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第74話 桜の下の違和感

知らないはずの場所なのに、

心だけが先に揺れることがあります。

通りの脇に、細い階段があった。


見落としそうな段。


スタッフが降りていく。


ノアールも続いた。


足音が変わる。


空気がやわらかくなる。


水の音が近い。


視界が開けた。


川沿いに桜が続いている。


風が吹くたび、

淡い色が空にほどける。


その中に、

ひときわ大きな桜の木があった。


少し離れたところに、石のベンチ。


光が、そこだけやさしい。


「そのままで」


声だけが届く。


もう撮られているらしい。


レンがベンチに座る。


ノアールも間をあけて腰を下ろした。


会話はない。


でも沈黙が冷たくない。


花びらが肩に触れる。


ゆっくり落ちる。


指先で受け止めたくなる速さだった。


いくつかは川へ流れていく。


揺れながら、


きらめきながら、


ほどけるように遠ざかる。


胸が、少しだけ苦しい。


きれいすぎる景色を見るときの、

あの感覚に似ていた。


ここ――


来たことがある気がする。


すぐに否定する。


そんなはずない。


なのに呼吸だけが覚えている。


桜を見上げた瞬間、


体がふわりと軽くなる。


天に引き上げられるみたいな感覚。


高揚と、

少しの怖さが一緒に来る。


理由は分からない。


「平気?」


レンの声が近い。


「……はい」


声が半拍遅れる。


レンの目が少し潤んで見えた。


すぐに逸らす。


花粉のせいだと分かる逃げ方だった。


遠くで声が入る。


「いい、その空気」


止めない。


そのまま使うらしい。


桜が一斉に揺れた。


光と花びらが降ってくる。


胸の奥に、

思い出せない記憶の気配だけが残った。

思い出より先に、

心が反応することがあります。

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