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光   作者: 高領 つかさ(TSUKASA・T)


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光 六


「…―――――何っ、」

神代が構える先に、真面目な顔をした男の子が。

 吉原と、その背後のベッド近くの看護師、それに。

 ベッドに半身を緩やかに起こすようにしてみている女性が微笑んでいて。

「チャージ!カイザー!」

子供が真剣に手にしたメダルか何かを向けて、変身ポーズをとるのに。

「…く、くそっ、卑怯だぞっ!」

神代が真剣に向き合って、倒れながらこどもを睨み返す。

「よし、かったー!せんせー、よわいよ!」

「…弱くて悪いか!卑怯だぞ、丸腰なんだからな?」

「へーんだ!かちはかちだもんね!」

えらそうにいうこどもに、神代が真剣に片眉を上げて睨む。

「…次はかならず勝つ!」

「またかえりうちにしてやるから!」

む、と睨みながら立ち上がる神代に、吉原が笑いを堪えながら歩み寄る。

「神代先生、患者さんに」

「…――――不意打ちがあるなら、教えてくれ」

「僕は中立ですので」

小声でいう神代に、吉原が楽しそうに笑みを零しながら。

「…―――あのな、…。どうですか?具合は?」

いいながら、真面目な顔に戻って、ベッドに横になる女性に向き合う神代に、女性が微笑む。

「すみません、大樹が」

「…元気の良いお子さんです。お母さん、あなたの具合はどうですか?」

「はい、おかげさまで。大丈夫です」

母親が微笑んで廊下と扉の境目で遊んでいるこどもをみていうのに、ちら、と視線を神代がこどもに投げる。

 先に神代を不意打ちしたことも忘れたように、別のおもちゃを出して、部屋と扉の境界線をレール代わりにして走らせて遊んでいる大樹をみて。

 視線を、神代が患者に戻す。

「お母さん」

「はい」

「予定していた通り、やりましょう」

「――――はい、ありがとうございます」

外を風が渡る音と、おもちゃの車をレールに走らせる音が聞こえる。






 神原の見詰める前で、手術室に神代が入って来る。古い設備だが、手術室を見下ろせるように見学室が作られている。

 その硝子張りの前に、手術している手許を記録しているカメラの画像がみられるモニタを隣に。

厳しい視線で神代を見つめる神原の前で。

「…――――」

 僅かに驚いて神原が眸をひらく。

 患者を前に、神代が宣言する術式。

「腹腔鏡による卵巣腫瘍検体採取をこれより行う」

 確かに、それは今日の手術に対する術式として、解っていたことだが。

 ―――本当に、腹腔鏡で採取を?それに、…――――。

術野――手術をする手許を映すモニタにも、確かに腹腔鏡でつける僅かな傷しか、位置は決められていない。

 しかし、…あの検査結果では、…―――。

確かに腹腔鏡を挿入する為の準備として、ガスが注入されている患者の腹部を映し出す映像をみて、硝子越しに窓から神代を神原がみる。眉根を僅かに寄せ、険しくみえかねない表情でみていることにも気づかず、真剣に神代の手を見守って。

 腹腔鏡を用いる手術の際には、腹腔鏡を挿入する箇所の処置は助手に任せる医師が多いが、いまは神代が自身で慎重に行うのを見詰めながら。

 ―――腹腔鏡は、確かに創部が小さくて済んで、検査にも向いていないといえないことはない、…、けれど、…卵巣の場合は。

 卵巣に腫瘍があると疑われる場合、確かに生検と呼ばれる、検査する細胞、腫瘍の良性と悪性を診断する為に、身体に傷をつけて生きている細胞を取らなくてはいけないことが多い。

 実際に、腫瘍マーカーと呼ばれる指標や、画像を撮影する検査だけでは診断することができず、身体に負担を与える手術が必要になってしまうことが多いのだが。

 腹腔鏡では、しかし、…――――。

 腹腔鏡では、何よりも熟練が必要になる。さらに、腫瘍が悪性であった場合、採取することにより、腫瘍を外に撒いてしまうことになることがある。さらに、デリケートな臓器である為に、開腹を選択する場合が多い。 そして、そう。

 …―――――検査結果からだけでは、確かに何ともいえないけれども。

厳しい表情で神原が見詰めるのは。

 臓器に、既に卵巣から他の箇所へと、腫瘍が浸潤していたら。

 卵巣腫瘍は、特に痛みや何かを訴える症状が出る臓器ではない為に、かなり進行してから見つかることがある。

 その場合、表に出る症状ははっきりしたものが無くても、既に腹膜や他の臓器へと腫瘍が浸潤する―――広がっている、ことがある。

 それらが、既に切除しきれない範囲に広がっていることも。

「…―――――」

 もし、それらが見つかったら。

 いや、この場合、もしそれらを見逃したら。

 開腹で行う場合は、視野を広くとることができる。それは、隠れている腫瘍を見つけやすいということでもある。

 だが、腹腔鏡は、…――――。

腹腔鏡の良さは、傷――手術で身体につける傷が小さいことにある。それは、身体の治りを早くすることができる、侵襲性、身体に付ける傷が少ないことが一番の利点である手法だが。

欠点は、術野が狭いこと―――つまり、見える範囲が狭いことにある。そして、その狭い範囲を直接みないで手術する―――それも、特殊な器具を使って――という、難易度にある。

また、器具を動かせる自由度も低い。

慣れていなければ、失敗もしやすい、―――術野にみえない箇所の血管に傷をつけ、出血させた場合に、開腹していれば、すぐに対処できた場合でも、腹腔鏡の場合、もしそれが開腹しなければ対応できない場合には、すぐに決断しても、まずメスを入れて開腹―――皮膚を切り、処置しなくてはいけない箇所に到達しなければいけないというロスがある。

もし、その際に悪戯に腹腔鏡に拘り、時間を浪費すれば、出血が取り返しのつかない物に簡単に成り得る。

腹腔鏡の為にあけている小さな穴からは、無論、その範囲を超えた場所に到達することはできないのだから。

万が一のとき、何か起こったときの為に、事前にシュミレートしておかなければ、そして、麻酔医も含めてチーム全体がその準備が出来ていなければ、簡単に腹腔鏡から開腹に移る、などということはできない。

腹腔鏡でみている箇所に、どうしたら開腹で一番ロスなく辿り着けるのか。

この簡単なシュミレート――事前に想定しておくこと――が。準備して、どう動けばいいかを、手術を行う外科医だけでなく、チーム全体で動きを確認しておけなかった、それだけの為に、手術ミスで失われてしまう命がある。

腹腔鏡での、危険な過誤―――恐ろしい場所を覗き見ない、事前に想像する力、事前にどんな危険が想定されるかを見切れていない愚かさが、医師の、或いはその医師を止められない組織の愚かさが、患者一人一人の掛けがえのない命を失わせるミスを生んでいく。

――――それに、…神代先生は、産婦人科医ではない、…。

準備を終えて、腹腔鏡を挿入しようという神代を見詰めながら、厳しい神原の視線が憂うようなものに変わる。

 卵巣腫瘍、卵巣に関する処置は、やはり産婦人科医が担当することが多い。卵巣、子宮―――それらのデリケートさは、やはり、それを専門に診ている産婦人科の医師が中心になり治療することが多いからだ。

 尤も、腫瘍――癌である場合には、産婦人科医以外が対応することも、やはりある。

 ―――――できるんですか?

若い医師が助手についているのを見ながら、心の中で問う。

 それは、無理な手術を引き受けているのではないのか、と。

 ――――この病院の現状を考えても、…――――。

手術後に専門で患者を看護する設備がなければ、対応する場所になるICUが、殆ど稼働していなかった現状を思い返す。

 ――どんな簡単な手術でも、本当に簡単ではありえない。

厳しい視線で腹腔鏡を挿入していく神代を見る。

 手術だけでは終わらない、―――その後の看護がうまくできなければ、…――――。

 或いは、予期せぬ反応が出たときに対処できる状態を保っていなければ、本来は手術を行うべきではない。

 どうするつもりですか?

見詰めながら、そして。

 ――――止めるべきだったろうか?

あのICUの状況で手術を行うのは無謀だと、…―――。

 何事もなければ、確かにICUが必要となる規模の手術ではなくとも。

 揺れるように思いながら、少しばかり、泣きそうに情けなく、己を嘲笑するような、心持ちで。

 ―――いま、そんなことを思ってどうする?

決断できずに、…―――?

 すでに、いま手術に入っている患者を目の前にして。

「僕は、…――――」

くちから言葉が漏れて、気づいて苦笑していた。拳の背をあてて、微苦笑を零して神代の背を見つめる。

 何の問題もなく行われているとみえる光景。

 それに、…―――。

「…――――、」

 ふと気付いて、左側に置かれたモニタを振り向いていた。

 動いた何かが、神原の視線を引いていた。

「…これは、」

慌てて、眼下にみえる神代の背と、手許を映す、そして、いまは術野――腹腔鏡から見える視野を映すモニタをみる。

「…これは、―――…」

茫然と言葉を失くして、その手術を、…―――。

 対象に辿り着き、無駄なく、…―――――。

 なめらかに、…。

「これは、…」

もう一度呟いて、無意識に手を下ろし、真剣に食い入るようにその画面を見始めていた。

 ぎこちなく動いて当然にさえ思える器具が、その視野の中でしなやかにさえみえる。

 ――あれだけ、動きが制限される中で、…――――。

余計な切除をしない。滑らかに、不必要な動きをせず、だが、確実に辿り着いていく。

「…―――――凄い」

思わずも画面に吸い込まれるように、その手技、―――器具を操るさまをみつめて。

 まるで、開腹で直接メスを手に握るような。

まったく、限られた視界の、不自由な動きしかできない器具の限界を感じさせない、滑らかさに。

 ―――それに、血管を、…不必要な血管を、一つも傷付けていない、…―――。

まるで、罠のように張り巡らされた細い血管が、存在していないように。

 そんな訳は無い、…――――。

血管が一番豊富で知られているといえば肝臓だが。

 そこまではいかなくとも、…――――。

「何て、…―――」

思わずも、言葉と微苦笑が漏れていた。そのおかしみは、事前とは異なるもので。

 ―――まったく、この腕を持つ人の心配を、勝手にしてたと?

腫瘍を散らす心配も、この手の持ち主なら、する必要はないだろう。

 検体を採取する目標へと辿り着き、滑らかに検査用の切除を行う手技を見詰めながら。

 ―――滑らかだな、…―――。

思わずも感嘆して、苦笑して。そして、採取した検体を外へ出す、―――その処置を行うときに視野の中に現れたものに。

「…―――――――!」

神原は、目を見開いていた。

 神代が、手を僅かに止め、次に何事も無かったように検査する部分を身体の外に出すのをみる。

 その背に、緊張はみえない。だが、…――――。

「神代先生、…――――」

腹腔鏡に取り付けられたカメラが、慎重に周囲を移動できる範囲で映し出す。

 そこに、映し出されているのは。―――

生検に運ばれた細胞は、いま検査されているのか。

 モニタから、動かない神代の背を神原が見詰める。

 苦しいように、その背を。

「これは、…――――」

 一瞬だが、視野にみえたもの。

 そして、その後、神代が操作する腹腔鏡の術野にみえたものは。

「どう、…―――」

どうするんですか、と。問い掛けてくちを噤む。此処から声は届かない、何より、――――。

 喩え、いま見えたものが。

神原が見詰める先に。

 看護師が入室して、生検の結果を伝える。

 緊迫した表情から、おそらく悪性であったろう、ということが解る。厳しくくちを結び、その手術室の様子を見つめて立ち尽くす神原に。

 突然、スピーカーから声が響くのに。

「神原!」

「…―――神代先生?」

思わず、茫然として神原が見下ろす前で。

 毅然とした黒瞳で、神代が神原を見詰めているのがみえて。

「…なにを、―――」

「降りて来い!開腹に切り替える!これから、開腹に寄る卵巣切除及び、胃大網他腹膜腫瘍等、拡大切除術を始める!神原呼んで来い!」

「え、…―――それは、」

神代先生、とおもわずも呟く神原にもう視線は置かず、神代が何か麻酔医に話し掛けているのをみて。

「何を、それは、…――」

声も無く立ち尽くしている神原に、突然扉の開く大きな音が響いた。

「神原先生!急いでください!下に準備は出来ています!着替え、お願いします!」

看護師が跳び込んで来て、神原をみていうのに。

 茫然と思わずくちを開けてみてしまって。

 そこへ。

「神原!麻酔医の榊先生がこれから準備する!それまでに準備して入って来い!」

スピーカから響いた声に、思わずもスピーカの方をみてから、その次に漏れて来た声に。

「第一助手を神原に交替する。御木先生、第二助手を頼む。榊先生、準備、どのくらいでできる?」

「…――――」

スピーカの音声が途切れて、まだ茫然としている神原に。

 突然。

「神原…!さっさとしろ!」

叫ぶ神代の声に、唖然として振り向いて。

 見つめている黒瞳の激しさに、息を呑む。

「…僕は、――――」

「おまえ、患者を救う気はないのか?」

鋭く問う神代の声に、黒瞳に。

 息を呑んで、…―――。

 だから。



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