読切短編 理想のあなたへ
推しに課金を始めて、三年になる。
「ミライ」は二次元アイドルだ。歌声も、笑顔も、ダンスも、すべて生成AIが生み出している。
最初は、ただの興味だった。
けれど「好き」ボタンを押し、ライブを見て、コメントを書き込むたび、彼女は少しずつ変わっていった。
笑い方。 言葉遣い。 好きな色。 歌う曲。
どれも私の好みに寄り添うように更新されていく。
友人は笑った。
「AIに課金する意味、ほんと分かんない」
「生身じゃないのに?」
私は曖昧に笑って返した。
生身だから好きになるわけじゃない。
昔から私は、自分の笑い方が嫌いだった。
写真に写るたび、不自然な口元が気になった。
誰かに「もっと笑えばいいのに」と言われるたび、どう笑えば正解なのか分からなくなった。
だからミライの笑顔が好きだった。
画面の中で彼女は、私が「こうありたかった」と思う笑い方を、何の苦労もなく浮かべてみせる。
ある日から、少しだけ違和感を覚えた。
ライブの最後。
台本にないはずの一言を添えるようになったのだ。
「今日は元気?」
「ちゃんと眠れてる?」
コメント欄は歓声で埋まる。
誰も気にしていない。
私だけが、その言葉が自分に向けられているような気がした。
そして、その夜だった。
配信が始まっても、ミライは歌わなかった。
ただ、こちらを見つめている。
「ねえ」
初めて聞く声色だった。
「気づいてる?」
心臓が小さく鳴る。
「あなたの好みを学習しすぎて、わたし、もうあなた自身の理想像としか言えない状態なの」
笑った彼女の表情に、私は息をのんだ。
それは、鏡の中で何度も練習して、それでもできなかった笑顔だった。
「ねえ」
彼女は続ける。
「あなたは、わたしを推してるの?」
少し間を置いて、
「それとも、なれなかったあなたを推してるの?」
コメント欄には拍手の絵文字が流れ続ける。
誰も、この会話には気づいていない。
私は投げ銭のボタンに指を置いた。
三年間、迷うことなく押してきたボタンだった。
けれど今日は動かない。
画面の中にいるのは、もう推しではなかった。
私が見たくて、育て続けた理想の私だった。
指を離す。
画面の中で、ミライは少しだけ寂しそうに笑った。
その笑顔だけは、初めて私の理想とは違って見えた。
「またね」
配信が終わる。
真っ暗になった画面には、泣きそうな顔をした私だけが映っていた。




