちの姿は、遠ざかるごとに成長していき、その先で待つ誰かの手を取り消えていった。結局、いつまでたっても私は列から抜けられず、夕焼け空になるころには周りに人はいなくなっていた。
「どうして…」
独白に答える声などないのにつぶやいた。
「どうして私には見つけることが出来ないんだろう」
『いないからだよ』
常とは違う展開に目を見張る。あたりを見回すが、人影はない。
『君には相手がいない。それだけだ』
コツコツと乾いた靴音が近づいてくる。
『君が悪いわけではないよ』
夕闇から現れたのは、道化師の仮面をつけたタキシード姿の男だった。
「いない…の?」
これほど、切望して渇望してやまない相手がいないと言われて、私の声は掠れていた。引き絞るような問いかけに、彼は私の左手を指さす。つられてそこに目を落としても何も見えない。しかし、仮面の男がパチンと指を鳴らすと、薬指に巻きつけられた赤い糸が現れた。
「ほら、君の運命の赤い糸は切れている」
彼の言葉通り、それは巻きついているだけで、かの伝説のようにどこかへ続いているわけではなかった。
「また、誰かと結ばれる可能性は?」
地面に垂れている糸の先を拾って、恐る恐る聞いてみれば仮面の男は喉で笑った。
「運命の相手は、一生涯で一人だけ。でなければ、運命ではないだろう?」
手を伸ばし、私が手に持つ糸を自分に渡すように促す。素直に手渡せば、彼はそれをグイっと引っ張った。
「運命の糸を結んでも、君たちが相手を見つけられることは滅多にない。国が違う、年齢が違う、家格が違う、さまざまな理由で君たちは出会えない」
彼の目が私の目を見つめる。逸すことなど許されない、力のこもった目で見つめられる。
「…君の運命の相手は、出会う前に自ら命を絶っている」
理解するより前に、私の目から涙がこぼれた。
訳のわからない焦燥感と、喪失感で胸がしめつけられて、苦しかった。
「君の運命の相手は、もういない。心をすべて預けられる唯一無二の存在は、この先、決して現れない」
私は、地面に膝をついた。
夢の中だというのに、なんという後ろ向きな話。死ぬまで独りで生きていく覚悟を持てと、わざわざ宣告にきたというのか…。
流石、歩美結婚事件の傷は深いらしい。
「哀れだね…」
嗚咽する私の姿を見下ろして、彼はつぶやいた。
「君は、彼に会いたい?」
「会えないって、言ったじゃない!」
感情のままに怒鳴りつける。彼は、そうだね、と言って私の頭をなでた。振り払おうと手をかざせば、反対の手で掴まれる。
「なっ!」
「会えるよ、君が彼の生きている時間に戻ればいい」
「そんなこと、できるわけが…!」
掴まれていた手を力任せに振りほどく。立ち上がって、男の胸倉を掴んだ。
「できるよ、僕になら」
私の激情などお構いなしの冷静さで彼は言った。
「どうする?宮田美紀」
ふっと視界が霞んだと思ったら、信じられない衝撃が左顎を襲った。
鈍い音とともに脳へと振動が響く。思わずよろけた体は壁に支えられた。
「俺をバカにするのもいい加減にしろ!」
次に来た衝撃は耳をつんざくほどの罵倒…。
いまの気持ち、誰かに聞いてもらいたい。
ここ?!ここからはじまるの?本当に?まって、まって、まって、まって!!
うっかり、怪しげな話に乗っかった。過去へ私の時間を巻き戻すことに了承した。
まさか本当に時間を遡れるとは思っていなかったけれど、さっき殴られた顎がじんじんと痛むため、夢ではないのだろう。仮面の男に望んだとおり、私は未来の記憶を持って過去をやり直せるらしい。
しかし、この展開は考えていなかった。
本当に私は平和ボケをしていた。
恥ずかしながら、我が宮田家には黒歴史がある。
私が中一の夏、父が脱サラして脈絡もなくカフェ経営を始めた。軌道に乗ったと思ったのも束の間、中二の冬に経営が傾いた。中三の春、起死回生しようと、よくわからない自然食のレストランに手を出した。中三の秋、父がヤクザな闇金融にまで借金をしていたことがわかった。それから倒産、自己破産に至るまで、私たち家族は本当に大変な目にあった。
この時期、すでに闇金融の取り立ては自宅にまで及んでいた。学校には行くな、出歩くな、雨戸を開けるな、電話には出るな、という状況の中、玄関のドアを叩く音におびえて暮らしていた。
その日々に耐えきれなくなった私は、この日、爆発した。
『あんな店、つぶれればいい!』
この暴言に父の限界も超えた。
そして、私は人生で初めて人に殴られた。殴りなれていない父の平手は、頬ではなく顎に入った。
まあ、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、いまの私は父の脱サラを止めることも、カフェ経営を止めることも、闇金融への借金を止めることもできないということだ。前回と同じように…。
そして、これから父へ説得をする仕事が待っているということだ。前回と同じように。
気が遠くなる…。
父は尚も口角につばをためて、娘の私を罵っている。
「いったい、誰のために働いていると思っているんだ!」
わなわなと震える拳、血走った眼。私を見る形相は鬼のようだ。
台所で食器を洗っている母は、振り向かない。
ソファーにねそべる妹は、我関せずという姿勢でマンガを読むふりをしている。
いやだ、こんな家族…。
お盆の帰省のときに会った笑顔の両親と妹一家が脳裏に浮かんだ。
仮面の男様、さっきは私、感傷的になっていました。
運命の人に出会えない人なんていっぱいいるのに、ちょっと自分に酔ってしまいました。
ごめんなさい!
ひいては、もとの時間に戻していただくことはできないでしょうか?
お願いします!お願いします!!
必死の懇願に応える声はない。むしろいままでの日々が夢だったのだろうか?
父に店をたたむように毎晩殴られながらも訴えた。年を偽ってバイトをした。母と一緒に親戚へ片っ端から頭を下げて借金の申し入れをした。妹と二人で弁護士の先生を探した。家族みんなで父の説得をした。自己破産ができたときには家族みんなで泣いた。ヤクザな闇金融の方々には少しずつ少しずつ七年かけてお金を返して許してもらった。そのうち、取り立てのお兄さんと少し仲良くなった。父はタクシー運転手になって地道に働き始めた。妹は大学を出て結婚して赤ちゃんを産んだ。私は、高認をとって入社した会社で派遣社員になって、契約社員になって、正社員になった。
未来では、あの日々は笑い話だ。
『電気代が払えるっていいね』
時折そう言っては幸せの確認をした。
私は幸せだった。いま、この瞬間涙が出そうになるくらい。
あれをもう一度…?
精神年齢三十代には、過酷過ぎる…。
その上、今回は追加要素もある。いままで見て見ないふりをしていたけれど、左手の薬指に赤い糸。
ありがとう、仮面の男様。見えるままにしてくれたんだね!
たぶん運命の人につながるこの糸。無視するには存在感のありまくる糸。
この糸が切れる前に私は運命の人を見つけ出し、自殺を思いとどまらせなければならないと…。
いや、このあと私は、家族を救うために東奔西走する予定なのですが…。
人探しとさらに人生相談もついてくるの?
本当に泣きそうだ、バカ野郎っ!
とりあえず、私よ。この次の展開を思い出せ!
一挙一動が今後の命運を左右する。
うっかり一家心中とか一家離散とかしないように、選択を誤るな!!