foolgirl
部屋をのぞくと、子供が欠けているのに気づいた。あれ?と独り言をいった後、薄暗い部屋をさぐり、電灯のスイッチをつける。眩しくて、パチパチと目をしばたかせながら、ベッドにかかっている布団をめくる。いなかった。
大きなパンダのぬいぐるみと壁に貼ってある名前のしらないかっこいい人間が写っているポスター。あとはパソコンと小さな勉強机。到底隠れる場所はない。ちゃんと整理されたきれいな部屋だった。
あっれーコンビニでもいったんかねあの子。にしても音も立てずよく二階から玄関へ行けるねえ。どうしたんだろうかね。そんなことをつらつらと思う。
あてどもなくまわりをうろうろしながら、「昌子ーごはんですよー。ごはんよー。」
と試しに呼びかけてみる。返事がない。タンスの裏にでも隠れているのだろうか。と思ってそこかしこをひっくり返して見たけど。昌子はやっぱりいない。あきらめて階段を下りていくとかわいい顔がこちらを見ている。
「にゃーちゃん」
そう言うとにゃー。と答える生き物がこっちへ走ってきて足下にすり寄った。抱き上げて頭のにおいをかぐ。
「昌子ちゃんどこ行っちゃったんでしょうねぇ。よくないねえ。」
明るい部屋を離れ、真っ暗な廊下をぺたぺたと裸足で歩いた。廊下が冷たいから足の裏が痛い。つま先立ちでスキップしながら歩く。そんな私の気持ちが分からないにゃーちゃんは腕の中に入って暖かそうにしている。にゃーちゃんは重く毛の中の肉は柔らかい。
仕方ないのでテレビを見ながら一人で夕食をクチャクチャと食べた。ごはんと豚汁と魚の煮つけ。にゃーちゃんが魚の煮付けを鳴いてねだった。床に落としてやると首を上下に忙しく動かしてにゃうにゃう鳴きながら食っていた。
夫はまだ帰ってこない。このごろ帰りがおそいなあ何やってるのとテレビを見ながら思う。
腹がいっぱいになってソファに横たわっているととっとっと、天井から音がする。昌子だ。と思った。どこかに隠れていたのだ。とんだ娘だ。やっぱり騙された。
「やっぱり昌子いたんじゃない。ねえ、なんで出てこんのかねえ。」
にゃーちゃんに話しかけた。髭を何本か強めに引っ張るとにゃーちゃんは変な顔をする。おもしろいので何回もやった。
「ただいまー」玄関先で夫の声がした。
「おかえんなさい。」
とにゃーちゃんをおもいっきり踏みつけてやったあと、私は玄関へ駆け寄る。
ガーガーと掃除機を動かして居間を綺麗にした。そのあと朝に干していた洗濯物を取り入れた。綺麗になった居間で、長いこと日に晒されていた洗濯物を畳む。タオルは畳みやすいから先に畳んで畳むのは難しいシャツは後回しにする。録画した連続の刑事ドラマを見ながらパリパリに乾いてこわばった布を丁寧に折っていく。
「あんた、やってたんじゃないのか笹塚さん。いや、きみの言っていることは案外本当かもしれませんよ。犯人はすぐそばにいる可能性も出てきました。急ぎましょう。」デンデンデンデン太鼓が響く。怖い音楽が鳴る。ストーブのついた部屋で血塗れの死体を見ながら洗濯物をゆっくり畳む。後で温かいコーヒーを飲もうと思いながら畳む。昌子ちゃんはどこに行ったんだろうか。さいきんとんと姿を見ない。
「昌子ちゃんはどこかね。」隣にいる夫に聞いてみる。
「ああ、昌子、昌子だったら広島にいるよ。」
「あれ、そうだったっけ。」
「何回同じ事を言うんだ。おまえいいかげんにしなさい。」
夫はこっちを振り向かないまま怖い声で罵った。
「ああこわい。そこまでいわなくてもいいじゃん。」
「おまえが何回いっても分からないからだろう!」
「もういいじゃん、お父さんもうやめようよ。」
昌子が止めに入った。あれ、昌子広島にいるんじゃないの?
「昌子、帰ってきていたんだね」
髪が長く目が大きい見知った顔が横にあった。昌子の顔だった。いつの間に昌子は広島帰ってきたのか。いや、広島から山口までさほど距離はない、新幹線か何やらで私が知らんうちに帰ってきたのだ。知らないうちに物事がいつの間にか進んでいることはよくある。最近それが特に増してきたような気がする。
その髪の長い娘の方に向き直って、おじぎをした。
「よう帰ってこられました。」
まあまあ、コーヒーでも飲みなさい。そう促す私に、昌子は首を振って違う違うといった。
「うちは香織、香織よ。昌子と違う。」
香織と名乗る昌子がいう、その愛子という奴が昌子そっくりなのか、それとも昌子は本当は香織という名前だったのか、さっぱり分からない。
なんだか、胸の中がもやもやと煙ってきてコーヒーが飲みたいと思い始めた。コーヒーを飲んで頭をすっきりさせるのだ。
「昌子は広島。」
山口に居る昌子が追い打ちをかけた。
「いらいらするわー」
腹の底から吐き出すように愛子が言う。
「なぜあなたは笹塚を殺そうとおもったんだ。
あの男は、10年前俺の妻を殺したんだ。えっえっ。」
私は、シャツを畳もうとするけれども、体が重くて腕がうまく動かない。
黒い大きな魚は全部で13匹居た。これ全部下ごしらえするのは、面倒だなあと思いながら包丁をたてにして鱗をとる。まだ魚は生きていて、手でぎゅっとつかめばつかむほど、それに抗うようにびくびくと元気に跳ねる。もう何時間もクーラーボックスに入ってずっと息もできていないのに元気だなあと思いながら、鱗がすっかり取れたのでえらの下に包丁を入れて横に滑らせる。すっかり弱った魚の体に指を入れて内臓を掻き出す。ピンクと赤と白のが混ざったお菓子のムースみたいなものがたくさん三角コーナーに溜まる。色はきれいなのに当たり前のように生臭い。内臓をとっても魚は時々小刻みにぴくぴくと痙攣していた。新鮮なうちにだしをとらなきゃねえ。沸騰させておいたお湯に入れた。台所の蛍光灯の下で熱湯に浸かった魚はだんだんと白い色になっていく。
「お母さんおいしいじゃん。」
夕飯のとき、昌子にほめられた。うれしかった。夫は昌子にばかり話しかけていた。「これは誰からもらった魚なのか」とか、「酒が進むな。」とか。
「お父さん、香織はいつ帰ってくるのかね。」
昌子とばかり話している夫にそう話しかけた。夫は何も答えないで、昌子が、
「お母さん、うちは香織よ。」
と下を向いてそういって。
「やっぱり生きたまま料理すると新鮮でいいね。」
と私に向かって笑って、結構な量だし食べきれないから冷蔵庫にしまっておこうね。そう言って沢山の残りが入った皿にラップをかけた。