第69話 表の声
華やかな場所ほど、
言葉は整えられ、表情は作られる。
それでも隠せない温度が、
視線の奥に残ることがある。
「レンさん、コメント撮り入ります」
スタッフの声が入る。
舞台袖の空気が少しだけ忙しくなる。
照明の位置。
マイク。
立ち位置の確認。
現場の速度が戻ってくる。
ノアールは一歩、壁際へ下がった。
さっきまでの距離がまだ体に残っている。
鼓動は落ち着いたのに、
感覚だけが消えない。
モニター越しに、レンが映る。
もう表情が違う。
柔らかい。
整っている。
誰が見ても安心する笑顔。
「今回の作品は、運命と選択の物語です」
声が公的になる。
温度が変わる。
「共演できて光栄です。とても誠実な方で――」
一瞬だけ言葉を区切る。
「目が、まっすぐなんです」
カメラに向けた言葉。
なのに、なぜか胸の奥に届く。
スタッフが頷く。
「ありがとうございます、OKです」
空気が緩む。
レンはマイクを外しながら振り向く。
一瞬だけ、目が合う。
表情は変わらない。
けれど視線の温度が違った。
何も言わない。
それだけで十分だった。
次はノアールの番だった。
「ではヒロインコメントお願いします」
ライトが向く。
少し眩しい。
「……はい」
立ち位置に入る。
呼吸を整える。
「この作品は、選ぶことから逃げない人の話だと思っています」
言葉が自然に出た。
用意していた文章ではない。
「怖くても、自分で決める人の物語です」
どこかで、レンが小さく笑った気配がした。
撮影が終わる。
拍手が起きる。
発表会の進行が締めに入る。
ステージの光が、ゆっくり落ちていく。
桜の映像は、もう流れていなかった。
それでも胸の奥では、
まだ花びらが揺れている気がした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
同じ言葉でも、
誰に向けているかで意味は変わる。
そんな一瞬の違いを書いた回でした。




