光 七
手術室に入って来た神原に、神代が視線を向ける。第一助手の位置につく神原に、無言で視線を向けただけで。
開腹に移る準備が出来て、手術台での位置も変わっている患者の腹部を前に、神代が視線を落とし、しずかに云う。
「これより、開腹による卵巣腫瘍切除、及びに大網他、腫瘍切除術を行う。視認できる腫瘍はすべて切除を行う。リンパ節に関しては生検確認後、必要な場合に第一群切除。…――メス」
滑らかに神代がメスを手に手術を始める。
その前に助手として立ち、神代の要求に応え、或いは、要求のある前に術野の確保に、その他の処置を行いながら、――――。
感嘆していた。
目の前でみる、腹腔鏡ではない、開腹での手術。
切り、縫い、或いは焼灼し、…――患部に辿り着き、処置をする。単純にいえば、それだけのことだ。
―――これほどの腕が、…――――。
速く、滑らかに、ためらわず。しかし、必要な箇所では丁寧に、時間を掛けすぎるかと思われるくらいにかけて。
実際に、手術というのは、いまも単純な野蛮な行為だ。
人の身体を刃物――あるいは、いまは電気が生む熱で―――傷付け、切り、或いは焼き、そして縫う。それも針と糸を使って縫うというのだから、人類の技術というのは、まるである意味進歩していない、と思うときがある。
人の身体を、切って、針で刺し、糸で縫う。
馬鹿げた行為だ。
そうおもう。
おそらく、もっと進歩した未来では何であんな野蛮な事を、といわれているような行為にすぎない。
けれど、…―――。
「神原」
「はい、…―――0.1モノナイロン、先端角型の針でください、…――――」
御木が神原の要求に驚きながら、針と糸を渡す。
それに視線を向けず、神代が手を止めずに看護師に要求する。
「篠原さん、モノポーラ」
「はい」
神代が新たに卵巣背後に見つかった腫瘍を切除する前で、神原が胃から下がる大網と呼ばれる器官―――胃から大きな網のように下がり、臓器の一部を覆うように垂れることから、大きな網、大網と呼ばれている――を先に神代が神原を呼ぶ前に切除した箇所―――を神原が縫っていく。
御木と看護師達、麻酔医も技師もまた驚いて見詰める前で。
「リンパ節、生検お願いします」
神代が切除した腫瘍を金属の皿に乗せ、その後、さらにリンパ節を切除して乗せるのに。
神代ではなく、神原がくちにするのに、看護師が驚いてみる。
それに、ちら、と神代が患部から視線をあげて。
「渡して」
「あ、はい」
水瀬看護師が慌てて記録をつけ、リンパ節を置いた器を検査の為に待機している病理医の下へ運べるように、手術を直接担当せず、補助を行う看護師の一人に渡す。
「斉藤さん、ですか?技師の人。…体外循環の準備はどんな状況です?」
神原が視線を処置している患部に落したままいうのに、驚いて技師の斉藤が応える。
「は、はい。準備は出来ています、―――神代先生?」
驚いたまま神代を見ていう技師に。
「―――このままなら使わないで済む、…。だがもし、後二十五分しても、切離が終わらなければ必要になる可能性がある。注意して待機してくれ」
視線を処置する箇所に置いたまま神代がいい、麻酔医に訊ねる。
「榊先生、…患者の状態は」
「はい、…―――出血量、五十です。心拍、呼吸共問題ありません」
「ありがとう、…―――神原、おまえならどうする」
「見える部分は切除できたと思います。後は腸ですが、…―――」
「事前の大腸内視鏡には異常が無かった」
「そうでしたね。小腸のカメラ検査はまだでしたが」
「そうだ。一応、数値とエコーではみえていない、が、…」
「そうですね。斉藤さん、腹部エコー」
神原が視線をあげていうのに、斉藤が慌てて手術時にも使える仕様の腹部エコー装置を神原に手渡す。
神代がエコーを動かすのを神原に任せ、共に画像を眺める。
「…――――みえる限りでは、」
「なさそうだな、…。よし、斉藤さん、ありがとう」
「は、はい」
斉藤が機器を片付ける前で、患部を見直し、神代が云う。
「片側の卵巣を切除し、卵管を上部より2cm処置する」
「切除は片方で?」
訊ねる神原に、神代が視線を合わせる。
「そうだ。どうする?」
僅かに視線を変え、訊ねる神代に。
御木、看護師に技師達が息を呑んで見詰める前で。
神原が僅かに俯き、考えるように視線を伏せる。
「…――――片側で良いと思います」
はっきりと、視線を上げていう神原に。
神代が強い黒瞳で見詰め返す。
そこへ。
「リンパ節生検終わりました!転移ありません」
「…―――よし!わかった!神原、片側卵巣及び卵管上部切除後、閉腹するぞ」
「…――はい、わかりました。モノポーラ、神代先生に」
神代の強い視線を受け止め、神原が柔らかく看護師に指示する。
先に必要とする器具をいわれた神代が神原をみて。
神原が黒瞳を見返す。
「…―――ありがとう、神原」
「はい」
神代が器具を受取り、看護師に礼をいい、神原に。
言葉で具体的に指示しないのに、既に神代が必要とする処置を患部の周辺に行い始めている神原をみて、御木が目を見張る。
神代が必要とする処置を、先回りして、無駄なく。
滑らかに、神代がサポートを受けて、腫瘍の切除を行っていく。
速く、正確に無駄が無く。
そして、必要な処置を、確実に。
正確に必要なだけ切除し、血管を損なわずに。
滑らかに、優雅に、そして、…――――。
患者に、最小限の切除であり、最大限の切除でもある、そのぎりぎりの箇所を極めて厳しい位置を選び取って。
神代が、その手を最後に止めて、遣り残しはないかと見るように、しばし視線を置く姿を神原が見つめる。
そして、神代が視線を上げる。
何かを、決定した強い黒瞳で。
「閉腹する」
「はい」
神代の視線を受け止めて、神原が見詰め返す。
僅かに、そして神原が微笑むように―――僅かにその目許でみえたのに、御木が驚いて。
神代が神原に頷き。先に斉藤技師にいった二十五分より早く、二十分で手術が終了し、患者がその後の看護に託される。――――




