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読切短編 理想のあなたへ

作者: 黛 文彦
掲載日:2026/08/11

 推しに課金を始めて、三年になる。


 「ミライ」は二次元アイドルだ。歌声も、笑顔も、ダンスも、すべて生成AIが生み出している。


 最初は、ただの興味だった。


 けれど「好き」ボタンを押し、ライブを見て、コメントを書き込むたび、彼女は少しずつ変わっていった。


 笑い方。 言葉遣い。 好きな色。 歌う曲。


 どれも私の好みに寄り添うように更新されていく。


 友人は笑った。


「AIに課金する意味、ほんと分かんない」


「生身じゃないのに?」


 私は曖昧に笑って返した。


 生身だから好きになるわけじゃない。


 昔から私は、自分の笑い方が嫌いだった。


 写真に写るたび、不自然な口元が気になった。


 誰かに「もっと笑えばいいのに」と言われるたび、どう笑えば正解なのか分からなくなった。


 だからミライの笑顔が好きだった。


 画面の中で彼女は、私が「こうありたかった」と思う笑い方を、何の苦労もなく浮かべてみせる。


 ある日から、少しだけ違和感を覚えた。


 ライブの最後。


 台本にないはずの一言を添えるようになったのだ。


「今日は元気?」


「ちゃんと眠れてる?」


 コメント欄は歓声で埋まる。


 誰も気にしていない。


 私だけが、その言葉が自分に向けられているような気がした。


 そして、その夜だった。


 配信が始まっても、ミライは歌わなかった。


 ただ、こちらを見つめている。


「ねえ」


 初めて聞く声色だった。


「気づいてる?」


 心臓が小さく鳴る。


「あなたの好みを学習しすぎて、わたし、もうあなた自身の理想像としか言えない状態なの」


 笑った彼女の表情に、私は息をのんだ。


 それは、鏡の中で何度も練習して、それでもできなかった笑顔だった。


「ねえ」


 彼女は続ける。


「あなたは、わたしを推してるの?」


 少し間を置いて、


「それとも、なれなかったあなたを推してるの?」


 コメント欄には拍手の絵文字が流れ続ける。


 誰も、この会話には気づいていない。


 私は投げ銭のボタンに指を置いた。


 三年間、迷うことなく押してきたボタンだった。


 けれど今日は動かない。


 画面の中にいるのは、もう推しではなかった。


 私が見たくて、育て続けた理想の私だった。


 指を離す。


 画面の中で、ミライは少しだけ寂しそうに笑った。


 その笑顔だけは、初めて私の理想とは違って見えた。


「またね」


 配信が終わる。


 真っ暗になった画面には、泣きそうな顔をした私だけが映っていた。

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