第73話 重なる声
声は、距離よりも先に重なる。
触れなくても、響きは交差する。
言葉にしない想いほど、
音に溶けやすい。
スタジオの空気は静かだった。
照明は落ち着いている。
余計な音がない。
マイクが二本、並んで立っていた。
向き合ってはいない。
少し角度がずれている。
その配置に、少しだけ救われた。
「仮合わせ、いこう」
ディレクターの声が入る。
ヘッドホンをつける。
伴奏が流れ始めた。
透明な音だった。
夜明け前の光みたいな音。
先にレンが入る。
低くて、まっすぐな声。
押さないのに、芯がある。
空気が整う。
自分の出番が来る。
息を吸う。
声を置く。
重なった。
ぶつからない。
混ざる。
不思議なくらい、自然だった。
レンがわずかに目線を上げる。
こちらは見ない。
でも分かる。
同じ場所で聴いている。
サビに入る。
二人の声が、同時に伸びる。
音の中では、距離が消える。
(やっと重なった)
触れていないのに、近い。
「いいね」
ブース越しに声が飛ぶ。
「二人とも、相性が出てる」
偶然ではない言い方だった。
ヘッドホンの中で、レンが小さく言う。
「歌の方が、正直だね」
台詞じゃない声。
ノアールは少しだけ息で笑った。
「困ります」
「もう出てる」
短い。
それ以上は言わない。
もう一度、イントロが流れる。
今度は、さっきよりも近く聞こえた。
声だけが、先に触れていた。
声は、嘘をつきにくい。
重なった響きは、心の距離を映します。
まだ言えない想いほど、
音の中で先に出てしまうこともあります。




