光 八
手術着を脱ぎ、急いで術後の患者の様子を確認しようと準備室から出て歩いていた神原が。
驚いて、反対側から歩いてきた医師をみる。
「―――辰野さん?」
「お、―――何だ、神原か、…――――やたら手術終わるの早いと思ったら、おまえまでいたのか、…――そりゃあ、当然だな」
いいながら軽く手を振ってあきれたようにいう辰野を見返して、思わず足を留めて神原が驚いた顔のままでいう。
「僕まで、っていうのは?」
「違うのか?そうだろ?おまえさんも、神代先生の強引さに負けて、今回の手術ヘルプに来てたんだろー?おれも、休日だってのに負けて来ちまったよ」
「―――ヘルプというのは、病理診断で?」
「当り前だろー、神原君。病理医がいなかったら、君達お手上げなんだから、大切にしなさい。この病院、いま病理医いないからなー。迅速診断するのに病理医が必要だからって、この手術の為に呼び寄せやがって、…たく、神代のやろー」
いいながら両手を組んで背を伸ばしてみている辰野に驚く。
「病理医が、…それで、手術中の診断をする為に、辰野さんを?」
「そう、お休みなのにな。処で、何処へ急いでたんだよ?」
「―――――…いえ」
「あ、患者さんか、そっちじゃなくて、こっち。お互い、知らない病院に呼びつけられたら困るよなー」
辰野が案内する処に近付いて、驚く。
「…―――――」
術後管理室と表記された無菌室に看護師が消毒の手続きをして入っていく。
「まったくなあ、…。いまここじゃあ、殆ど手術してないからって、術後管理はこの一室だけでやってるんだと。…ありえねーよな。他所から看護師もチームで連れて来て。神代ちゃん、横暴すぎ」
あきれた声でいいながら伸びをする、細身で長身の辰野が腰を捻りながらいうのに。
管理室を外からみることのできる――旧式だが――窓から、患者の様子をみながら。
「外から、それも?」
「あきれるだろ?まったく、…――――それよりさ、おまえ」
「…はい」
視線を動かせないまま見詰める神原の耳許に、悪戯な顔をして、辰野が手を内緒話をするようにおいて、こっそりという。
「あのさ、おまえ、どんな弱みを握られて此処に来たんだよ?」
「…――辰野さん?」
思わず、瞬間険しい顔になりかけて、留めていう神原に。
にっ、と辰野が笑む。
「おれはさー、神代の奴に脅されたんだ」
「…――神代先生に?」
僅かに眉を寄せて振り向いていう神原に。
にこやかに笑んでみせて。
「だからさ、脅されたの。弱み握られてさ」
「…弱みって」
訝しげにみる神原に、こっそり。
にっこりと。
「…―――かみさんにサプライズで花プレゼントしよーとしたらさ、サプライズバラすって脅されてー。神代、卑怯だろー?ひどいよなーまったくー」
楽しげに棒読みでいって、辰野が笑むと。
ぽん、と神原の肩を叩いて。
「ま、あいつが何をいって、おまえをやる気にさせたのか知らないが、…良かったよ。此処へおまえが戻って来て。えらーい病理医の辰野先生が、おまえらのことサポートしてやるから、これから有難く頼れよ!」
「…―――辰野、さん」
驚いて、声も無いままに。
思わずも背を向けて、ひらりと手を振って去る辰野を見送って。
茫然としている神原に。
「何してるんだ、患者の様子みるぞ」
「え、…――――」
驚いて振り返った神原を見あげて、やはり気に食わないように神代が黒瞳できつく睨むようにしていうのに。
「はい、あの、…―――」
「はい、あのじゃない。おまえ、まったく、おれは百七十八あるんだぞ?何で、その俺より背が高いんだよ!」
「ええと、…確か、百八十少しです、僕の身長」
「…―――気に食わないっ!」
いいながら背を向けて、マスクを着け手を消毒して管理室へ入ろうとしながら。
思わず見送っている神原を振り向いて。
「何してるっ!行くぞ!」
「…――――はい」
驚きながら、つい頷いて。
そして。
つい、神原が頷くのに、頷いて前をみて中へ入っていく背に。
「…――――」
まったく、…―――――。
一体、この人は、と思いながら。
微苦笑を思わずも零して。
「遅い!神原!」
「…――すみません。…――――」
中に入っても背を向けたまま、いや、患者を手袋をした手で触れてみている神代に、そういってから、―――――。
看護師と技師がついている枕許の患者の容態を示すバイタルをみながら、茫としたようにもみえる様子で、神原が歩み寄っていくのに神代がその背を見つめる。
強い視線で神代がみる前で。
「…――――」
患者の容態を示す数値を見ながら、神原が視線を彷徨わせる。
「―――――…触れても、いいですか?」
その神原の視線が、患者の顔をみた途端に、視線が蘇るようになるのを。神代がしずかに見つめる。
看護師が神代をみて、神代が頷くのに気付かずに。
「はい、――手袋はしてらっしゃいますね?どうぞ、―――」
「ありがとうございます」
いいながら、神原が慎重に患者の手に触れ、脈をとり、全身の様子を詳しく診ていくのを。
―――――…。
神代が、その神原をしずかに見詰める。
そして、神原を見るのをやめて、神代が患者の足許を確認していたとき。
「…―――――」
神代が視線を上げて、同じように足を確認する手を伸べて、驚いたようにみる神原に視線を合わせて。
それから、視線を患者に戻して、足裏を確認しながらいう。
「…血流は悪くない」
「--――…そうですね、…―――栄養とビタミンの投与は」
神原の問いに、無言で神代が顔を上げる。
視線を向けられた先の看護師――いや。
看護師の隣に立つ女性が微笑んで頷く。
「栄養を考えて、投与量を計算して、いまから投与してもらいます」
「…―――あなたは?」
神原が顔をあげて訊くのに。
「栄養士の秦野です。術前と術後の患者さんの栄養状態をみさせてもらっています」
「…栄養状態を、…―――神代先生」
振り向く神原に応えず、神代が少し慌てたように云う。
「じゃ、後は頼んだから。…――――じゃあっ」
「え、…神代先生?」
驚いてみる神原に背を向けて、慌てて出て行く神代に。
くすり、と看護師と栄養士、それに技師達が笑う声がして。




