第68話 近い声
光の当たらない場所ほど、
本音は近い距離で交差する。
華やかな舞台の裏で、
声と気配だけが静かに迫る回です。
舞台袖は、光が届かない分だけ静かだった。
ステージの喧騒が壁一枚向こうにあるのに、
ここだけ空気の密度が違う。
ノアールは深く息を吐いた。
ざわつきが、まだ胸の奥に残っている。
声より先に、気配で分かった。
近い。
振り向かなくても、誰か分かる距離だった。
「まだ揺れてる」
低い声。
横から落ちる。
驚いて視線を向けると、
思っていたより近い位置にレンの横顔があった。
触れてはいない。
半歩下がれば離れられる距離。
それでも心臓が跳ねる。
「……平気です」
反射で言う。
レンは小さく笑った。
「無理してるよね」
責める言い方ではない。
見つけた、という言い方だった。
ノアールは視線を逸らす。
「分かりやすい?」
「俺には」
即答だった。
距離はそのまま。
でも、それ以上は詰めてこない。
「その顔、嫌いじゃない」
さらりと言う。
重くないのに、逃げ場がない言葉。
ノアールの肩がわずかに強張る。
「褒めてませんよね」
「ちゃんと褒めてる」
間髪がない。
「逃げてもいいけど、戻ってきて」
冗談みたいな口調。
なのに妙に真っ直ぐだった。
鼓動がうるさい。
レンはそこでようやく半歩引いた。
圧が消える。
「ほら、ちゃんと距離取った」
少しだけ楽しそうに言う。
「警戒されるの、嫌いじゃない」
そのままスタッフの呼ぶ声に応じて歩き出す。
「思い出さない方が苦しいでしょ」
振り向かずに落とした一言だけが、
静かに残った。
胸の奥で、闇がわずかに揺れた。
《そうだよ》
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
言葉と距離は、
触れなくても心を揺らすことがあります。




