第80話 「朝の体温」
越えたかどうかより、
越えようとした心の方が残酷だ。
一夜は短い。
けれど、感情は一瞬で一線を越える。
戻れないのは、身体じゃない。
選択だ。
目が覚めたとき、
カーテンの隙間から光が落ちていた。
一瞬、どこにいるのか分からない。
天井が違う。
匂いが違う。
隣で、呼吸の音がする。
海斗。
眠っている。
シーツの端が、ノアールの指に絡んでいる。
昨夜の雨は止んでいる。
静かだ。
胸に残るのは、熱。
後悔はない。
ない。
ただ、はっきりしない。
何がどこまでだったのか。
ノアールはゆっくり起き上がる。
足先に、わずかな震え。
《逃げるな》
声は冷たい。
もう焦らない。
《選んだだろ》
ノアールは窓の外を見る。
白い朝。
海斗が目を開ける。
一瞬、状況を思い出す目。
「……おはよう」
声が低い。
ノアールは振り返る。
「おはよう」
自然な声。
海斗が腕を伸ばす。
躊躇いなく、引き寄せる。
「後悔してないよな?」
間。
ノアールはまっすぐ見る。
「してない」
嘘じゃない。
《正解》
胸の奥で、静かに落ちる。
海斗が笑う。
少し安心した顔。
「なら、よかった」
その指が、ノアールの髪に触れる。
優しい。
でもどこか探るよう。
スマホが震える。
画面に、レンの名前。
一瞬だけ、呼吸が止まる。
《切れ》
ノアールは画面を伏せる。
海斗は何も言わない。
ただ、その視線が変わる。
昨日より、近い。
ノアールは立ち上がる。
床に落ちたシャツを拾う。
光が差し込む。
静かな朝。
でも何かが、確実に動いた。
正解はまだ出ていません。
でも、もう「何もなかった」には戻れない。
海斗は勝ったつもりでいる。
レンは何も言わない。
ノアールは――
まだ自分が何を選んだのか、分かっていない。
ここからが本当の崩れです。




