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公爵家の長女は婚約解消されました、家族の期待を置いて新しい私を生きます  作者: 小竹X


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第二十二話 谷の夜警

 夜警を立てると決めた夜、白楡館はいつもより早く静かになった。


 静かすぎる屋敷は、古い木材の軋む音まで大きく聞こえる。廊下の灯りを落とし、小客間と台所だけに火を残した。窓には厚い布をかけ、外から中の人数が分からないようにする。


 セドリック様は、アシュフォードから二人の従者を連れて来た。


「脅かすつもりはありませんが、相手が証拠を消しに来る可能性があります」


「古い製粉小屋ですね」


「ええ。今夜、見に行きます。ただし、あなたは白楡館に残ってください」


 私はすぐには頷けなかった。


「私の領地です」


「だからこそ、あなたが屋敷にいる必要がある。何かあったとき、白楡館の人々を動かすのはあなたです」


 正論だった。


 自分で現場へ行くことだけが責任ではない。そう分かっていても、待つことは難しい。


「分かりました」


 私は地図を机に広げた。


「製粉小屋へ行く道は二つ。村側からと、森の裏道。相手が荷を動かすなら、馬車が通れる村側でしょう。裏道にはノエを行かせません。大人だけで」


「了解しました」


 セドリック様は、私の指示を自然に受け取った。


 そのことが少し心強かった。


    ◇


 夜半、雨が降り始めた。


 小客間には、ガスパル、エリーズ、マルタ、ロワ先生、メイが集まっている。トマと子どもたちは奥の部屋で眠っていた。ノエは馬屋に行きたがったが、マルタに首根っこをつかまれ、台所でじゃがいもの皮をむかされている。


「夜警でじゃがいもですか」


 ノエが不満そうに言う。


「手が空いていると余計なことを考えるからよ」


 マルタがきっぱり答えた。


 私は思わず笑った。


 笑い声が少しだけ部屋を暖める。


 待つ時間は長かった。


 時計の針が進む音、雨が窓を叩く音、遠くで馬が鼻を鳴らす音。どれも何かの合図に聞こえる。


 メイが帳面を握りしめていた。


「リディア様、怖くないですか」


「怖いわ」


 正直に言うと、彼女は驚いた顔をした。


「怖くても、座っていられるのですか」


「座っている方が役に立つときは」


「私、怖いと走り出したくなります」


「私も」


 メイは少し笑った。


 怖さを隠さずに共有すると、怖さは少し形を変える。消えはしないが、部屋中を満たす霧ではなく、机の上に置ける石になる。


    ◇


 深夜近く、外で馬の足音がした。


 全員が顔を上げる。


 玄関へ走りたい衝動を抑え、私はガスパルに目配せした。彼が静かに扉へ向かう。少しして、低い声が聞こえた。


「私です」


 セドリック様だった。


 扉が開くと、彼と従者たちが濡れた外套で入ってきた。後ろには、村の男が二人と、縛られた商会の下働きらしき若者がいる。


「証拠は?」


 私が尋ねると、セドリック様は頷いた。


「ありました。製粉小屋の床下に、薬瓶、布、塩、そして慈善基金の印が入った木箱が隠されていた」


 部屋がざわめいた。


「火をつけられる寸前でした」


 従者が濡れた布に包んだ油壺を見せる。背筋が冷えた。


 もし今夜見つけられなければ、証拠は燃え、製粉小屋の火は森へ移ったかもしれない。


 縛られた若者は震えていた。


「俺は、言われただけで。ボルマンの支配人に、古い荷を処分しろって」


「誰からの命令か、書面はある?」


 私が尋ねると、若者は首を横に振った。


「でも、荷札と帳面はあります。小屋に」


 セドリック様が小さな帳面を出した。


 そこには、黒い荷札の印と、日付、行き先らしき略号が並んでいる。


 ミレイユ。


 北砦。


 王宮基金。


 私はページをめくり、指先が冷たくなるのを感じた。


 これは白楡館だけの問題ではない。


    ◇


 夜明け前、証拠品を白楡館の地下倉庫へ移した。


 ロワ先生とガスパルが目録を作り、メイが写しを取る。セドリック様の従者が封をし、アシュフォードの印を押した。私はミレイユ領主として署名した。


 疲労で手が震えたが、文字は崩れなかった。


「王妃様へ送ります」


 私は言った。


「写しはアシュフォード、ローウェン公爵家、そしてミレイユの台帳にも残します」


「公爵家にも?」


 ガスパルが尋ねる。


「父が関わっていなくても、前代理人の監督責任は公爵家にあります。隠せば、後でこちらが不利になります」


 セドリック様が頷いた。


「正しい判断です」


 今度は採点されている気がしても、腹は立たなかった。


 朝日が昇るころ、雨は止んだ。


 白楡館の庭には、夜の水たまりが光っている。ノエは台所の椅子で眠り、メイは帳面を抱えたまま机に突っ伏していた。マルタが皆に薄いスープを配る。


 私は温かい器を両手で包み、ようやく息を吐いた。


 証拠は守った。


 けれど、黒い荷札が示す先は王宮にまで伸びている。


 春は明るいだけではない。


 雪の下で腐っていたものも、同時に顔を出すのだ。

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