光 四
月曜の朝。
「…――――っ、」
紹介されて入って来た神原に、神代が気づいて目を剥くのに。
にっこり、微笑んで神原が挨拶する。
医局の医師達が気づいて注目する前で。
「この度、こちらにお世話になることになりました。神原良人です。よろしくお願いします」
白衣を着て医局に連れて来られた神原が、周囲ににこやかに挨拶する。それを、案内してきた病院の事務長が引き取って。
「えー、先日、院長からお話のあった、新しく入局されることになった外科医の神原先生です。神代先生、―――神原先生、外科部長の神代先生です」
「…――――よ、よろしく」
事務長に紹介されて、席を離れて多少引きつった顔で神原を見上げる神代に視線を合わせて。
にっこり、笑顔になって。
「よろしくお願いします、神代先生」
「――――あ、ああ、…。っ、たく、なんでここに?」
神原が差し出す握手の手に、つい腰が引けながらも手を出して、それをしっかり引き寄せられて握られて。
つい、小声でいう神代に、凝っと見つめ返して。
「…僕、医者ですから。一応、外科医なので」
「―――そういう、――――…」
何かいいかけた神代が、くちを噤む。
「神代先生、神原先生には、病院をご案内した後、また戻って来ていただきますので。よろしいですか?」
「…――い、いいよ。任せる」
腰が引けたようにしていう神代に、何をいおうとしたんだろう、と神原が首を傾げて訊きかけるが。
「神原先生、ご案内します」
「あ、すみません、…―――。皆さん、また後できますね。宜しくお願いします」
いいながら頭を下げて出ていく神原を、引きつった顔で神代が見送る。
「どーしたんですか?神代先生?」
「あ、…いや、吉原先生、…。何でもない」
視線を逸らして、デスクに回り込んで席に着く神代に、外科医局に所属する外科医である吉原が首を傾げる。
「どうしたんです?本当に。…ともかく、今日のスケジュール確認、はじめてもいいですか?」
「…ああ、頼む。吉原先生」
「はい。じゃ、今日の予定ですが、…―――手術予定の患者さんは、…―――――」
気を引き締めて、神代がスケジュールを挟んだボードをみる。
「…――――予定は二件か、…。内科の来原先生は?」
吉原にいわれて、ホワイトボードに予定された手術欄に担当する看護師の名前を記入していた若い医師三槻が振り向く。
「午前中は初診と再診の患者さんを診て、午後のカンファレンスから参加されるそうです」
「―――そうか、――…。午後の手術は、来原先生の担当患者が一名と、それに森川先生の担当患者が一名だな」
「はい。そちらは、吉原先生が執刀されて、僕が助手に入ります」
「手術担当の看護師さん達は?」
「はい、病棟から二人看護師さんを出してもらいます」
看護師の名前を聞いて神代が頷く。視線をスケジュールに落して、神代が視線を上げる。
「吉原先生、血液のオーダーは?」
「すませてます。…一応、基準通り、用意させてますが、―――。不足ですかね?」
「いや、…。――後で、回診して決めよう。まだ、午前中でもオーダーの追加は間に合うな?」
「はい。血液科には、交差試験含めても、四時間前までなら、追加は大丈夫です」
「…――――。一応、先に日赤に連絡するよういっておいてくれ。…オーダー掛るかもしれないと」
「…はい、解りました。三槻君、血液科に連絡して、…――オーダーは、こちらの?」
「…――――、ああ?」
考え込むようにしていた神代が、吉原の呼ぶ声に気付いて視線を上げる。
「あの、血液の追加オーダー出そうなのは、私が担当する患者の方だけでよろしいですか?」
しばし瞬いて神代が吉原の言葉を考えて。
「…ああ、すまん。そうだ。おれの方の追加は、昨日既に出してある。…―――こちらは、担当看護師は、篠原さんに水瀬さん、技師は斎藤くんに、麻酔科医は榊医師だな」
「はい、その通りです」
すらすらという神代に、吉原が目を輝かせていう。
「助手は、私が入りたかったんですが、…―――」
言い掛ける吉原を神代が遮る。
「吉原先生には、この患者の手術をしてもらわなければ困る」
「はいっ!」
元気よく返事する吉原を戸惑うようにみてから。
「御木先生は、夜勤明けに助手に入ってもらうことになるから、負担を掛けるが。…いま仮眠室だな?」
「はい。いいですよね、御木先生、神代先生の助手に入れるなんて」
三槻がいうのに、神代が眉を寄せる。
「三槻先生には、吉原先生の術式をみて、憶えてもらう必要がある。胃の再建は難しいんだ。吉原先生も、しっかり教えてくれ」
「はいっ。よろしくな、三槻先生」
「はい、お願いします。それにしても、いいですよね、御木先生。神代先生の腹腔鏡手術の助手が出来るなんて!」
「…――だから、何いってるんだ、…。吉原先生の手術をきちんとみて憶えろ!」
「はいっ!」
「ったく、…―――しっかりやれよ?」
眉を寄せて三槻をみる神代に、吉原が話し掛ける。
「それで、神代先生、こっちの方に血液オーダー、追加かかるかもしれないっていうのは?」
「…ああ、それなんだが、―――。基礎疾患に糖尿があるだろう?」
「…――はい、――――…」
「このデータ、昨夜の血圧だが、…」
手術前日の患者のバイタルを記録したデータを示して、神代が吉原にいう。
「…これが、何か、気になる。引っ掛かるんだ。持病は他にないということだよな?」
「神代先生がいわれるなら、気をつけます。血管がもろくなってる可能性が?」
「あるな。…それに、二十四時間心電図はとっているんだな、―――…とにかく、患者を診にいこう。時間大丈夫か?」
ボードを手に席を立つ神代に、吉原が頷く。
「はい!」
話しながら歩く神代に、吉原が従い、三槻が続く。
「神代先生の執刀する患者さんにも?」
「…―――ああ、後で、…―――」
神経質に何かを気にするように、思わしくない表情で歩く神代に。
緊張した面持ちで、吉原も足の速い神代に追い付こうと急ぎ足で歩いていく。
「随分、古い病院ですね、…、あ、失礼、―――設備がその、…。でも、歴史があるからですよね?この病院が」
事務長に案内されながら、古い設備をみて、ついくちを滑らせた、というようにしていった神原が、笑みを造ってみせるのに。
「…あ、いえ、―――神原先生のおっしゃる通りです。この病院は、滝岡病院グループの中では、一番古い系列病院になりまして、…。当時は最先端だったものも多いんですが、いろいろともう、…老朽化もしておりまして、はい、…――――」
多少額の汗をぬぐうようにしながら、事務長が説明する中を。
廊下を歩いていく神代達を見つけて、神原が見送る。
「あちらは、病棟ですか?」
「あ、…ええ。ああ、神代先生達ですね。多分、今日の午後から手術になる患者さん達の様子を診にいかれるんでしょう」
こちらに気付かず歩いていく神代達の背を見送って、神原がくちにする。
「午後から手術、ですか。…ちなみに、今日の手術は何件ですか?外科に所属してるのは、…――――」
「ああと、それが、…―――今日行われるのは、…その、二件、でして」
口籠るようにして、視線を遠くに逃しながらいう事務長に、神原が振り向く。
「…二件、ですか?」
驚いたようにみる神原に、事務長が額の汗を拭く。
「いえその、…は、はい。」
「一日に二件?」
訊き直す神原に、事務長が掻いていない額の汗を拭く。
「い、いえその、…―――実は、」
「実は?」
「…―――それでも、いまはその、…多い方、でして、――――」
「多いって、…――。一日、二件がですか?」
くちをおもわずあけて、驚いている神原に汗を拭きつつ説明する。
「はい、その、…―――一日、一件、…―――」
「…え?一件?」
驚いて聞き返す神原に、事務長が口籠る。
「いえ、その、…つまり、それでも、その、…一日、一件も、ない、…日も、いまの状態ですと、その、…―こちらでは、…――ありまして、――――」
「…一件もない日もあるんですか、…。」
茫然として神原が思わずくちにする。
「それって、…―――外科医、いるんですか?」
ついまじまじとみていってしまう神原に。
「…――――――」
無言で、引きつった顔で事務長が見返す。




