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第72話 雪の距離

近づいているのに、

触れない方が伝わることがある。


秘密の温度は、

白い景色の中でほどけていく。

空が低かった。


灰色の雲が、静かに広がっている。


吐く息が白い。

指先が冷たい。


撮影地は、静かな通学路だった。

人払いされた道に、足音だけが残る。


衣装は制服。

時間設定は――映画の中の一年後。


付き合っている。

でも、公にはしていない。


その距離を演じる場面だった。


「本番いきます」


声がかかる。


歩き出す。


並んでいる。

触れてはいない。

でも、離れてもいない。


雪が落ち始めた。


最初は一粒。

次に、もう一粒。


誰かが小さく息をのむ気配。

白が、少しずつ増えていく。


予定にはなかった。

でも、止める声は出なかった。


世界が静かになる。


レンが言う。


「……持ってるね」


台詞ではない声。


(また、同じだ)


ノアールは前を見たまま返す。


「偶然です」


白が肩に積もる。

まつ毛にも乗る。


距離は近いまま。


レンが、ほんの少しだけ声を落とした。


「今の、役じゃないよね」


足が止まりそうになる。

視線は前のまま。

答えられなかった。


足音だけが、揃っていく。


袖が触れそうになる。

触れない。


触れないまま、温度だけが伝わる。


レンが、わずかに息を吐いた。


「そのままでいい」


優しい声だった。

甘くない。

押さない。


(今は、それでいい)


ただ、置く声。


雪が強くなる。


白い景色の中で、

距離だけが、はっきりしている。


監督の声が遠くで入る。


「いい。その空気、使う」


カットは、かからない。


歩き続ける。


秘密のまま。

触れないまま。


なのに、離れていない。


冷たいはずなのに。

胸の奥だけが、静かに熱かった。

言葉にしない距離ほど、

本当の温度が出ることがあります。


白い景色は、

気持ちを隠してくれるから。

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