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光   作者: 高領 つかさ(TSUKASA・T)


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光 二十三



「橿原さん」

神原良人が微笑むのを、院長室のデスクに就いて見上げて。

両手を組んで、おっとりという橿原に神原が微笑む。

「あら、何でしょう。御機嫌がよろしいようですけど」

「そうですね、…――久し振りに眠れましたから」

「そうですか」

淡々という橿原に神原が頷く。

「それで、今日は何のお話ですか?」

「はい、――――思い出したことがあるんです。それで」

穏やかにいう神原を、橿原が感情のみえない視線で受け止める。 

それを、不思議な視線で見返して。

 しずかに。

「以前お会いしたとき、―――妻の遺体に僕がふれないように、留められたときのことです」

 不思議な穏やかさで。

「僕は、後から知ったんですが、…―――。あのとき、取り乱した僕を留める人達の手配をしてくださったのは、あなただったそうですね」

「…――――」

無言でみあげる橿原を、神原がしずかに見返す。

「――――――随分と、遅れましたが。…」

「神原さん」

「…ありがとうございました、――――。お陰で、妻は、僕の中で冷たい遺体にはなりませんでした。…」

しずかに、穏やかに。痛みと哀しみを抱きながら、橿原を見返す神原に。

 ゆっくりと、橿原が組んでいた指を解き、もう一度組み直して。

 痛みと哀しみをそのまま受け止めるように、淡々とした声で。

「そうですか、…―――。神原さん」

「はい」

静かに見返す神原に、僅かに息を吐いて視線を組む指に落す。

「少しは、…―――神代君が役に立ちましたか」

その言葉に、神原が僅かに片眉をあげる。

「やはり、そういうつもりで、僕をこの病院、―――いえ、神代先生の処へ行くようにさせたんですか?」

穏やかに、少しあきれたようにみていう神原に、考えるように僅かに首を傾げて、組んだ指を少し動かす。

「…僕は、――あの子がばかなのを知っているんですよ」

「ばか、ですか?」

不思議そうに問う神原に橿原が頷く。

「勿論ですとも、…―――。あの子は、病院経営をしている一族の一員のくせに、とんでもないことを言い出していますからねえ、医者がいらないようにするとか」

あきれたように、おっとりと溜息を吐いてみせる橿原に、神原が面白そうに笑んで。

「お伺いしました。とんでもないと思いますが、確かに、…――けれど、それは」

「はい?何でしょう」

見上げる橿原に笑む。

「あなたが法医学――予防医学を専門としておられることが、影響もしているのではありませんか?忘れられがちですが、法医学というのは、予防医学の側面があるはずです」

「―――――…まあ、僕は理事長でもありますからね。滝岡グループ全体の。…それでも、あの子がばかなのには違いがありませんよ。光ちゃんが、――――」

「院長」

淡々という院長――橿原を少し切羽詰まった声で神原が留める。

 軽く額に当てた手を、手のひらを橿原の方に向けて、僅かに眉を寄せて。

「その呼び方はちょっと、…――やめてもらえませんか?」

「あら、そう?小さい頃から知っているものだから、ついその呼び方が」

「…―――それはやめましょう、ね?」

橿原が小首を傾げて、頬に手を当てて。

「よろしいですけど、…――。昔からばかな困った子なのは確かですしねえ、…。何ていうか、偏りがあるというか、どうしたらいいものか。あの子、道に迷いますでしょう?」

「…――はい」

思い出して難しい顔になっている神原に構わず、橿原が数え上げる。

「五十七億も借金しているくせに、医者がいらないようにするんだとか、一つのことに集中すると、他をすっかり忘れますしね。それでこどもの頃は、本を読みながら道を歩いていて、隣の県で保護されるとか、長じてアメリカへ行っても同じ調子で、拳銃強盗が起きている横を本を読んだまま通りすぎていたとか」

「…――――」

神原が軽く額に手をあてて視線を伏せる。

「それに、あの子、電子レンジも使えないんですよねえ、…」

院長の嘆きに神原が視線をあげる。

「でも、飲物の温めはできましたが」

不思議そうにいう神原に橿原が両手を組んで頷く。

「そうなんですよ。…温めはできたでしょう?」

「は、はい」

幾度も頷いている橿原に少し引きながら神原が見ていると。

「あの子に、それを教えるのにどれだけ周りが苦労したことか、…。前の病院では、何度もあの子のせいで、電子レンジが爆発しましてね、…―――」

しみじみという橿原の言葉に、眉を寄せる。

「爆発、ですか?」

「するんですよ、…。どうしてそうなるのかは知りませんけど、あの子にやらせると、何か他のことを考えながらやるせいか、―――…どうしてか、爆発するんです。正しい操作方法を教え込んで、ようやく、何とか、温めだけは覚えさせたんです。それも、飲物を一杯分だけ」

「…――――その、それは。でも、神代先生、医療機器の操作はできますよね?」

「あの子はそういうことは出来ても、他のことはまったくできないんです」

きっぱりという橿原の態度が本気で、神原が詰まって見返す。

「――ちょっとまってください、…―――しかし、…――」

額に手を当てて思い返す。

 五十七億の借金があって、建物の中でも道に迷うほど方向音痴で、―――それに、電子レンジを爆発させるって、…―――。

 ―――神代先生、…―――。

「あなた、それはまだましな方のエピソードなんですから」

「…―――これ以上、何があるんですか」

「あなたもこれからわかります」

しみじみと極真剣に橿原が淡々というのに。

思わずも見返して、何か云おうとして。

「あ、ごめんなさい、ちょっとまってください。…久さん?」

橿原が神原に謝ると片手をあげて、着信のある携帯に出る。

「どうしたんですの?…あら、はい、―――それは」

話している橿原に、神原が視線を窓外へ向けたとき。

 ばたん、と扉が大きく開いた。

「神代君、行儀が悪いですよ?」

橿原が携帯を手で覆うようにして叱ってから、通話に戻るが。

 それをまったく見ずに、神代が真剣な顔で神原を見る。

 真剣にみて、手首を掴んで。

「神原、…―――きてくれっ」

「どうしました?患者さんが?」

「いや、違う。いまの処、急患も急を要する処置を必要とする患者もない。…神原、頼む!今日も泊ってくれ!」

「…――神代先生?」

真剣に手首を握って、神代が神原を見あげていう。

「…小野さんから連絡が来てたんだ。それもメールで」

「…メール、ですか?」

「そんなことは滅多に無いんだよ、…。緊急事態だ。もう、どうしてもおまえに来てもらわないと困る!」

「落ち着いてください、あの、…。困る理由というのは何ですか?どうして、」

「―――――…鍋だ」

真面目な顔をして見上げている神代の。強く眉を寄せた顔を、しばらくぼんやりと眺める。

「…――――あの、いま、鍋っていいました?聞き間違いで、なければ、…―――」

戸惑いながらいう神原に、大きく神代が頷く。

「聞えた通りだ。鍋なんだよ」

真面目にいっているらしい――それもどうみても大真面目な―――神代に聞き返す。

「つまり、…――鍋、ですよね?それがどうして緊急事態に」

あきれて見返している神原の手首を掴んで、ぐっとくちを結んで見返して。

「鍋なんだよ、…。小野さんが、鍋を作ったっていうんだ」

極真剣に真面目に悲壮な表情でいう神代に。

「その、つまり、お世話になっている、―――小野さんが、鍋を?」

「それも二人前だ。…おれとおまえのだよ。…食わなかったら、大変なことになる」

思い切り悲壮な顔をして、ひとつ頷いていうのに。

「食べなかったら、…大変なこと、ですか?」

「大変だ。…もう二度と、めしを作ってもらえなくなる。残したら怒るんだよ。食べられなかったときとか、…――――けどな、しかも、だから、…―――今回は、おまえの分も作ったというんだよ!」

悲壮な顔で見詰めてくる神代に、ちょっと間を置く。

「ええと、あの、…。その鍋を、僕が食べないと小野さんが怒られて、神代先生のご飯を作ってくれなくなる、ということでいいですか?要点は」

「その通りだ。纏めるのうまいな。…二人前だぞ?一人で食えるか?誤魔化そうにも限界があるだろ。だから!是非!おまえに協力をお願いしたい!」

語尾が強くなる神代に、茫然としながら応える。

「それは、…別に構いませんが、…―――」

「食ったらどうしても遅くなるからな、…―――明日の朝、早いのは知ってるだろ」

神代の言葉に、スケジュールを思い出す。

「確か、…衛星会議があるんでしたね。…フェアバンクスと」

「そうだ。おまえにも参加してもらいたい。確か、出席する先方のメンバーに、おまえの知り合いもいたろう?」

「はい、…。前にお世話になった人が、…―――」

「だから、すまんが、会議を円滑に進める為にも、おまえには出席してほしいんだ。けど、早朝だから、…つまり、だがこれはおれの都合だし、――――」

 ――本当に、何でこんなに偏ってるんだろう、…。

目の前でうろたえている神代の、いま会議の運営に関してみせた調整への配慮と、こどもの頃から――と、いっていたような気がするが――お世話になっている人を怒らせないようにしたいという、それで困っているアンバランスが。

 つまり、何ていうか。

少しばかり、おかしくなって、つい微笑んで。

「いいですよ」

「…―――おまえの都合も聞かずに、こんなことを頼んで、―――いいのか?神原」

神代が、神原の言葉に驚いて顔をあげるのに。

「ですから、いいですよ。僕は小野さんの作った鍋が食べられるわけですし、まあ、ついでに泊めていただけるのでしたら、会議にも楽に間に合いますからね」

楽しそうにいう神原に、神代が両手をとって握り、上下に振っていう。

「ありがとう、…!たすかる!この恩は何で返せばいい?」

「…恩なんて、――――いえ」

真剣に見ていう神代に、ふと、何か思いついた風に神原が言葉を止めて。

 真剣に見返す神代に、にっこりと微笑みかける。

「それは、少し考えさせてもらってもいいですか?…何で返してもらうか、考えてみます」

「…――わかった、…考えてくれ」

難しい顔でいう神代に微笑んで。

「大丈夫ですよ、…―――それより、もう帰れるんですか?」

「もう大丈夫だ、行こう。鍋をちゃんと食べないと怒られる」

「…はい、」

苦笑して、先に立っていく神代の後を歩き始めて。

 ちら、と話しをきいて――まあ、当然だろう―――いた、橿原に一礼して部屋を出る神原に。

 二人が院長室を出て、足音が遠ざかるのをしばし待って。

 院長が、携帯にあらためて話し掛ける。

「いまの会話聞こえてました?はい、うまくいきましたよ、…――。あなたも、あの子の世話をして長いですからねえ、…。普段の面倒は、誰か他の人に少しずつ譲りませんとね。神原君なら、リハビリがてら、あの子の世話をしてもらうのに丁度良いと思いますよ。はい、あらでは、今度、すきやきを奢りましょうか?予約、入れときましょう、…――――」

院長が通話を切って。

 デスクに置いた携帯の画面には、小野久、と登録された名前が表示されていて。

「さあて、あの子達も、少しは落ち着くといいんですが、――――」

のんびりと橿原がいって、もう暮れて夜に満ちていく街を眺める。

 街の灯りは、既に賑やかに夜を照らし始めている。―――


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